――『なるほど』も『SHOW by ショーバイ』も世界を舞台にしたクイズ番組ですが、海外での取材はどのように行っていたのですか?

王:『なるほど』は1981年に始まったんですけど、実は番組作りとコーディネーター、ネットワーク作りは同時並行だったんです。それまでこういう番組はなかったから、海外にロケコーディネーターっていう人はいないんですよ。私が最初ショックだったのは、当然テレビ局ってロンドン、ニューヨーク、モスクワ…と支局があるのに全然使わせてくれなかった。支局は「報道」の管轄なんですよ。仮に我々のロケ中に何か事件が起きたら、「誰がそこに向かうんだ」って。支局が使えないから、大使館やJICAにまず連絡して、そこで働いている人の奥さんとか商社の方とかがよく協力してくれましたね。そうやって地道にネットワークを広げていったんです。

五味:僕らは毎週、海外は2カ所に行っていたんですけど、実際の取材はディレクターが行く。僕も年10回くらい行ってました。自分で行って、現場の面白い情報を探ってくる。それでもう1回改めてロケで行く。必ずロケハンに行って、台本を書いて、ロケをするという仕組みでした。ディレクター主体でそのアテンドとしてコーディネーターがいたという形です。

王:先日亡くなられた兼高かおるさんが世界を飛び回っていた番組(『兼高かおる世界の旅』TBS)は、フイルムで撮影していたんですよ。我々はちょうどビデオが出てきた頃だったので、ロケ隊の人数は最小限に抑えることができました。アナウンサー・レポーターが1人、あとは、カメラマン・AD・ディレクターの4人。でも最初は、スタッフに無理ですよって言われる。無理な部分は情熱でカバーしようと(笑)

五味:『なるほど』と『SHOW by ショーバイ』で一番違うのは、『なるほど』はレポーターさんが一緒に行くということ。『SHOW by ショーバイ』は毎週2カ国、日本含めて3つなので、さすがにタレントさんを連れていけない。レポーターがいないので、少し簡略化できたかもしれません。でもクルーは3~4人は必要でした。

王:レポーター無しと有りは一長一短ありますよね。いれば、レポーターの個性を生かせて面白くなるし、いないならいないなりの機動力が生かせる。スタッフだけならどんなホテルでも大丈夫だけど、タレントさんがいるとなるとそれなりのところは用意しなきゃならないですから。二次的な意味では、タレントさんが絡んでいると番組販売がしにくいということはあります。著作権で身動きがとりにくくなる。

――海外での取材でトラブルはありましたか?

王:しょっちゅうですよ(笑)

五味:あんまり言えないですよね(笑)

王:ロケ先に着いた時間かなと思った途端に国際電話がかかってきて、「パスポート盗まれたんですけど…」って。どうしようかなと考えながら「とにかく1週間、その国内から出ないで、取材をしておいてくれ」と。その間に何とかすると。日本大使館に連絡してみたり、色々しているうちに出てきたりとか、そういうことは日常茶飯事。大事件だったのは、収録したテープが行方不明になった。ジュラルミンのケースに2個、それが丸々消えたんです。ベルトに乗って飛行機に上がっていくときに見てたんですよ。なんか嫌な予感しててね(笑)。ちゃんと日本に戻ってくるかなって思ってたら案の定、それが消えちゃった。怖いもの知らずだったから絶対出てくるって信じ込んでたら、本当に1カ月後出てきました。どこにあったか調べたら、アメリカのど田舎。同じバゲージタグの地方の空港に行っちゃってた。

五味:うちの番組でひどかったのは、空港でスタッフの荷物が爆破されたって事件がありました(笑)

――ええっー!!

五味:空港に荷物を一旦置いて離れてしまったんです。そしたら持ち主がわからないから危険物だと思われて爆破されちゃった(笑)。テロへの警戒が強い国だったんです。スタッフが戻ってきたら中がグシャグシャになってました。

王:想定外のことが多いですよね。空港によって仕組みが違うので日本と同じだと思って、トランクの中にパスポートを入れておいたら、そのままトランクだけが先に行っちゃって自分が国外に出られなくなるとか、パスポートを盗まれて、ビザのページが全部破られてたりとか。そういうことは非常に多かった。

五味:『なるほど』って体当たり的なレポートの先駆けなんじゃないですかね。いまはいろんな番組がやってますけど。だから、体を張っていろんなものを取材をする『(世界の果てまで)イッテQ!』(日本テレビ)の原点は『なるほど』にあると思うんですね。

■他局のクイズ番組は「見るな」「見ろ」

――世界を舞台にしたというのはどういった発想だったんですか?

王:時代的には、JALパックの団体旅行だけの時代で、個人旅行が始まるか始まらないかの時期だったんです。そんなときに旭化成というクライアントが「これからは世界だ」と。その一言です。

――『なるほど』のヒットで、昭和から平成にかけて『世界まるごとHOWマッチ』(MBS)や『世界ふしぎ発見!』(TBS)など、世界をテーマにしたクイズ番組が増えていきました。そういう他の番組は見ていましたか?

王:見てると言えば見てるし、見てないと言えば見てない(笑)。正直言うと、他の局の番組をスタッフに見るなって言ってたんですよ。それを見ちゃうと引っ張られていっちゃいますから。「あれ、面白いね」って思った途端に、じゃあ、あれをやってみようかって考えてしまう。その時点で負けちゃう。なので独自路線をひたすら考えていました。スタッフの中には当然、いろんな局を出入りしているスタッフもたくさんいて、「王さん、TBSでこれが当たってます」って言うんですけど、しゃべらなくていいと(笑)

五味:僕は逆に「見ろ、見ろ」って言ってましたね。パクれってわけじゃなくて、パクったと言われないために見ろと。要するに偶然被ってしまうことがある。それが恥ずかしいから。全部知った上でオンリーワンを作れって意味で見ろって言ってました。方法は真逆ですけど。

王:目的は同じでしょうね。

――たとえば制作会社「オン・エアー」の石戸康雄さんは『なるほど』にも『SHOW by ショーバイ』にも参加されていました。そういう共通のスタッフから何か情報を得るみたいなことはあったんですか?

五味:逆にアンチテーゼでしたね。「王さんならこうしたよ」っていうことを180度変えたんです。真似したくないっていうのが自分の気骨の中にあって、「王さんはそうしたかも知れませんけど、俺はこうします」って、真逆のことを言う。だから、いつもケンカしてました(笑)。『SHOW by ショーバイ』は視聴率も最初はあんまり良くなくて、それで僕が「詐欺師」をテーマにやりたいって言ったんです。いまでこそ、悪どい手口は抑止のために公開されてますけど、当時はまだそういうことはなかったので、石戸さんがとにかく反対するわけです。「王さんだったらそんなのやらない」って。でも「王さんはやらないかもしれないけど、俺はやりますから」って言ってやったら当時、最高視聴率が出たんです。それから一言も言わなくなりました(笑)。やっぱ数字ってすげえなって思いましたね。大先輩として尊敬はしてますけど、ライバルとして同じ主義ではいかないって。

王:そうですよね。そういう根源を持っていないとヒットは生まれませんよね。私も社内で横澤(彪=『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』などを立ち上げたプロデューサー)さんっていうお笑い番組を作った大先輩がいるんですけど、横澤さんのやることは一切やりませんでした。そこに手を出したら絶対追いつけないし、先に行くことは不可能。横澤さんが「右」って言ったら、「すみません、僕は左に行きます」って(笑)

五味:特にフジさんは横のセクショナリズムがいい意味でも悪い意味でもあったってよく言われてますよね。

王:ライバル意識があるからこそだと思いますね。憧れと言えば、日本テレビに佐藤(孝吉)さんという大先輩がいて、私は佐藤さんに憧れてたんですよ。『木曜スペシャル』っていうのがあって、制作費が2本で1億円とか。

五味:ピラミッドとか作ったりしてましたね(『ピラミッド再現計画』)。

王:それに憧れてたんです。スