SFの技術を実現するための鍵となるILC

身体を1.5センチほどに縮めたり、巨大化したりできるヒーローが活躍するマーベル映画「アントマン&ワスプ」がヒットしている。

ネタバレになるのであまり詳しい話はできないが、この作品の登場人物らは「原子より小さな量子の世界」を冒険する。そのため、「素粒子」「量子もつれ」などという難解な科学用語もポンポン飛び出す異色のSF作品なのだ。

「そんな夢みたいな話がウケるなんて日本は平和だ」とシラける人もいるかもしれないが、東京大学素粒子物理国際研究センターの山下了・特任教授に言わせれば、このようなSF映画は決して「荒唐無稽」ではないという。

「エネルギーから物質ができる様子、ビッグバンから宇宙ができたときに何がおきたか、ワープやタイムトラベル、そしてパラレルワールドなど、SF映画やSFアニメに登場するものは、時間と空間の仕組みがわかったら可能か不可能かがわかる。素粒子研究を進めていけばそういう根本までわかる日が来るでしょう。その鍵を握るのが日本に建設予定の国際リニアコライダー(ILC)という施設です」。

  • 山下了・東京大学素粒子物理国際研究センター特任教授

    山下了・東京大学素粒子物理国際研究センター特任教授

ILC実現の課題となる建設費用と運転費用

ILCとは、20キロの直線上で、素粒子のひとつである「電子」と「陽電子」を光の速さで正面衝突させることで「宇宙の成り立ち」を再現できる次世代型加速器。この超巨大なハイテク研究機器を日本、アメリカ、欧州などが協力して、日本に建設・運用しようというプロジェクトが進められている。

  • 超伝導加速空洞の電磁場の様子

    超伝導加速空洞の電磁場の様子。青いパイプ部分が温度2KのHe、奥に向かって伸びている円筒状の装置の中心軸上に電場が形成され、そこで粒子を加速させる (C)Rey.Hori

これまで過去2回にわたって、このILCでおこなわれる研究が、人類を劇的に進化させるだけではなく、放射線医療や次世代交通機関など社会に必要不可欠な先端テクノロジーの発展にも大きく貢献すること、さらに我々日本が得られる大きな恩恵を説明してきた。

ご興味のある方はぜひ前回ならびに前々回の話をご覧になっていただきたいのだが、一方でこのような話を聞くと、以下のような「心配」をされる方もいるのではないだろうか。

そんなにすごいプロジェクトだったら、相当な大金がかかるはずだ。若者世代は年金も十分にもらえないなんて話もある中で、日本のどこにそんな巨大な科学研究施設に金をつぎ込む余裕があるのか……。

確かに、ILCは安くはない。全長20キロという大きさに加え、施設の安全性を担保するためにも、建設から完成まで10年かかり、総工費は7355〜8033億円と試算されている。

もちろん、国際プロジェクトなので、日本がすべて支払わなくていけないわけではないが、リーダーシップをとって日本につくるので半分近くの3750〜4096億円を負担する。つまり、1年で375〜409億円の税金が投入される計算だ。この他にも完成したら、ILCの運転に年間200億円程度かかる。

  • ILC計画実現に向けた費用の概要

    計画実現に向けた費用の概要。参加国数や、技術の発展により1国あたりの費用負担が減る可能性があるが、2018年8月時点での概算では、日本の建設にかかる負担額は10年間の総額4000億円程度となっている (資料提供:ILC推進プロジェクト/山下了)

「いくら人類の役に立つ研究でも高すぎる」と思った人も多いだろうが、ILCというものが、どういう形で運用されるのかを知っていただくと、その印象はガラリと変わるはずだ。

ILCが生み出す巨大な経済圏

「ILCには世界中から膨大な数の研究者がひっきりなしに訪れ、無数のプロジェクトが平行して行われます。世界中100カ国以上からユーザーとなる研究者が集まり続ける。朝から版まで24時間体制で常に2000人以上が滞在、世界からもデータを繋いで五千人以上が研究を続けます」(山下氏)。

現在の計画では、国際リニアコライダーは年間200日稼働する。ということは、単純計算でも年間のべ40万人の一流の研究者たちがILCを用いて様々な研究を行うということだ。先端科学の研究では、1つのプロジェクトに億単位にかかる研究資金を助成金(=税金)として注ぎ込むこともある。それを踏まえれば、1つの施設で膨大な数の研究が進められるILCは1つの研究あたりの単価で考えれば「生産性が高い」と言えなくもないのである。

そこに加えて、運転費用の年間200億円に関しても、「1日2000人」がもたらす影響を考慮すれば違った見方が出てくる。

「1日2000人はあくまで研究者だけの数。彼らはプロジェクトの間は日本に定住するので当然、家族を連れてくることもありますし、ILCの運営に関わる企業や、そうした彼らの頭脳を目当てに、一流のテクノロジー企業もやってくるでしょう。また、そうした頭脳が参加する国際会議も頻繁に行われるため、ILCを中心にして国際的で文化と科学と里山が融合する新たなタイプのコンパクト・シティがつくられるというイメージをしてもらえればと思います」(山下氏)。

  • ILCの作業風景イメージ

    実際に建設されれば、研究者以外にも、画像のように設備をメンテナンスする企業のエンジニアなども多く集うようになる (C)Rey.Hori

実はそのようなモデルケースがすでに世界には存在している。スイス・ジュネーブ郊外にある、世界最大規模の素粒子研究所,欧州原子核研究機構(通称:CERN)だ。インターネット技術の基盤となるWWW(ワールドワイドウェブ)が開発された施設としても有名だが、世界中から一流の科学者たちが集うコミュニティが形成されている事でも知られている。このCERNに実際に滞在していた山下氏もこう述べる。

「世界の一流科学者や企業が集い、互いに刺激を与えながら、様々なプロジェクトやビジネスが動いていました。また、科学者たちもさすがに365日研究に没頭しているわけではなく、街に出て食事をすればお酒も飲むしショッピングもする。休暇になれば観光もする。私自身も家族とヨーロッパ中を旅しました」。

  • ジュネーブの大噴水

    スイス ジュネーブのランドマークの1つ。大噴水

このような「巨大な経済圏」がILCによって形成されるのだ。

ILCというものが、人類にとっても、日本にとっても、はかり知れない恩恵のあるものだということがご理解いただけたことだろう。そこで次回はこの夢のプロジェクトの実現へ向けて、どういった活動や支援が進んでいるのかをお伝えしたい。

(次回は10月2日に掲載します)

監修者プロフィール

山下了(やました さとる)

・東京大学素粒子物理国際研究センター特任教授
・高エネルギー加速器研究機構 客員教授
・先端加速器科学技術推進協議会 大型プロジェクト推進部会 部会長
・東北ILC準備室 フェロー
・ILC戦略会議 議長

1965年、千葉県生まれ。1995年 京都大学大学院卒業、理学博士。専門は素粒子物理実験と加速器科学で、1995年から6年間にわたり欧州原子核研究機構(CERN)に滞在、その間1998年から2001年には、ヒッグス粒子探索グループの統括責任者を務める。国際リニアコライダー計画にはCERN滞在当時より物理研究アジア責任者を務め、以降20年近く計画推進の中心として携わっている。現在は世界最先端の加速器実験により質量と真空の構造の関係、超対称性の研究を行っており、次世代の電子・陽電子衝突型加速器「国際リニアコライダー計画(ILC)」での宇宙の法則の発見と技術の社会利用でのイノベーションを目指している。