先日、米国の半導体業界誌の記事を読んでいたら、昨今の半導体供給不足について、かつてモトローラ社で働いた人のコメントが出ていた。かなりのベテランであろうこの人の言によれば、「現在の状況は1970年後半に経験した大規模な供給不足を上回る過去最悪のもの」だという。ある市場調査会社の発表によれば現在の半導体供給リードタイムは平均で20週(マイコンに限れば26.5週)、ある受動部品の中には52週という超タイトなものもあるらしい。こうした状況では物の確保に必死な購買側からの2重、3重の注文も発生し、生産ラインで余ったパーツはグレイマーケットに流れ、結果的に3倍、4倍のスポット価格で取引される事もある。市場はさらに混乱をきたす予想で、長期化は必至のようだ。

私も30年の半導体人生で需給バランスが甚だしく崩れる状況で翻弄された経験が何度もある。

私自身の過去の経験則「多くの場合、半導体需給バランスは均衡しない」

私はAMDでのデバイスの経験とウェハ2社の経験を合わせるとちょうど30年の半導体業界経験をしたが、さまざまな理由によって需給バランスが崩れる事態を何度となく経験した。逆に、均衡している理想的な状態というのは稀だったような印象を持っている。それぞれが異なる理由で引き起こされた事態であるが、営業職にあった私は不測の事態に常に翻弄された。

ベンダー固有の問題の例

1997年、AMDはIntelの主力製品Pentiumの対抗製品としてK6プロセッサーを市場投入した。K5プロセッサーの開発に失敗し、瀕死の状態にあったAMDは新興デザイン会社NexGen社を買収しPentiumを凌ぐ性能を実現するK6を手にした。IntelのPetium-200MHzを凌ぐトップスピード233MHzで登場したK6は市場を驚嘆させた。それまでIntelしか選択がなかった市場環境にいきなり登場したPentiumを凌ぐ性能のAMD K6-233は大いに注目され、折しも急速に興隆していたDIY市場から大量の注文が入った。当時としては最先端の0.35ミクロンプロセスを移植したテキサスの最新鋭工場Fab.25はあらゆる手を打って増産を目指したが、旺盛な需要はAMDの生産能力をはるかに超えていた。「大々的に発表しておいて生産が間に合わないとは何事か!」と迫る顧客に対し、営業責任者の私は平謝りの状態がしばらく続いた。顧客の中にはAMD本社に乗り込んで直談判をするケースもあった。結局、AMDは供給能力をはるかに超える需要を喚起してしまったわけで、「発表しても製造できないAMD」というイメージが暫く付きまとう結果となった。

  • K6プロセッサ

    AMDが市場投入を開始したK6はトップスピード233MHzを誇った (著者所蔵資料)

サプライチェーンの一角が崩れて市場全体の問題となった例

1993年に起こった住友化学 愛媛工場の爆発事故は、世界的なレジン(半導体封止用エポキシ樹脂形成材料)の供給不足を起こした。いわゆるプラスチック・パッケージの主材料のレジンの世界市場で60%という圧倒的なシェアを持っていた住友化学の工場の爆発によって、AMDを含むシリコンバレーのほとんどの企業がパッケージの調達に支障をきたし、大問題となった。米国本社からはかわるがわる幹部が訪日し、住友化学との直談判がしばらく続き私もこれに付き合わされる羽目になったが、何分大きな爆発事故でその回復は遅々として進まなかった。結局半導体メーカー各社は台湾・中国などの代替メーカーからの供給のめどをつけこの問題は収束した。巨大企業の住友化学にとってレジン生産部門のビジネス的価値は限定的であったらしく、その後住友化学はこの市場そのものから撤退した。

  • 半導体サプライチェーン

    複雑な半導体サプライチェーンには多くのベンダーが関与している

天災によるサプライチェーンへの影響の例

2011年の東日本大震災では日本に数多くある半導体サプライチェーンの重要メーカーの工場が被災し、世界市場に大きな影響をもたらしたことはまだ記憶に新しい。

その当時私が勤務していた米国のウェハメーカーも北関東に工場があり被災したが、なんといっても大きな問題となったのはウェハの世界市場でトップシェアを持つ信越半導体のインゴット生産の主力である白河工場が被災し、操業停止になった事であろう。同じころ、自動車アプリケーションで大きなシェアを持つルネサスの那珂工場も操業停止を余儀なくされ、かなりの時間、半導体市場のサプライチェーンは影響を受け、市場が安定を取り戻すには一年以上かかった。これを教訓にBCPの観点から各社はサプライチェーンのトラッキングシステムを徹底し多重化を図るようになった。

産業構造の変化がもたらした昨今の半導体供給不足

昨今の慢性化する半導体供給不足は過去の例から学ぶことで解決策を割り出せるような単純な問題ではないような印象を持つ。この問題の背景には半導体、コンピューター、通信機器、自動車、コンシューマー機器などすべてのセグメントにまたがる産業構造の大変化がある。

コンピューターに始まったデジタル化によって、人間が利用する機器のすべてに半導体が大量に使われる今日の状況はこれに関係するすべての人々に大きな意識変化を求めるからである。

最近の自動車産業の関連記事で興味深い言い回しを見つけた。これまで自動車業界で当たり前だったJIT(Just In Time)は今やJIC(Just In Case:まさかの時に備える)に置き換わっているのだという。自動車ブランドを頂点とするピラミッド型の内燃機関を基本とした産業構造は、EV化による急激なデジタル化の流れに巻き込まれている。

  • EV

    自動車のEVシフトは産業構造的変化をもたらす (写真はテスラのEV)

日本半導体産業が世界を席巻した1980年後半ごろから、コンピューターや通信機器のブランド以外の異業種から半導体への参入が相次いだ時期があった。当時、韓国、や中国などのメーカーに市場を脅かされ始めた日本の鉄鋼各社がDRAM市場に参入していた。社内留保資金が潤沢だった鉄鋼各社にとっては同じ装置産業という考えで参入したのだと推測されるが、2-3年も経つと新規参入会社のほとんどが撤退した。そのころ何かの関係があってある有力鉄鋼会社の幹部の方とお会いする機会があって、いろいろと教えていただいたが、その方が「半導体はまったく成熟していない市場で、まるで“ガキ”がやっているようなもんだ。我々は本流のビジネスに戻ることにする」とおっしゃっていたのを鮮明に覚えている。

今や鉄に代わって産業構造の中心となった半導体業界は相変わらず成熟することなく現在でも絶え間なく変化を続けている。