京急電鉄が3月5日に2000形の引退を発表した。引退日は3月下旬とされ、特別貸切列車「ありがとう2000形」が3月25日に運行される。

  • 京急電鉄2000形(写真はリバイバル塗装車)

少しさかのぼって2月26日、JR四国は特急形気動車2000系の試作車TSE編成の定期運行終了を発表している。最後の定期運行は3月17日の特急「宇和海2号」。引退記念列車は「『さよなら TSE』カウントダウン乗車ツアー」として、6月1日、6月15日、7月3日に運行される。3月8日付の産経新聞「TSE30年の歴史に幕 JR四国、17日定期運行終了」にて、JR四国は「象徴的な列車。何らかの形で保存したい」とコメントしている。

奇しくも同じ「2000」が付く名車。廃車解体は惜しい。保存展示される機会が得られることを祈りたい。京急電鉄の2000形も、JR四国の2000系TSEも、十分に保存する価値のある車両と思われる。どうか、せめて1両だけでも残していただきたい。

初代ウィング号、京急初の時速120km - 京急2000形

京急2000形は1982年、快速特急(現在の快特)用の車両として登場した。当初は全席クロスシート、片側2扉で、他の関東大手私鉄なら有料特急にしてもいいくらいの設備だった。しかし当時の京急は特別料金を設定した列車はなかった。乗車券のみで乗れるクロスシート車は珍しく、当時の鉄道ファンは大いに湧いた。

京急は伝統的にクロスシート車を運用してきた。おもに快速特急に使われていたけれど、沿線の人口増による混雑率の上昇によって、クロスシート車は通勤時間帯に使いづらくなっていた。先代のクロスシート車600形(2代目)は最高速度105km/h。これに対し、通勤用のロングシート車1000形(初代)は最高速度110km/hで、加速力も高かった。そうした事情もあり、快速特急は1000形が中心となり、600形の活躍の場は減っていた。

600形(2代目)以降、京急の新型車両は700形、800形とロングシート車が続いた。1000形の増備も続き、「京急はクロスシートをやめるつもりか」とファンをがっかりさせていた。そんな中、登場した2000形は「新世代のオールクロスシート車」として、鉄道ファンを驚かせ、喜びをもって迎えられた。筆者の記憶では、京急ファンとして知られた元TBSアナウンサー、吉村光夫氏も鉄道雑誌で絶賛していたはず。京急ファンとしての吉村光夫氏は知らなくても、『まんがはじめて物語』のナレーション、『夕やけロンちゃん』の司会者「ロングおじさん」としてご記憶の方も多いことだろう。

京急2000形の魅力はクロスシートだけではなかった。京急の電車として、最高速度120km/hの運転を達成。快速特急として、併走する東海道本線の列車を追い越す場面は京急ファンの喝采を浴びた。京急初の有料座席列車「京急ウィング号」も2000形で始まった。その後、2100形の登場と交代するように快特運用を外れ、車体側面の中央に扉が増設され、車内をロングシートに変更するなど通勤用の車両に改造。ただし、最高速度と引き換えに加速度が押さえられていたため、かなり限定された運用となっていたようだ。近年は羽田空港から横浜・新逗子方面のエアポート急行などで運用されていた。

引退が発表された3月初めの時点で、京急2000形は8両編成2本が残るのみ。吉村光夫氏の著書『京浜急行今昔物語』によると、このうち1本は今上天皇が皇太子時代にご乗車なされたという。京急電鉄にとって名誉ある電車だ。残してほしい。

世界初の振子式気動車 - JR四国2000系TSE編成

JR四国の2000系TSE編成は、世界の鉄道技術において歴史的な価値がある。TSEは「Trans Shikoku Experimental」(四国横断実験)の略で、四国の鉄道の高速運行を実現するという使命を感じさせる。試作車だったTSE編成の「実験」は成功し、その技術は2000系量産車に受け継がれた。2000系量産車の引退はまだ先のようで、2600系をベースに今後新製する特急形気動車と順次交代する予定とみられる。

  • JR四国2000系の試作車TSE編成

TSE編成の最大の特徴は、車体傾斜に振子式を採用した気動車であること。電車では国鉄381系で振子式が採用され、曲線区間で高速運行ができるようになった。しかし気動車では技術的な問題もあり、それまで振子式を採用した例がなかった。

電車の場合、モーターの軸は枕木の方向にあり、回転はレールの方向になる。振子式を採用した場合も、モーターの回転に影響されない。しかし気動車の場合、エンジンの回転軸はレール方向にあり、回転方向が枕木方向になる。この回転方向が振子機構に対して反作用を起こす。エンジンの回転方向には傾きやすいけれど、エンジンの逆回転方向に傾けると反力の抵抗を受ける。

気動車の場合、エンジンを車両の床下に設置し、プロペラシャフトとデファレンシャルギアを使って車軸を回す。だからエンジンの回転方向を横向きにはできない。TSE編成はこの問題をどう解決したかというと、ひとつの車両にエンジンを2台乗せ、互いに回転方向を逆にして、反力を打ち消した。いわれてみれば「なあんだ」という話だけれども、エンジンの回転数、振子機構の作動時の挙動など、調整に苦心したと思われる。

それでもJR四国は振子式気動車を導入したい事情があった。TSE編成が完成する前年、1988年に瀬戸大橋が開業したことも大きな理由となった。鉄道と高速道路の併用橋で、本州と四国を結ぶ特急列車などを運行できる。その反面、瀬戸大橋の開業をきっかけに、四国内で高速道路の整備も進む。新しいトンネル技術で直線的な高速道路が建設された場合、特急列車の強力なライバルになるだろう。曲線の連続する区間が多い四国では、電車で成功した振子技術を活用し、非電化幹線の曲線を高速走行する列車が必要だった。

TSE編成の登場によって、気動車の振子技術が確立された。JR北海道の技術者が特急形気動車キハ281系を開発する際も、JR四国に教えを乞うたという。JR西日本のキハ187系も、TSE編成がなければ実現しなかっただろう。JR四国だけでなく、日本の鉄道にとっても気動車の振子機構は画期的だった。産業遺産としても価値ある車両だ。

JR予讃線の伊予西条駅には、駅の両側に「四国鉄道文化館」がある。新幹線計画を進めた四国出身の十河信二にちなみ、新幹線0系やディーゼル機関車DF50形1号機などが保存されている。広場にはフリーゲージトレインの試作車もある。ここがTSE編成の保存展示にふさわしい場所といえる。空間はありそうなので、あとは資金かもしれない。クラウドファウンディングを活用したらいいと思う。筆者も少額ながら参加したいし、保存されたら、その下回りをじっくり見物してみたい。