シリコンバレーに軒を並べる半導体企業には世界中から優秀なエンジニアが集まる。彼らの夢はAMD、Intel、Google、Appleといった大会社で経験を積んで、いつかは自分の独自のアイディアを製品化するための会社を立ち上げて(これをスピンオフという)、次世代を担うシリコンバレーの存在となることだ。

たった50年ちょっとのシリコンバレー半導体企業の歴史では夥しい数のスタートアップが現れては消えていった。この再生産の構造がシリコンバレーをけん引するパワーとなっている。

日本での報道はあまり見かけなかったがGoogleから飛び出したエンジニアが立ち上げたマウンテンビューに本社を置く総勢122人のベンチャー企業Grop社が320億円に上る資金調達に成功したというニュースを見た。今回はGrop社とベンチャー企業について語りたい。

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    1940年代後半から1980年代前半にかけてのシリコンバレーの企業の系譜を図したポスター (著者所蔵品)

Googleを飛び出したメンバーが立ち上げた機械学習チップのGroq社

米国の報道ではGrop社はAIチップに特化するファブレス半導体企業である。シリコンバレー企業の祖であるフェアチャイルド社が生まれたマウンテンビューに本社を構える。

創業者でCEOのJonathan Rossは前職GoogleでTPU(Tensor Processing Unit)の開発メンバーであったと紹介されている。幹部連中の経歴を見るとIntel、NVIDIA、Avago、Cypress、Crayなどの大企業出身者達が名前を連ねる。市場予測によるとAIチップの規模は2025年までに10兆円に達する巨大市場となるらしい。Gropはこの市場でのリーダー企業となることを目指すようだ。ニュースではGropは独自設計のTSP(Tensor Streaming Processor)を製品化するためにベンチャーキャピタルから320億円の資金調達を行った模様である。

競合チップとして比較対象となっているのはGoogleのTPUであることは明らかだ。プレスリリースにはダイの拡大写真が紹介されていてTPUとの比較では非常にシンプルなデザインであることがうかがえる。リリースではTPUとの性能比較などもしっかり載せられていて巨大企業Googleとの真っ向勝負をも辞さないという企業としての「やる気」が十分に伝わってくる。今回の資金調達の発表は年内に人員を2倍に増やしたいGropがその認知度を上げて、さらに優秀なタレントを集めようという狙いがある。

ベンチャー企業NexGen買収で起死回生したAMD

こうしたベンチャー半導体企業の価値については、私はAMD勤務時代に身をもって経験したことがある。それは1995年、AMDが独自開発のK5プロセッサーの開発に失敗して、企業としての存続が危ない状態になっていた時である。その年の中ごろ、AMDのCEOのサンダースとごく限られた幹部メンバーはK5の設計が失敗に終わり、Pentiumで畳みこむような攻勢をかけるIntelに対抗するためには外部のデザインを急遽採用しなければならない事を認識していた。その時にAMDがコンタクトしたのが100人足らずのベンチャー企業NexGenである。そのころNexGenはすでにNx586という製品を世に出していたが、結局成功せず市場での評価は惨憺たるものであった。しかしAMDはそのNexGen社をそっくり買い取って、Nx586の次期製品として開発中であったNx686のCPUコアを基礎にしてIntelのPentiumとピン互換の製品に再設計するという大きな賭けに出た。与えられた時間はきっかり1年である。果たして、そのデザインはK6プロセッサーとして1997年に完成した。その大役を果たしたのはNexGenにIntelから移籍していたビノード・ダームと彼に率いられたNexGenの少数精鋭の設計チームだった。

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    K6の投入で市場復帰を果たしたAMDがその地位を不動のものとした後継機種K6-2 (著者所蔵イメージ)

このAMDの大英断とNexGenの設計チームのがんばりで誕生したK6は、当時としては最先端のロジックファブとしてAMDがテキサス州オースティンに運営していたFab.25で製造されIntelのPentiumを出し抜く性能で瞬く間に市場に受け入れられた。この辺の詳しい事情は以前コラムを書いたのでそれをご参照していただきたい。

参考:巨人Intelに挑め! - K5の挫折、そしてK6登場(1) 1995年夏、Jerryの頭に去来していたもの

AMD創立以来の危機的状況で大抜擢されたNexGenのK6の登場と、その成功なくしては現在のAMDはない。

ベンチャー企業のモティベーションの源泉はシリコンバレーの自由闊達さ

このAMD/NexGenの協業で生まれたK6の大成功はかなり稀な例ではあると思うが、「こういった事が諸条件の一致と自らの努力次第で可能なのだ」、というのがシリコンバレーで生まれては消えるベンチャー企業の大きなモティベーションの源泉である。シリコンバレーには下記のような条件を満たす環境がそろっている。

  • 優れたアイディアには大きな資金を提供するベンチャーキャピタリストの存在
  • 多様性を持った世界中の才能が集まるシリコンバレーでの人々の自由な人々の交流
  • 企業買収、あるいは自らのIPO(株公開)によって生まれる成功への大いなる報酬
  • 大小を問わず、各企業が激しく競合しながら切磋琢磨する状況

半導体ベンチャーによる独自設計大規模回路での市場参入障壁は、TSMCなどのファウンドリの登場で以前よりもかなり低くなってきている。大きな資金援助を得て、10兆円規模と予測されるAIチップ市場に打って出る少数精鋭のGrop社のメンバーは皆が大きな夢に向かってかなり高いモティベーションをもって働いているはずである。しかし今後の製品化・市場投入・顧客獲得・次期製品の投入準備、といった矢継ぎ早の大仕事が待っている。ましてや巨大企業Googleを相手にするのは大変な困難が待ち受けることが予想される。そうしたチャレンジを敢えて挑もうとするベンチャー企業にはシリコンバレーの夢がいっぱい詰まっている。