「学園都市線」の愛称を持つJR札沼線(桑園~新十津川間)の末端部分、北海道医療大学~新十津川間の廃止が確定的になった。該当区間の沿線4自治体の首長が廃止に合意し、来年にも鉄道事業廃止・バス転換が実施される見通しと報じられた。

  • 札沼線。青線がすでに廃止されている区間、赤線が2019年に廃止見通しとされる区間、黒線が増発されている区間 (国土地理院地図を加工)

起点となる桑園駅は札幌駅の隣にある函館本線の駅であり、札沼線(学園都市線)の列車のほとんどが札幌駅へ直通している。現地の交通事情に詳しくない人は、北海道の中心となる札幌駅に直接乗り入れる路線にもかかわらず、一部区間が廃止とは意外に思われるかもしれない。末端の駅に近づくほど乗客が減ることは、行き止まり型の支線ではよくある事例だけど、札沼線の場合は顕著だった。札沼線と函館本線の位置関係も理由のひとつになっていると考えられる。

札沼線(学園都市線)は桑園駅で函館本線から分岐した後、ほぼ90度右に曲がり、北東方面に延びている。このルートは、少し距離があるとはいえ函館本線と並行している。石狩川を渡った石狩当別駅を境に、札幌へ向かうには札沼線よりもバスで函館本線に乗り換えるなどしたほうが運行本数も多く、所要時間も短いという状況だった。

とくに札比内駅から新十津川駅までは函館本線に近づいていき、終点の新十津川駅は函館本線の滝川駅から車で約10分、バスで14分、徒歩で約50分の距離だった。実際には、列車に乗る人は函館本線の駅まで自家用車で送迎してもらうか、または駅前駐車場を利用していただろう。JR北海道は主要駅で「パーク&トレイン駐車場」を設置しており、岩見沢駅は1日500円、美唄駅、砂川駅、滝川駅は無料で利用可能としている。

鉄道ファンの間でも、新十津川駅と滝川駅は異なる路線で駅が近いことが知られており、徒歩やバスで乗り継ぐ「乗り鉄」も多かった。筆者も35年前、滝川駅から新十津川駅まで歩いたことがある。行き止まりの支線に乗るとき、大抵の場合は往復しているけれど、札沼線は片道しか乗っていない。新十津川駅で列車を待っていたら、野鳥が窓ガラスに当たり、大きな音を立てて失神した。35年前なのに、その風景をいまだに覚えている。

なぜこのような路線ができたかといえば、そもそも札沼線は新十津川駅までではなく、さらに北東方向へ延び、留萌本線の石狩沼田駅まで通じていたからだった。新十津川駅から先もずっと函館本線と並行していたわけだ。沿線の月形と沼田に炭鉱があったことから、石狩川西岸地域の開発に加えて石炭輸送の役割も担っていた。

  • 1日1本しか列車が来ない新十津川駅

札沼線は札幌と沼田から結ぶ路線として計画され、両端の地名を取って「札沼線」と名づけられた。1931~1934年にかけて浦臼~石狩沼田間が札沼北線として開業し、1934年に桑園~石狩当別間が札沼南線として開業した。1935年に石狩当別~浦臼間が全通して札沼線となる。しかし、第二次大戦中の1943年から翌年にかけて、一部区間が不急不要路線に指定され、運休扱いとなった。沿線の人口は増えず、月形炭鉱の石炭産出量は戦局にとってさほど大きくなかったかもしれない。

戦後に全線での運行を再開したけれど、札幌近郊の路線としては列車の本数が少ない時期が続いた。時刻表の1961年10月号を見ると、札沼線の運行本数は札幌~石狩沼田間直通列車が6往復。札幌~石狩当別間は下り2本・上り3本。札幌~浦臼間は下り1本・上り2本。浦臼~石狩沼田間は下り1本・上り2本だった。

高度経済成長期を迎えると、自動車の普及によってますます輸送量は減った。国鉄は1971年、新十津川~石狩沼田間の廃止を沿線自治体に提案した。その結果、1972年に同区間は廃止、バスに転換された。時刻表の1978年10月号を見ると、札幌~新十津川間の列車は5往復、札幌~浦臼間は2往復、札幌~石狩月形間は下り2本・上り1本、札幌~石狩当別間は2往復、札幌~篠路間は1往復、浦臼~新十津川間は下り1本だった。

1981年、札沼線に転機が訪れる。東日本学園大学(現・北海道医療大学)の近くに大学前仮乗降場が設置された。仮乗降場は正式な駅ではなく、便宜上列車を停める施設。営業キロの設定がないため、仮乗降場で降車するにはその先にある正規の駅までの運賃が必要だった。仮乗降場から乗車する場合も正規の駅からの運賃が必要となる。駅間距離の長い北海道の国鉄路線では、こうした仮乗降場が多く見られた。

近隣の大学に便宜を図った仮乗降場の設置は札沼線の乗客を増やした。1986年にはあいの里教育大駅も新設された。一方で、石狩月形~新十津川間では駅の無人化が進められた。札沼線は石狩当別駅を境に、札幌側と新十津川側で異なる運命をたどっていく。

JR北海道が発足すると、札沼線に「学園都市線」の愛称が与えられた。そして、札幌圏の通勤通学輸送を拡大するため、桑園~石狩当別間の設備増強が行われていく。八軒~あいの里教育大間は複線化され、札幌~桑園間において函館本線とは独立した線路が与えられた。2012年に桑園~北海道医療大学間は電化された。

これらの改良により、札幌~石狩当別間は下り37本・上り39本、札幌~あいの里教育大間は下り56本・上り53本となり、国鉄時代から大幅に増発されている。一方、石狩当別・北海道医療大学~新十津川間は先細っていく。2018年10月現在、石狩当別~北海道医療大学間は下り20本・上り26本あるけれども、北海道医療大学~石狩月形間は8往復、石狩月形~浦臼間は6往復。そして浦臼~新十津川間は1日1往復。新十津川駅は現在、最も早い時間に終列車が出る駅として有名になってしまった。経営不振のJR北海道によって、事業の選択と設備投資の集中が行われた結果といえる。

  • 札沼線のダイヤグラム。北海道医療大学を境に、運行本数が激減する(列車ダイヤ描画ソフト「Oudia」で作成)

2016年から1日1往復となった列車は、新十津川駅に到着すると約30分後に折り返してしまう。レールを錆びさせないために走らせているようなものだ。同年10月、JR北海道が浦臼~新十津川間の沿線自治体にバス転換を提案していると報じられた。さらに11月、JR北海道は「当社単独では維持することが困難な線区」を発表。北海道医療大学~新十津川間のバス転換を強く示した。

同区間の沿線自治体である当別町、月形町、浦臼町、新十津川町は2017年から対応を協議。JR北海道が運営するままでは路線を維持できないという認識で一致を見た。さらに、鉄道を維持した場合の費用分担と、町がバスを運行した場合の試算に着手した。バスのほうが低コストながら、町の予算では厳しいという認識で一致した。

2018年になると、JR北海道はバス転換の具体的な路線系統を示し、初期費用および運行経費を支援すると表明した。沿線4町は鉄道廃止合意の条件として、JR北海道に対して代行バスの支援を求めた。その結果、6月に月形町と新十津川町が廃止を受け入れ、7月には浦臼町が廃止受入れを表明した。残る当別町も10月12日に廃止受入れを決断し、これで沿線自治体4町の廃止合意が得られた。

廃止時期については2019年内の見込みという報道が多いようだ。これは「鉄道路線の廃止については、廃止の1年前に届出が必要」と定められているから。仮にJR北海道が10月末に廃止届を提出したとすれば、2019年10月末に廃止が成立する。さらに、国土交通省が公聴会を開催し、廃止に意義がなければ最大6カ月間の短縮が可能となる。

JR北海道が沿線4町に対し、魅力的な代行バス運行案を示した場合、沿線4町が新学期からの代行バス運行を求める可能性があり、その場合は3月末、あるいは3月ダイヤ改正に合わせて列車を運休し、代行バスの運行開始時期を繰り上げ可能性もある。

鉄道の存廃は地域の判断であり、鉄道ファンは粛々と受け止めるしかない。しかし、もし「お別れ乗車」をしたいなら、本格的な降雪の前に乗りに行きたい。豪雪等の影響で運休となり、そのまま廃止の日を迎えることもありうる。JR北海道は10月7日、通常はディーゼルカー1両で運行する列車を2両編成とし、「お別れ乗車」などで急増する利用者に対応した。車両不足に悩むJR北海道が、なんとか車両を工面して「お別れ乗車」の需要に応えてくれている。これはありがたい。どうか廃止日まで安全に運行してほしい。