党首討論にでた正直

「近いうち」とは100日を指すという、新しい日本語の解釈が生まれ、まもなく衆院選挙がはじまります。解散を明言した党首討論で、野田総理は小学生時代の通信簿を持ち出して嘘つきではないと力説しました。半世紀以上も生きたる大人の誠実さの証明が「通信簿」とは、情けないほどしょぼい「論拠」ですが、彼はその討論のなかで正直者であることを証明してみせました。それは

「自民党政権時代の負の遺産が多すぎた(要約)」

と対峙した自民党安倍晋三総裁への当てこすりです。それは見通しの甘さと、実力不足の告白を意味するからです。そしてこの正直な告白を、予算を組み替えれば16兆円を捻出できると掲げ、実現できなかった見通しの甘いマニフェストが裏打ちします。

しかし、正直に告白すればすべてが許されるのは小学生も低学年までです。ましてや政治家なら言わずもがなで、一国の首相ともなれば、正直に告白したからといって、その責任が減じられることなどありはしません。そもそも、できなかった理由を前政権、すなわち前提条件に求めるのは、正直の対極にある卑怯の告白です。失敗が明らかになってから、そもそも論を蒸し返す上司や同僚をあなたは信用できるでしょうか。

クレタ人は嘘つきか

大人になれば嘘をつくことも仕事のうちです。必要悪であり、お世辞などは人間関係の潤滑油です。だいたい野田首相のように、正直であることを自ら喧伝する人が信用されることはありません。有名なパラドックスにあるように「わたしは嘘つきです」という嘘つきはいないからです。そして正直が常に正しいとは限りません。今回は野田総理もビックリの「正直者」のお話しです。

ホームページ(Webサイト)制作業のI社長の顧客には、地元の名士が経営する幼稚園や、地元の有名企業に、地元選出の衆参両議員が名を連ねます。I社長がこの業界に参入したのは、ちょうど民主党による政権交代前後と日が浅いのですが、人脈を頼りに顧客をひろげ、地域では名前を知られる存在になっていました。ある日、やはり旧知の建設会社の社長からサイト運営を依頼されます。ホームページを作るのは初めてで、すべてをI社長に委ねるというのです。もちろん、こうした実績をみての依頼です。

1カ月後にサイトは完成します。トップページと会社の地図に、問い合わせのメールフォームという簡単なものです。I社長はシンプルな方が良いのだと建設会社社長に説明しますが、納得しないのは建設会社の社員達でした。業務の詳しい紹介もなければ、いま一番力を注いでいる「外張り断熱」のページもありません。これではビジネス的になんの貢献もしないとコンテンツの追加を社長に要求します。

正直者の告白

この話をI社長にそのまま持っていきます。すると「シンプル」が良いという同じ説明を繰り返した後に、I社長は正直に重大な告白をします。

「ホームページはあることが大切。そこから客が来ると思わない方が良い」

もちろん、そんなことはありません。ホームページから客が来なければ、SUUMO(スーモ)やアットホームといった不動産専門サイトは運営できません。Amazon.comや楽天市場といった物販だけでなく、「一休ドットコム」のような旅の予約サイトもホームページで客を集めていることはいまさら説明も不要でしょう。しかし、I社長が嘘をついているのではありません。I社長の手柄で、客が来たことがないという正直な告白の「正直0.2」だったのです。

I社長が手がけた幼稚園は地元で名門として知られ、人気が高く秋の入園申込時にはサイトへアクセスが跳ね上がります。衆参両議院は街中にポスターが溢れかえっており日常的に検索され、ごく希にテレビ出演でもすれば訪問者の桁が跳ね上がります。つまり、各クライアントのリアルの活動が、サイトへのアクセスとなったことはあっても、I社長がコンテンツなどで仕掛けて客が集まった経験がなかったのです。だからI社長にとって「ある」だけでホームページが役に立ったのは事実であり、それを正直に述べたに過ぎません。

不動産屋だから

もちろん、それを言ってはおしまいです。建設会社社長がこの話しを知人にしたところ、別のホームページ制作業を紹介されたのは当然の話です。

そもそも人間社会で、正直とは共通する道徳を土台に持ってはじめて輝きを発する言葉です。道徳の定義が異なれば、正直の意味が変わるからです。自分の心に正直でいるために浮気を繰り返す人や、物欲に正直になりカード破産に陥るものもあれば、ときどきの感情に正直に、非常事態にあたっている東京電力(東電)に乗り込んで怒鳴り散らした元首相もいました。むしろ現代社会において、大の大人で「正直」を名乗るものが害悪をふりまいているシーンに出会うことが少なくありません。I社長は彼の私見において「正直」でしたが、彼に委ねられた職務においては「不誠実」です。

自民党時代の負の遺産の多さを野田首相は嘆きました。しかし、鳩山政権時代は95兆円、菅政権で96兆円、野田政権でも90兆円と自民党時代より一般会計の予算を増やし続け、「多すぎた」と自覚する負の遺産を、さらに増やし続けたのは他ならぬ自分たち=民主党政権です。つまり両者は同罪で、事実の一部だけを切り取り「正直」に述べたとしても、一般社会ではそれを「詭弁」と呼びます。

エンタープライズ1.0への箴言


「正直にいったからと許されるものではない」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」