前々回から、筆者のヨーロッパ紀行をお届けしております。当時筆者は長旅をしていたので、荷物になってしまうガイドブックのたぐいはほとんど持っていませんでした。スマホもPCも持っていなかったので、旅の情報といえば現地で出会った旅人に勧められたところや、ツーリストインフォメーションで教えられたところを訪問するという、原始的な方法をとっていました。

どうやらここが目指す邸宅のようですが、世界遺産であるとは書いていません

そのすれ違った旅人に見せてもらったガイドブックに載っていた1軒の邸宅が、なぜだか心にひっかかっていました。ブルノというチェコの国境近くの街にある家が世界遺産になっているというのです。プラハに行く通過点だし、とりあえずその街へ行ってみよう、と気楽な気持ちで向かいました。

予約なしでは入場不可の家

ブルノはチェコでプラハにつぐ都市のようですが、駅はさほど大きくもなく、観光で来るようなところでもなさそうでした。駅で地図が入手できなかったので、いろんな人に道を聞きまくって歩くこと10数分。坂を上ってやってきたところは、誰がどう見てもただの住宅地。「こんなところに世界遺産があるの?」という感じでした。なにせ筆者は当時、「世界遺産=世界的なおすみつきがつけられた観光地」だと思ってましたので。

そして看板の前にはこの家。筆者の不安な気持ち、分かってもらえるでしょうか

だまされたような気持ちだったのですが、解説看板はここが目指す邸宅であることを示しています。しかし筆者の目の前には、平凡なただの一軒家しかなかったのです。この家を通り抜けると世界遺産があるのだろうか? まさか、この家そのものが世界遺産?? 普通の家なのに??? 混乱しつつも、ドアベルを鳴らすと管理人さんが出て来ました。

「あなた予約した? してないの。ここは予約制だからだめよ。じゃあね」無常にドアを閉められ、ボーゼン。この家に対する思い入れは申し訳ないけど確かにない、だけどせっかく遠路はるばるやってきたのだし、と思い直してもう1回ドアベルを鳴らしました。先ほどのお姉さんが顔を出して、少しあきれながらも「しかたないわね。じゃあ庭には入っていいわよ」と言ってくれました。そして庭に入ったのです。ちょっと侵入者の気分。

分かったのは、庭は傾斜しておりその家は街を見下ろす高台に建っている、ということでした。家はガラス張りだったので庭から見上げるとなんとなく中の様子がうかがえたのですが、仕切りがなくて広々とした空間をもった、イマドキのおしゃれな家、という感じでした。

お姉さんの言うがまま、とりあえず庭から回りこんでみました

で、どこが世界遺産!? ますます混乱し、庭をうろうろして釈然としないまま駅へと戻りました。その夜、筆者はチェコビールをぐびぐび飲みながら旅日記に書きました。「今日は世界でもっともしょうもない世界遺産を見た」と。

現代建築の元祖であることが発覚!

その後、旅は数カ月続きました。一度ヨーロッパを離れ、南米で4カ月過ごしてまたヨーロッパへ舞い戻る、というちょっと変則的な旅でした。旅を終えて北京に戻り、さらにしばらくして日本へ本帰国してから、もう旅も当分できないし脳内トリップでもしてみるか、と取り組んだのが世界遺産検定でした。

この家をみあげて「世界遺産、はて……」と思う気持ち、共感していただけるでしょうか

そして知ったのです。『ブルノのトゥーゲントハート邸』はミース・ファン・デル・エ・ローエという近代建築の巨匠が設計した、現代建築へ大きな影響を与えたとされる1930年に完成した邸宅だったのです。「機能主義建築の傑作」「現代住宅建築の原点」だそうです。全面ガラス張りも、壁の代わりに家具で部屋を仕切るスタイルも、この家がいわば元祖だったわけです。

ミース……しょうもないなんて日記に書いてごめん。あなたスゴイ人だったんですね。建築好きといいながら、そんなことも知らなかったなんてお恥ずかしい限りなのですが、世界遺産にはたくさんの近現代建築が含まれているので、検定の学習を通してたくさんの知識を得ることができました。

ガラス越しにのぞくとこんな感じ。ますます侵入者っぽい

この家は、いわば筆者にとっての「運命の家」でした。世界遺産の本質・奥深さを知ることになり、その時の衝撃があってこそ、いまの仕事へと導かれたような気がするのです。いつか、もちろんちゃんと予約して、この家を再訪したいと思います。そして、庭からじゃなくてこの家の中から、街を見下ろすのです。待ってろよ~ミース!

■世界遺産データ: ブルノのトゥーゲントハート邸(文化遺産)
チェコ。2001年登録。ブルノの繊維業で財をなしたトゥーゲントハート夫妻の依頼をうけて建設された。建設当時に流行していたモダニズムをベースに、斬新な空間設計、建築素材と機能美を追及して生み出された空間は、のちの住宅建築に多大な影響を与えた。

筆者プロフィール : 本田 陽子(ほんだ ようこ)

「世界遺産検定」を主催する世界遺産アカデミーの研究員。大学卒業後、大手広告代理店、情報通信社の大連(中国)事務所等を経て現職。全国各地の大学や企業、生涯学習センターなどで世界遺産の講義を行っている。

世界遺産検定とは?

世界遺産の背景にある歴史、文化、自然等の理解を深め、学んだことを社会に還元していくことを目指した検定。有名な観光地のほとんどは世界遺産になっているため、旅の知識としても役立つと幅広い世代に人気。
主催:世界遺産アカデミー
開催月:3月・7月・9月・12月(年4回)
開催地:全国主要都市
受検料:4級2,670円、3級3,900円、2級5,040円、1級9,250円、マイスター1万8,510円、3・4級併願6,060円、2・3級併願8,220円
解答形式:マークシート(マイスターのみ論述)
申し込み方法:インターネット又は郵便局での申し込み
その他詳細は世界遺産検定公式WEBサイトにて