1949年の創立以来、生鮮魚介類販売を中心に食品事業を手掛ける東信水産(東京都杉並区)。都内百貨店や首都圏スーパー、渋谷ヒカリエ、MARK IS みなとみらいなどに、計45店舗を展開している。「水産会社としての枠を超えた新たなビジネスに挑戦」する同社は、店舗および部門責任者にiPadを65台導入した結果、店舗売上前年比が10%も向上したという。

荻窪総本店 店舗

大量のFAXでの業務連絡をスマートに改善したい

同社がiPad導入を検討した理由は、バックヤードの業務改革だった。売上報告や発注、棚卸など各種データの報告方法は、各店舗からFAX送信で本社へ提出させていた。その運用の煩雑さ、非効率さを解消し、業務効率化を図ろうと考えたのだ。

iPad導入以前の状況について、常務取締役 織茂信尋氏はこう語る。

「前日分の店舗売上を集計するには、本社の担当スタッフが1.5人体制で朝から全店舗分のFAXが送られてくるのを待ち、集まったFAX用紙を確認しながら、数字を手作業でPCに打ち込んでいました。作業負担が大きく時間もかかるのが悩みでした」(織茂氏)

常務取締役 織茂信尋氏

加えて、本社部署間の連携方法に無駄が多いことも課題だった。店舗から本社へのFAX報告には、売上データ、発注データなどがあり、売上データは営業企画部が集約して売上速報に、発注データは商品部が集約して取引先に発注をかける。

取引先から送付された請求書データは、経理部が支払い処理をする。それらの処理を、各部署が紙ベースで個別にやり取りしていたため、時間も労力もかかっていた。そこで、一連の流れをデータベース化して社内で共有し、それぞれの業務を連携させる効率のよいシステムの構築に取り組んだ。販売現場を陰で支える本社が機能性を向上させれば、店舗への対応もスピードアップし相乗的に販売体制の強化につながる。

店舗側から本社へデータ送信するデバイスについても検討した。店舗で抵抗なく活用してもらうため、使いやすく簡単な操作で活用できるものにしたい。当初、PCの導入も検討したが、操作性への不安から店舗スタッフの抵抗が強かった。そこで、店舗用入力ツールとして選ばれたのがiPadだった。

選択の理由を織茂氏はこう語る。

「鮮魚店舗では、水濡れに強い機器が求められます。PCなどの精密機械に比べ、余計な機器やケーブルがなく少々濡れた手でタップしても平気なiPadは最適でした」(織茂氏)

iPad導入でペーパレス化と業務効率向上を実現

同社は当初、15台のiPadを都市型百貨店店舗に導入した。FAXによる運用をiPadに切り替え、約1年間実証実験を行いながらシステム開発を進め、65台のiPadを本格導入した。

「1年間じっくり時間をかけて、現場で活用を検証しながらアプリ開発を行いました。その甲斐あって、店舗で使い勝手のよいツールが誕生しました。OA操作が苦手なスタッフでも、大きな画面を見ながら直感的な操作で簡単に入力できるので、店舗に配付した際もすぐに受け入れられ、活用してもらえました」(織茂氏)

システム全体像

同社が店舗用に開発したアプリが「Fish Order」だ。店舗のiPadからアプリをタップしてログインし、売上は売上画面、発注は発注画面からそれぞれ入力する。各店舗で入力された数値は、売上データ、発注データ、棚卸データとして即座に集約され本社での閲覧・分析が可能になる。

Fish Order入力画面 指先でタップして選択するだけなので簡単に入力できる

Fish Order発注画面、画面が大きく分かりやすいのですぐに使えるようになる

「Fish Order」導入により、本社の業務にはさまざまな効果が現れた。例えば、店舗へフィードバックしている売上速報。FAX運用時には最速でも2営業日後の夕方配信がやっとだったが、iPad導入により翌日昼過ぎには配信可能になった。売上速報が約1日半短縮したことにより、店舗では最新の売上データを見ながら次の戦略が立てられるようになった。 発注でも精度が上がった。各店舗からの発注データは、入力された時点でリアルタイムに集計される。バイヤーは集計されたデータを見れば、全店舗のニーズや欠品状況がすぐに把握でき、適切なタイミングでの発注が可能になった。商品を一括して仕入れることが可能になり収益性が格段に上がったという。

「FAXを集めたり数字を入力する時間が不要になったので、その時間でもっと分析的な作業をできるようになりました。店舗と本社間でのスピーディな対応が実現し、売上状況や発注状況など、直近のデータを見ながら対策を検討できるようになった効果は大きいです」(織茂氏)

