引退した鉄道車両の保存について、クラウドファンディングで費用を集める方法が定着しつつある。しかし、必ずしも成功するわけではない。その車両に思い入れがある人が多ければ成功しやすい。また、その車両を後世に残す意義があれば、より多くの個人、そして法人も賛同するだろう。

  • 現役時代の「ニセコエクスプレス」(写真:マイナビニュース)

    現役時代の「ニセコエクスプレス」(2012年撮影)

北海道ニセコ町で、2017年に引退した「ニセコエクスプレス」を保存するプロジェクトが発足した。車体購入費、運搬費など総額860万円について、ニセコ町鉄道文化協会がクラウドファンディングを実施している。「ニセコエクスプレス」はどんな車両だったか。保存にどんな意味があるか。

■ニセコ町が開発に協力した「山線仕様」

「ニセコエクスプレス」は国鉄・JRを通じて戦後初めて、北海道内の工場で新規製造された記念すべき車両である。新千歳空港(1988年7月開港)とニセコを結ぶ列車として企画し、1988年にJR北海道の苗穂工場で新規製造された。型式番号はキハ183系5000番台。動力系統はキハ183系の仕様ながら、車体は観光団体専用車両として、従来のキハ183系とは異なるタイプとなった。

先頭車両は大型曲面ガラスを採用した流線形。乗降ドアはJR車両として初めてプラグドアを採用した。プラグドアは一般的な乗降ドアの引き戸とは異なり、閉じた後で枠に圧着させて密閉性を高める方式。隙間風を防ぎ、気圧の変化を抑える。車体と扉部の段差がなくなるため、空気抵抗が少なく、風切り音を防ぐ効果もある。外観上もすっきりとして、かっこよくなる。

JR北海道がプラグドアを採用した理由は、車体との段差に雪がこびりつかないようにするためだった。ニセコ駅経由の函館本線、通称「山線」は豪雪地帯を通る。当時の特急車両はハイデッカー式が人気だったけれど、「ニセコエクスプレス」は急勾配・急曲線を高速で走らせるために重心を低くした。その結果、速さを強調する外観になった。

そして、「ニセコエクスプレス」の誕生にはニセコ町の強い要望があったという。プロジェクトを起案したニセコ町鉄道文化協会の伊藤大介氏に聞いた。

「1986年に函館と札幌を結ぶ特急列車と急行列車は室蘭本線経由となりました。函館本線のうち、長万部からニセコを経由して札幌までの『山線』は優等列車が消えました。しかし、当時のニセコ町にはプリンスホテルがありました。そこで、ニセコ町が協力して新千歳空港とプリンスホテルのあるニセコを結ぶ列車を作りました」(伊藤氏)

西武グループのニセコ東山プリンスホテルは1982年に開業した。スキーリゾートとして発展し、1986年にはゴルフコースもできた。ニセコはほぼ通年で遊べるリゾートとなった。JR北海道にとっても、新たな列車を走らせるために魅力的な路線だったといえる。2006年にプリンスホテルは撤退したけれど、その後もニセコ地域はリゾートとして発展している。ただし、「ニセコエクスプレス」の後継車両は作られなかった。リゾート客の多くがバスを利用するようになったからだ。

「ニセコエクスプレスが引退すると聞いて、ニセコ町に縁のある列車を残すべきだと思いました。しかし、町の予算では難しい。そこで、JR北海道に引き取りを要請しつつ、資金はクラウドファンディングで皆様に応援していただこうと考えました」(伊藤氏)

■転車台、蒸気機関車と合わせてしっかり保存できる

クラウドファンディングの目標は2段階ある。第1段階の目標である860万円に達した場合、車両の先頭部7mをカットして保存する。ニセコは積雪が多い上に、「ニセコエクスプレス」はガラス部分の傾斜が緩いため、屋外での保存には向かない。そこで車庫を作って保存するという。環境が悪く、傷んでいく保存車両も多い中で、この計画は好印象だ。ただし、そのために目標額は大きくなってしまった。

保存場所はニセコ駅に隣接する転車台付近を考えているとのこと。ここには蒸気機関車9643号も保存されている。この機関車は鉄道模型販売の「Models IMON」が保有しており、こちらも同社によって屋根が付けられる予定とのこと。ニセコ駅にミニ鉄道博物館ができることになりそうだ。

ただし、第2段階として90万円上乗せした場合は、「ニセコエクスプレス」を1両まるごと保存できる見通し。この場合は「1両」にこだわり、車庫まで予算が回らない。そこで、町の博物館施設「有島記念館」の敷地内に安置する。屋根がない不利については、有島記念館に常駐する職員が雪の処理など最低限の作業を行う。

「夏は紫外線から守るため、ビニールハウスのような素材で覆って展示。冬は現在の9643号と同様にブルーシートで覆う予定です。単なる保存展示物というよりも、収蔵資料として、有島記念館の収蔵物と同じようにしっかり管理していきたい」(伊藤氏)

「有島記念館」は明治・大正期に活躍した作家の有島武郎と、その父でニセコの土地を国から借り受け、開発しようとした有島武を記念して作られた。有島武郎の作品に関するもの、有島武の時代の暮らしを支えた農機具などが展示されている。鉄道には縁がなさそうな建物だが……。

「有島武は官僚を退職した後、日本鉄道の副社長など鉄道会社の取締役を務めています。ただ、息子の武郎は父親に反発していたようで、鉄道好きかどうかは不明です(笑)」(伊藤氏)

有島記念館は町で唯一の博物館施設であり、ニセコ町鉄道文化協会の事務局も有島記念館内にある。伊藤氏は有島記念館の学芸員だ。ニセコ町の鉄道資産として「ニセコエクスプレス」を保存できた場合、常駐して「ニセコエクスプレス」を管理する責任者は伊藤氏。ニセコの歴史の守り人を志願した。責任重大な役回りである。

■ニセコ町だけでなく、日本の鉄道の歴史資産になる

ニセコ町に縁がある車両をニセコ町が残したいなら、ニセコ町が単独でやればいいと思うかもしれない。しかし、車両が「ニセコエクスプレス」となると、事情が変わってくる。北海道の、いや、日本の鉄道にとって大切な歴史の証拠といえるからだ。

前述の通り、キハ183系5000番台はJR北海道で初の自社製作車両である。当時のJR北海道は、改造車による数々のジョイフルトレインを製作した。その集大成として、改造ではなく新製となった。JR北海道のジョイフルトレインは、他のJR各社の観光団体車両に大きな影響を与えた。いまのJR北海道の状況からは想像しにくいけれども、北海道の鉄道と鉄道の旅は抜群におもしろい時期があった。その記憶を風化させてはいけない。

「JR北海道で東急電鉄の観光列車が走る件で、JR北海道には観光列車のノウハウがないから、と報じる記事がありました。それがとても悔しい。JR北海道こそジョイフルトレインの先駆者です。それを証明する車両としてニセコエクスプレスを残したい」(伊藤氏)

同じ思いを吐露するJR北海道社員の声も聞くという。自分たちだけで観光列車をやりたい。できる。でも、それを言える状況ではない。しかし、いつか、JR北海道を観光列車で盛り上げたい。それを誓うためにも、「ニセコエクスプレス」という象徴が必要になる。

「学芸員として言わせていただくと、塗装した車両が貴重ですね。いまの車両は素材にラッビングした車体ばかりですから。保存車両として、表記される文字も含めて塗装は維持したい。そして、豪雪地帯で車両を保存する技術を高めて、北海道に散在する保存車両の維持にも貢献したいと考えています」(伊藤氏)

なるほど、保存車両を維持する技術か。各地の知識を交換して技術を高めていけば、傷んでいく車両は減るかもしれない。そして、海外にある産業遺産に技術を売り込めるかも。夢は大きく広がっていくけれども、まずは足もとから。このクラウドファンディングを成功させなければならない。

本稿執筆時の3月5日現在、支援総額は166万5,000円。達成率は2割以下。残り日数は83日。もっと多くの人々に知ってもらいたい。クラウドファンディング参加の謝礼として、支援者銘板に名を残すこともできる。歴史の証人に名を残すチャンスだ。ニセコ町だけではなく、JR北海道の輝かしい時代と希望をつなぐという意味で、多くの人々の支援が得られるよう願う。