残業ゼロへの布石

勤務時間ではなく能力が評価される「働き方」を実現するためだと主張する「ホワイトカラーエグゼンプション」。「残業ゼロ法」と批判されています。対象者を年収1000万円以上としましたが、施行後の「条件変更」はよくあること。また、政府はインフレを目指しており、物価が上がれば給与も上昇し、少子高齢化による人手不足が招くのは人件費の高騰。いずれにせよ自然と「残業代ゼロ」の対象者は拡大へと向かうことでしょう。

そもそも大義名分に掲げる、勤務時間に縛られない「働き方」は、「裁量労働制」や「フレックスタイム」といった、現行法の枠内で充分に実現可能です。これらが充分に機能していないのなら、問題は法律にないと考えるのが論理的思考です。わざわざ新しい法律を用意するということは、目的はそこにないことを意味します。そして「ホワイトカラーエグゼンプション」を求めたのは、有識者で構成された「産業競争力会議」です。会議のメンバーのひとりは三木谷浩史氏。いわずと知れた楽天の社長で、上場企業の代表が、自社に不利な法律を提言すれば、株主代表訴訟を起こされかねません。つまり、企業にメリットがある法律であることは明らかです。

楽天社員の実態

就職ポータルサイト「マイナビ2015」に掲載された「楽天」の待遇に見つけた一文です。

"※月40時間を超えた時間外労働には、別途手当あり"

「月給」のなかには「残業代」が含まれていることを意味します。週休2日の場合、20日勤務計算で、毎日2時間の残業にあたり、

"標準勤務時間帯:9:30~18:00(7.5h)"

ということは、毎日20:30までの「残業代」が、月給に含まれていることを意味します。建前上の解釈をするなら、仕事が終われば、すなわち「成果」を出していれば、毎日終業時刻の18時に帰社してもよいということになります。これまた、建前論に立てば、「残業」とは非日常的な労働時間の延長ですから、定時退社が守られているか、あるいは法定労働時間の8時間で帰社できていなければならないはず。

ならば安倍晋三首相は「ホワイトカラーエグゼンプション」の議論において、三木谷浩史氏にこう問うべきです。

「楽天社員の平均労働時間を教えてよ」

定時退社が大半を占めるなら、ホワイトカラーエグゼンプションが、残業代をゼロにするためでないと反論する強力な「証拠」になったことでしょう。

ブラックからホワイトへ

ソフトハウスのA社とB社。A社は残業代が支給され、B社は裁量労働制を採用し、どちらもフレックスタイム制です。待遇面から見たB社は、いわば「ホワイトカラーエグゼンプション」です。ところがプロジェクトを完遂すれば、午後4時過ぎには飲みにでかける社員がいるのは残業代が約束されたA社で、B社は終電まで誰ひとり帰宅しません。A社は無駄な残業代をカットするため、早い時間での帰宅を奨励していますが、B社では社員が定時退社をしようものなら、ノルマが加増され、それが未達となれば評価は下げられます。最悪のケースでは、労働時間が増えた上に給料が減らされるということです。

B社はフレックスタイムと裁量労働制を組み合わせることで「長時間労働の末の残業代ゼロ」を実現しているのです。脱法的で悪質ですが、ホワイトカラーエグゼンプションの成立により、B社の雇用形態は合法化します。

ホワイトカラーエグゼンプションの先進国とされる米国は、突然のレイオフ(会社都合の解雇)もあれば、キャリアアップのための転職も日常です。3年以上同じ会社に勤めていると無能に見られると、国内にある外資系IT企業に務める社員は教えてくれます。いわば案件ごとに離合集散する「個人事業主」が米国のホワイトカラーです。その為、自分を高く売り込むことに余念がなく、ハッタリやビッグマウスが一般的なら、「成果主義」へと帰結するのは必然です。

フィンランドの事情

一方、日本人は職場の空気を大切にします。日本でフレックスタイムすら根付かなかったのは「空気」を読む国民性も大きな理由です。同僚が残業するのを横目に帰宅するのは忍びなく、仕事が早いからと帰宅すれば、自分のことしか考えていないと陰口を叩かれるリスクも生まれます。デメリットもありますが、多くの日本人がそれを「是」とし「チームワーク」と名をあて称揚します。こうした国民性を考慮せず、現行法の運用を見直しもせず、導入されるホワイトカラーエグゼンプションとは、社員を更なる残業地獄に追い込むことになる「働き方0.2」です。

また、女性の社会進出を否定はしませんが、盲目的に礼賛する安倍政権に、いかがなものかと首をひねります。女性の労働力を活用するフィンランドなどは、そもそも戦争で男性が減ったことからの必然で、やむにやまれず生まれた社会制度です。つまり、働き方とは国民性に加え、歴史を反映するものなのです。日本人が受け継いできた文化や習慣を基礎とする信条を「保守」とするなら、ホワイトカラーエグゼンプションなど保守に値しません。すると安倍首相の政治思想とは「保守0.2」なのかもしれません。

エンタープライズ1.0への箴言


「労働環境は法律より空気の日本人」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」