動画配信サイト「Hulu」は、2013年12月からNHKのドキュメンタリー番組の配信を実施している。そのなかには大人気だったドキュメンタリー番組『プロジェクトX 挑戦者たち』の一部も含まれている。今回はその中から、第140回(2004年4月6日放送)の「100万座席への苦闘 ~みどりの窓口・世界初 鉄道システム~」を紹介する。対立する現場を成功に導いたきっかけは、なんと「お誕生日会」だった……。

いまでは当たり前のようなシステムの導入秘話(写真はイメージ)

増大する指定席、奇妙な回転台

昭和30年代。高度経済成長が進み、人々は出張に、旅行にと鉄道を利用した。スピードと快適性が求められ、東海道本線の特急「つばめ」「はと」など、主要幹線に特急列車が生まれ、夜間は寝台急行が走った。しかし本作品では、鉄道の栄光には触れない。画面は白黒の資料映像で、窓口の混雑と、奇妙な回転台を載せた事務机と、その回りで忙しそうに働く背広姿の職員を追う。このとき、指定席は全国18カ所にある「指定席管理センター」で処理されていた。

駅の窓口で利用者が指定券を申し込むと、駅員は列車を管轄する「指定席管理センター」に電話をかける。そこで管理担当者が台帳に予約の有無を確認し、空席なら販売よしと伝えて印を付ける。机の上の回転台は、列車の台帳を載せる棚だ。複数の担当者がすぐに取り出せるように回転する。その速度、なんと秒速1m。手回しだがつねに回転しており、取り出しよりも収納のほうが難しい。うまく収まらないと弾き飛ばされる。そんな神業でも処理は間に合わない。発券に半日かかることもあり、発車に間に合わないというトラブルもあった。

これをコンピューターで処理できないか

手本は米国の航空会社が研究中の座席予約システムだ。しかし、列車の予約システムは飛行機に比べるとかなり複雑になる。日本のコンピューター製造は始まったばかり。必然的に、世界で最も処理能力が求められる鉄道業務自動化システムになる。しかし、国鉄はこれをやり遂げなくてはいけない。日立製作所が開発に参加し、国鉄とのプロジェクトが始まった。

システムの名称はマルス。ギリシャ神話の軍神になぞらえた。さまざまな問題のひとつひとつを克服し、10年目に全国規模のシステムとなった。ところが、さらに困難が起き始めた。指定席列車が増大し、オンラインのデータ要求がシステムの処理能力の限界を超えてダウンするのだ。二重発券、三重発券のミスの連続。ハンコ式の駅名印字方式で、印面がすり切れて使えない……。

プロジェクトは破綻しかけていた。国鉄側の要求に対し、日立製作所は「できない」と言う。日立製作所が求める仕様を国鉄はまとめられない。映像では、再現部分と当時の担当者にインタビューする部分が繰り返される。ある国鉄側の担当者は、マルスの不備で九州に大量の二重発券が起きたときを振り返り、30年以上も前の当時を思い出して、いまも本気で怒っていた。滑稽だが、それほど現場は混乱していたのだろう。

国鉄対日立製作所。その構図を憂慮した国鉄の責任者は、「これはもはやプロジェクトではない」と危機感を募らせる。「業者」と「顧客」という枠組みを超えて、一体となってプロジェクトを進めたい。そのためにリーダーが採用したアイデアは、「国鉄職員の若者を100人起用し、うち30人を日立製作所に出向させる」だった。しかし、その現場も混乱が続く。日立製作所の技術者は、「国鉄はコンピューターをわかっていない」と見下し、国鉄の現場は、「日立は鉄道の現場をわかっていない」と憤慨する。

そこでリーダーは新たな策を練る。それが「お誕生日会」であった。「幼稚園以来だ」と失笑される中、毎月1度のパーティは続けられた。そして次第にプロジェクトがまとまっていく。そんな現場の混乱と団結をよそに、国鉄上層部は特急列車の増発計画を立てる。遠くない将来、1日100万座席の時代が迫っていた……。

電子書籍版も合わせて読みたい

『プロジェクトX 挑戦者たち』は、プロジェクトに関わった「人間」にスポットを当てたドキュメンタリーだ。しかし、鉄道に関連する今回は、NHKの資料映像をふんだんに見せてくれる。冒頭には151系「こだま」、その奧には客車特急がすれ違う。EF58形+青大将編成「つばめ」「はと」、EF58形+20系ブルートレイン、キハ10系気動車+無蓋貨車の混合列車、新幹線0系・300系の現役時代、国鉄最後の日のDD51形牽引の記念列車、そして東京メトロ千代田線の6000系など。鉄道ではないけれど、神奈川県警のS30型フェアレディZのパトカーも懐かしい。マルスとパトカーがどう関連するか、映像を見てのお楽しみだ。

ただし、今回の主役は指定券予約システム「マルス」だ。スタジオでは最新型マルスでJRの女性係員が発見を実演してみせる。過去の資料映像には歴代のマルスシステムが登場する。筆者はマルス105以降で採用されたブック型端末(M型)が懐かしかった。筆者の青春時代の旅は、あの機械から印字されたきっぷとともにあった気がする。読者にとって、懐かしのマルスはどのあたりだろうか?

また、映像作品と合わせて電子書籍版もおすすめだ。ノベライズではなく、時間の都合で映像化できなかったエピソードをふんだんに盛り込んでいる。コンピューターが専用型から汎用型へ代わり、OSやファームウェアの導入、ソフトウェア志向へのシフト。コンピューターの技術が現在ほど発達していない。そんな時期にプロジェクトに関わった人々の仕事ぶり。困難なプロジェクトに最も必要な要素とは何か? ハードウェアでもソフトウェアでもない。ヒューマンウェアであった。それは現代も共通する。

※写真は本文とは関係ありません。

『プロジェクトX 挑戦者たち 100万座席への苦闘』に登場するマルスシステム

マルス1 1960年運用開始。電車特急「こだま」をターゲットとし、1日4列車、15日の予約を処理した。ただし、きっぷは発券できず、プリントされたデータをもとに。手書きできっぷを作った。本作品では熟練職員による手作業よりも処理は遅かったと紹介されている
マルス101 マルス1の100倍以上の処理をめざした名前。乗車券の印刷機能が付いた。しかし1列4席の指定席しか対応していないため、1列5席の新幹線には採用されなかった。書籍版には新幹線側プロジェクトがマルスの信頼性を考慮して採用を見送ったとも書かれている
マルス102 新幹線の1列5席に対応。みどりの窓口の発足と同時に導入された
マルス105 山陽新幹線開業と全国特急列車網の充実に対応するため、140万席に対応した。映像では駅名や列車名をブック型の機械とピンで入力するN型端末機も紹介
マルス501 現行システム。端末機はタッチパネルとなり、熟練した職員は3秒で発券処理ができるという