家計簿と国家会計の違い

まもなく1,000兆円を超えると言われている我が国の借金。まるで頭の悪い小学生が欲しいとねだるお年玉の額のようです。この額をもって「日本破綻」を呼びかける人は少なくありません。しかし、即破綻というのは論理の飛躍です。日本の借金の大半は国債で、その国債は国内で消費されており、同じく論理を飛躍させれば、すべての借金を棒引きにする「徳政令」を出せば、国の借金もチャラになります。

実現可能かどうかはともかく、そんなスーパーパワーを持つ「国家」と「家計」を同列で語るのが破綻論によく見る「家計簿解説」です。

これは国の収支を家計簿でわかりやすく解説するものですが、わかりやすいことと正しいことは別次元の話です。例えば、家計簿では「住宅ローン」はキャッシュが減るものとしてのみ扱われますが、これは単式簿記の手法です。しかし、このやり方では住宅ローンを完済した時に、住宅という「資産」が突然誕生することになります。

一方、企業会計で使われる複式簿記では住宅ローンの支払いによるキャッシュの減少は、同時に「資産」が増えたと記録されていきます。国家の会計はこちらに近く、支出の「中身」やそれにより形成される「資産」を同時に見なければ、経営実態は見えてこないのです。複式簿記は収支に対して発生した事象を必ず対にして記録することから「バランスシート」とも呼ばれます。

もっとも、予算使い切りの「単年度会計」は「家計簿」と遜色ないのですが。

覚えていますか? 「eビジネス」

柔らかな光が差し込む昼下がりの会議室に、H社長の怒声が響いたのは定例の店長会議でした。新古書売買チェーンの有力フランチャイジーの同社は、地方の中核都市を中心に十数店舗を抱えています。H社長は各店の売上が軒並み下がっていることへの怒りをオブラートで包むことなく、店長たちにぶつけているのです。また、H社長自らが率いる「ネット通販事業部」の売上増加が、叱責をより厳しいものにします。

ネット通販事業部は西暦2000年前後の「eコマース」ブームに乗って始めました。当時は電子商取引(EC)への幻想が強く、ITバブル(eビジネスブーム)も手伝い「e」という頭文字で始まる運送会社にまでベンチャーキャピタルが声をかけてきたと言います。バブルはすぐに弾けます。ネット通販事業部は、ネットに詳しいという理由から、アルバイト1人に丸投げしていたもので、彼の退社により開店休業となっていました。折からの不況による停滞を打破するための活路を探していた時にネット通販を思い出し、H社長自らが「本部長」を名乗り、陣頭指揮をとり売上が急上昇したのです。

「買取はないけど売上は計上される」が増収のカギ

売上急上昇の理由は品揃えの充実です。以前は「ネットで買い取った商品だけをネットで販売する」という独立採算的な方針でしたが、本部長となったH社長の指示により、POSで管理している既存店舗の在庫を販売し始めたのです。品揃えが増えればアクセス数が上昇します。月に1回のアクセスしかない商品でも、1万冊用意すれば、比例したアクセスを期待できるのです。

何より売上に貢献したのは、店頭で買い取った人気コミックがリアルタイムにネットで販売されたことです。新古書店に限らず、書籍を扱うすべての業種において、一部の人気コミックが売上全体に与える影響は大きく、「ワンピース」のような超人気作品は入荷と同時に売れていきます。その結果が先の叱責へと繋がります。

しかし、既存店の落ち込みはネット通販事業部が理由です。人気商品は買い取った端から売られ、その売上はネット通販事業部に計上されたうえ、発送作業も店頭に押しつけられているのです。ネット通販事業部として買取できていないことも有利に働きます。買いとった商品の中には売れずに不良在庫となるものもありますが、注文があった時だけ既存店から「仕入れる」形をとっているのでロスがありません。つまり、H社長の誇るネット通販事業部の躍進とは、表面上の入出金だけを記録した「家計簿」のような「バランスシート0.2」です。

ゲーテの言葉にもあるように

さらに、実店舗ではアルバイトの「人件費」も踏まえて利益計算がなされていますが、ネット通販事業部のそれは会社全体の販管費の中に組み込まれていました。そして、社内で最も高給取りのH社長の人件費は計上されていません。

かのゲーテは『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の登場人物に「複式簿記は人類の産んだ最大の発明のひとつ」と語らせています。住宅ローンの支払いが財産形成を指摘するように、取引によって生じる両面を記録することで、取引の実態を誰が見てもわかるようになるからなのでしょう。

反対にH社長が行ったような家計簿的集計方法では、取引全体の問題点を見つけにくくなるどころか、結論を恣意的に操作できてしまうのです。法人は複式簿記が義務づけられていますが、仕入れと支払いは各店の合算値で行っているため、H社長が各店間の取引により生じている問題に気づくことはありませんでした。

残念ながら我が国も似たような状況です。先に述べた「単年度会計」だけではなく、霞ヶ関の役人による恣意的な会計基準を用いることは、TPPに関する農水省と経産省の試算が異なっていたことからも明らかで、そもそも一年ごとの収支をバランスシートで記録していません。つまり、日本国財政の実態がわからない現状では、「破綻か否か」を議論することさえできないわけです。

エンタープライズ1.0への箴言


「社長は自分に都合の良い数字を作りたがる」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi