小渕内閣の景気対策で景気回復

平成9年(1997年)の山一証券破たんで金融危機に陥った日本経済でしたが、平成11年(1999年)に入ると景気回復が始まりました。金融危機が深刻だったことを考えると、回復は予想以上に早いものだったと言えます。その理由は、小渕内閣が過去最大規模の景気対策を打ち出したこと、米国からITブームという追い風がやってきたことの2つでした。このおかげで平成12年(2000年)にかけて、日本経済はITブーム、さらにITバブルの時代を迎えました。

まず、小渕内閣による景気対策から見てしましょう。金融危機さ中の平成10年(1998年)7月に行われた参院選で、金融危機の影響などから与党・自民党が敗北、その責任を取って退陣した橋本首相の後を受けて小渕内閣が発足しました。小渕恵三氏は、昭和から平成への改元の際、官房長官として「新しい元号は平成であります」と発表した‟平成おじさん”として知られていますが、首相就任当初は「新鮮味がない」などと批判され、米国のニューヨーク・タイムズには「冷めたピザ」とまで酷評されたほどでした。

しかし就任後、小渕首相は精力的に動き始めました。最初に取り組んだのが金融安定化で、金融機関の破たん処理と資本増強のための緊急措置として金融再生法案や金融早期健全化法案などを臨時国会に提出しました。参議院では与党が過半数を割っていたため国会の審議は難航し、金融再生法案などでは野党・民主党案の丸のみを余儀なくされるなど苦労しましたが、10月までの会期中に成立にこぎつけました。これによって金融機関への公的資金投入の道筋が開かれ、金融危機は峠を越えるようになります。

続いて小渕内閣は景気テコ入れを図るため、11月に総額23兆9,000億円の緊急経済対策を決定しました。主な内容は、公共事業など社会資本整備に8兆1,000億円、貸し渋り対策など中小企業金融拡充に5兆9,000億円、雇用対策に1兆円、所得税・法人税減税6兆円など。バブル崩壊後の歴代内閣も同種の景気対策を打ち出していましたが、小渕内閣の対策はそれらを上回る過去最大の規模でした。

金融関連法成立と景気対策の効果は早くも現れ始めます。金融危機が起きる前年(平成9年)の夏には2万円台だった日経平均株価は、平成10年10月には1万2,000円台を底に下げ止まり、その後は徐々に上向き始めました。翌11年(1999年)に入ると回復が鮮明となり、その1年後の12年(2000年)春にはついに2万円の大台を回復するまでになったのでした。

景気・株価の上昇につれて、小渕内閣の支持率もアップしていきました。内閣支持率は時間の経過とともに下がっていくケースがほとんどですが、小渕内閣の支持率は発足時の25%から40%に上昇していました(日本経済新聞世論調査)。

米国はITブームで空前の景気拡大

こうしたタイミングで、米国からITブームという強力な援軍がやってきました。米国では1990年の半ばからインターネットなどITの目覚ましい発展が進み、新しい技術やサービスが次々に生まれていました。1995年にはマイクロソフトが「Windows95」を発売してOS(基本ソフト)の世界市場で確固たる地位を築きます。

その頃、アップルは経営不振にあえぎIBMや日本のキヤノンへの身売り話まで出たこともありましたが、創業者でありながら同社を追放されていたスティーブ・ジョブズが1997年に復帰したのを機に復活ののろしを上げました。1998年には斬新なコンセプトとデザインのパソコン「iMac」を発売して爆発的なヒットとなり、これが2000年代の携帯型音楽プレイヤー「iPod」、タブレット型パソコン「iPad」、そして今日の「iPhone」へとつながっていったのでした。現在のアップルを作ったのはスティーブ・ジョブズの力によるものであることは間違いありませんが、その背景には1990年代後半のITブームがあったのです。そしてアップルの復活がまたITブームを一段と盛り上げることになったと言えるでしょう。

1990年代半ばから2000年頃、米国では「第2のビル・ゲイツ」「第2のスティーブ・ジョブズ」を夢見る若者たちが次々とITベンチャー企業を立ち上げ、躍進していきました。今では世界的な巨大企業となったヤフー、アマゾン・ドット・コム、グーグルなどはこの時期の創業です。そして彼らは創業して数年もたたないうちに、次々とナスダック市場に上場を果たしました。ちなみに、フェイスブック、ツイッターなどの創業はこの時代より後の2000年代です。

  • 米国の主なIT企業

    米国の主なIT企業

ナスダックはもともと新興企業を中心とする取引所ですが、ITブームの中で活況を呈し、株価はぐんぐん上昇していきました。ナスダック上場企業の株価動向を示すナスダック総合指数は1996年初頭の1,000ポイント前後から、2000年3月には5,000ポイントに乗せるほどの上昇ぶりでした。この時につけた最高値は2015年まで更新されることはありませんでした。それほどに上昇していたのです。                       

  • 米ナスダック総合株価指数

    米ナスダック総合株価指数

このITブームは米国経済全体をけん引し、景気は絶好調となりました。IT技術の発展が生産性を飛躍的に向上させ経済構造を変えるという「ニューエコノミー論」がもてはやされ、結局、2000年まで10年間にわたる史上最長の景気拡大を実現しました。

テレビ東京に勤務していた私は、1998年夏に新番組立ち上げのためニューヨークに赴任したのですが、当時の米国はちょうど日本のバブル時代を思わせる雰囲気がありました。米国に赴任する直前の日本は金融危機でどん底だった時期でしたので、米国とのあまりのギャップに驚いたものです。ニューヨークからは、日本時間の毎朝にニューヨーク市場の1日の動きを早く伝える番組を放送しましたが、そうした米国経済の熱気に日本の視聴者に届けたいとの思いで番組制作に奔走していたのを思い出します。