毎年開催地が変わるSC

スーパーコンピューティング(スパコン)関係の最大の学会であるSCの第1回は1988年の開催であり、今年は25周年のSilver Jubileeにあたる。そのため、25周年パネルディスカッションが行われたり、スーパーコンピューティングの歴史を示す展示などが行われた。

この学会の現在の正式名称は、「International Conference for High Performance Computing, Networking, Storage and Analysis」という。しかし、こんな長い名前を言うのは大変なので、みんなSCと呼んでいる。SCは、毎年、11月に開催されるが、開催都市は一定しておらず、米国の各地を転々としている。開催する場所が決まっている学会もあるが、毎年、場所が変わるのは、色々なところに行けて面白いという面もある。

今回のSC13の参加者は10,550人とのことで、巨大学会である。このため、今回の開催都市となったデンバーのホテルは満員であった。巨大学会であるので、発表を行うホールや大きな展示会場があり、かつ、参加者を収容できる部屋数のホテルが必要であり、あまり、小さい都市では開催できない。

今回のSC13の会場となったのは、コロラド州デンバーの「Colorado Convention Center」である。ここは、ガラス越しに中を覗き込む熊の像があったり、次の写真の笑うエスカレータがあったりして、ちょっとセンスを感じる会場であった。

SC13の会場となったColorado Convention Centerの中を覗き込む熊の像(左)。中から見ると、右の写真のようになる

展示会場となった2階から降りるエスカレータに乗ると、男女の笑い声が聞こえる。録音した笑い声を再生しているだけであるが、これもセンスが面白い。

Colorado Convention Centerの笑うエスカレータ

デンバーはコロラド州の州都であり、ロッキー山脈の麓、標高約1600m(1マイル)の高原都市である。標高が1マイルであるので、Mile High Cityの愛称があり、SC13の会場のColorado Convention Centerの大ホールはMile Highという名前がつけられていた。

SC13の大会委員長は、イリノイ大学のWilliam Gropp教授である。そして、SCは大会委員長の下に各種の委員会が作られて、2年くらい前から開催準備が進められるのであるが、その中でも、最も重要なのが採択する論文の審査など学術的な発表に関する準備を行うテクニカルプログラム委員会であり、SC13のテクニカルプログラム委員長を務めたのは東工大の松岡聡 教授である。

Mile HighボールルームでのSC13開会式の会場の様子(左)と開会のスピーチを行う大会委員長のGropp教授(右)

25周年の歴史を振り返る企業の展示やパネルディスカッションも開催

25周年ということで、富士通やIBMのブースでは歴史を振り返る展示が行われた。富士通は、初のLSIメインフレームであるM190のボードや、1993年11月のTop500で1位となったNWT(Numerical Wind Tunnel:数値風洞)のボードを展示していた。IBMは、テクノロジ、プロセサ、インタコネクト、ソフトなどの年表のパネルの前に、真空管時代のユニットからBlueGene/L、BlueGene/P、そして、POWER7の巨大プリント板のユニットを並べていた。

富士通歴史展示コーナー(左)とIBMの歴史展示コーナー(右)

また、25周年を記念して、これまでの26回のSCのすべてに出席した人にメダルが贈られた。今回は1万人を越える参加者があったのであるが、第1回から皆勤という人は20名であるという。

26回のSC皆勤者に送られたメダル

メダルを受けた三浦氏

日本人の皆勤は、2009年にSeymour Cray賞を受賞した富士通研究所フェローの三浦謙一氏ただ一人である。日本人でも長く出席されている方はおられるのであるが、2001年の9/11テロ事件の影響で、その年は米国への出張を自粛したところが多く、そこで記録が途切れてしまったという人が多い。三浦氏は、当時、米国駐在であったので、その影響を受けず、参加記録が続いたとのことである。

25周年ということで、スーパーコンピューティングのテクノロジの歴史を振り返る記念のパネルディスカッションも開催された。パネリストは、気象シミュレーションの草分けのNCARのWarren Washington氏、大規模コンピュータシミュレーションの草分けで、ローレンスリバモア国立研究所のコンピューティング部門のディレクタなどを歴任し、現在はサウジアラビアのKAUSTの教授を務めるDavid Keyes氏、デジタルデータの保存とサイバーインフラの構築の研究者で、サンディエゴスパコンセンタのディレクタなどを歴任した、レンセラーポリテクニック教授のFran Berman氏、米国のJPLやCal Techでスパコンのプログラミング言語の研究で業績を上げ、現在はウイーン大の名誉教授のHanz Jima氏、ベクトル型スパコンの初期の開発をリードした業績でSeymour Cray賞を受賞し、国立情報学研究所教授などを歴任した富士通研究所フェローの三浦謙一氏というスーパーコンピューティングの各分野の歴史を代表するメンバーである。また、座長のユタ大のMary Hall教授も、皆勤ではないが、SC出席20回というベテランである。

スーパーコンピューティングの歴史を振り返るパネルディスカッションの様子。左から座長のMary Hall氏、Warren Washington氏、David Keyes氏、Fran Berman氏、Hanz Jima氏、三浦謙一氏

このディスカッションに出席された各氏が述べていたのは、この25年でのスーパーコンピューティングの位置づけの大きな変化で、当初はスパコンの性能も貧弱、モデルも精度が低いという状態であったが、現在では、スーパーコンピューティングは、純粋な科学研究だけでなく、気象予報、温暖化の解析、タンパク質と薬剤の結合シミュレーション、航空機や自動車の開発など、ほとんどの分野で欠かせないものになってきているという点であった。