さらに同社がiPadを導入したメリットは、これだけでは終わらなかった。導入時には想定していなかったところに効果が現れたのだという。

店舗同士のリアルタイムな情報共有で、社員のモチベーションと売上が大幅UP

「Fish Order」と並行して導入したのが、バッファローの「WebAccess i」だ。iPhone・iPad・Androidスマートフォンから、社内のネットワーク型ハードディスク、NAS(Network Attached Storage)にアクセスできるアプリケーションだ。

この「WebAccess i」を社内共有フォルダのように活用し、各店舗のiPadから写真や動画などを自由にアップロードできるようにした。

「せっかくiPadを導入したのだから、売上管理以外にもいろいろ使ってみてほしい」といった程度の意図で提供したツールだったと、織茂氏は振り返る。だが、店舗側ではこのツールが非常に好評で各店舗で活用が拡がったという。

iPadを通じて、画像や動画を共有できる環境が用意されると、「店舗レイアウト」や「接客販売の手本」「魚のさばき方」など、各店舗から画像や動画が次々アップロードされ他店同士で共有し合う動きが起こった。こうした自発的な活動に本社側は驚いたというが、その動きを取り入れて今では日常業務の一環として活用している。

例えば、毎朝の開店時刻になると、各店舗がその日の店舗レイアウトや陳列状況をiPadカメラで撮影し、「WebAccess i」にアップロードする。本社担当部長が集まった店舗画像を確認し、よいレアウトのものがあれば、その場で全店舗に展開する。各店舗は、すぐさまiPadから情報を確認する。

小規模でもきれいにレイアウトしている店舗や、上手な接客をしている店舗はある。売上を伸ばしている店舗のノウハウが、毎朝iPadを通してリアルタイムに店舗間で共有される仕組みだ。

「各店舗での取り組みを公開し合うことで、よい意味での競争心やモチベーションアップにつながっています。『自分たちが新しい取り組みをしたので見てほしい』という店舗からの情報発信力が高まっています。一方、どうやって売上を上げたらいいか悩んでいた店舗は、うまくいっている店舗を見ることで何をしたら良いのかが分かります。iPadが全店舗の底上げに効果を発揮していると思いますね」(織茂氏)

荻窪総本店 志賀昇氏

実際に店舗でiPadを活用する志賀昇氏(荻窪総本店勤務)もiPadの効果を実感しているという。

「以前、情報はFAXでやり取りしていたため、大量の紙の管理や整理が大変でした。今は必要な情報はすべてiPadで確認できます。売上速報や周知事項などはメールで送付されるようになり、必要な時に検索していつでも見返すことができます。他店の情報も画像や動画で知ることができるなど、得られる情報量は増えているのに整理された環境で閲覧できるので非常に便利になりました」(志賀氏)

iPadのカメラで店舗の写真を撮る志賀氏

iPad導入による業務効率化と各店舗のモチベーションアップ。同社の取り組みの効果は、売上にも現れた。導入の翌月から、店舗売上前年比が目に見えて向上したという。

「会社全体では前年比が5%、スーパー部門では10%向上しました。売上が向上した時期は、iPadを導入した時期とぴったり重なります。近年の食品市場は、少子高齢化などで市場は伸び悩み、そう簡単に売上は上がらないのが現状です。そのような環境の中で、iPadを利用した業務改革は大きな効果を発揮したといえます」(織茂氏)

実際のiPadの活用方法は、以下の動画にまとめられている。


水産会社IT化の成功モデルを目指す

「Fish Order」は、現在もシステム改良が続けられている。最終的には、店長がiPadに必要情報を打ち込めば、その場で最終的なPL(Profit and Loss statement 損益計算書 )を確認できる仕組にする。店長がiPadにスタッフの予定残業を入力すれば、それが最終的に営業利益にどう反映するかが分かる。計画段階ですべて把握できるシステムへと完成させていく予定だ。

Fish Orderの店長帳簿

今後の取り組みについて、織茂氏はこう語る。

「水産業界にIT化を普及させて盛り上げていけたらいいと思います。まずは、我々が積極的にITを用いた業務改革を進め、成功モデルになって、他の小売店や水産会社へこのモデルを横展開したい。今、Google Glassといったウェアラブルコンピュータ(wearable computer=身につけて持ち歩けるコンピュータ)も話題になっていますね。そういったIT機器を積極的に導入して、お客さまの目線からの小売方法をもっと研究していけたらいいですね」