彦星と織り姫が倦怠期にならない理由

機(はた)織り名人の織り姫と働き者の彦星は、結婚するとイチャついてばかりいて働かなくなり、それを怒った天帝がふたりを引き離し、一年に一回だけ会うことを許したのが七夕伝説です。ロマンティックな物語ですが、現実に置き換えれば、364日機を織ってばかりの織り姫と、牛を追い続けた彦星に訪れる「価値観の相違」は天の川の流れをより早くし、ふたりを引き裂くのではないでしょうか。

私が若手と呼ばれていた頃、「新婚夫婦に天帝も野暮なことをする」といったところ、先輩が寂しそうに呟きました。

「年に一回しか会わないぐらいがいいんだよ」

いつまでも新鮮な気持ちでいられるということで、その後に続いた奥さんへの愚痴は個人情報のため割愛させていただきます。

しかし、新鮮な気持ちが必ずしも良い結果を生むとは限りません。また、機織りや牛追いを「専門」にやらせるリスクを配送業のA社長が教えてくれます。

コンピュータの権威誕生

A社長の会社がOA化したのは、インターネットが普及するはるか前のバブル絶頂期のことで、当時の最新システムを導入しました。   ウィンドウズ以前のパソコン(正しくはオフコンですが)は、操作に一定の技術が要求され、素人に管理運営できるものではなく、システム会社から管理要員が派遣されていました。バブル崩壊の煽りを受けてシステム会社は親会社に整理統合されることになり、そのどさくさを利用して管理要員を転籍させます。

管理要員のNさんはすぐに課長となり以来10年以上、システム部門の専門家として君臨し「権威」となりました。

10年ひと昔といいますが、ドッグイヤー・マウスイヤーと呼ばれるIT業界の早い時間の流れで10年前は太古の昔で、バブル期の最先端システムもITバブル崩壊以降の21世紀では化石のようなものです。そこで新システムの導入が検討されることになりました。

俺、知らないんだよね

各部署の代表者が集まり、要求が挙げられます。業務担当からは、関東に散らばる配送センターをインターネット回線で結び、リアルタイムで情報共有をしたいと「ネット対応」の要求がありました。フロッピーディスクと伝票をトラックに運ばせている現状を鑑みて、当然の要求です。するとN課長はクラッキングの新聞報道を例に挙げ、不正アクセスによるセキュリティを懸念するコメントを発し、水を差します。10年君臨し続ける権威の苦言は、事実上の拒否権の発動です。

続いては「インタフェース」です。従来のシステムがテキストベースで描画されており、少し高度な操作にはコマンドライン入力(マウスなどを使わず文字入力だけで操作する方法)となります。 

そこで、「ウィンドウズのような」ビジュアル操作をほぼ全員が求めます。視線がN課長に集まり、彼は意外な言葉を発します。

「俺、知らないんだよね、ウィンドウズ」

21世紀の話です。ウィンドウズ自体はなんとなくは分かるが、それがシステムとなった時の想像がつかないというのです。N課長は今でもワープロ専用機を愛用しており、表計算はその必要性を感じないと公言し、インターネットもめったにやりません。自宅にプレステはあっても、パソコンを持っていません。自宅に帰ってまでコンピュータに触れたくないという理由です。

ガラパゴス化する専門家

システム会社の派遣社員だったN課長を引き抜いたのはA社長でした。以来、N課長はA社長の「コンピュータ」のシンクタンクとなります。シンクタンクの「知らないんだよね」発言に、A社長はこう答えました。

「N課長が知らないのなら見送ろう」

「新鮮さ」とは不勉強の裏返しでもります。A社長がITと向き合うのは、この新システムの話を除けば6月末の決算直前だけでした。利益の使い道を探す季節行事です。シンクタンクのN課長は「自分の知っている範囲」で誠実に回答します。回答は誠実でも、彼に答えられるのは専門知識を要するオフコンと風聞の組み合わせで、素人のA社長には理解できず、1年間「先送り」されます。

翌年、同じ話が繰り返されても、364日という時の流れが記憶を風化し、新鮮さが蘇ります。新鮮さが理解を遠ざけ、問題を先送りする繰り返しです。織り姫と彦星なら微笑ましくもあるのですが、経営者とITの逢瀬が年に1回というのは笑えない話です。

最後にN課長を弁護します。引き抜かれてからの彼の日常は、早朝から深夜までシステムの付属品となることでした。トラブルが発生すれば解決に追われ、解決すれば通常業務が山積みになっています。この状態がずっとですから、家に帰ってまでコンピュータに触れたくない気持ちも分かります。

専門家を社内に閉じこめてしまえば、時代の変化に取り残されてしまいます。一心不乱に機を織りつづけて工業化に遅れ、牛の尻を叩き続けて動物愛護団体に訴えられるようなもので、日本の携帯電話業界の「ガラパゴス化」にも重なります。つまり、中小企業で社員の専門性を高め過ぎると弊害となることがあるのです。

余談ですが、先送りにより投資先を失った利益はA社長の自家用車のグレードアップや、社長室の増築、調度品へと転用され七夕ごろに毎年納品されていました。

エンタープライズ1.0への箴言


「社内専門家を評価する仕組みが必要」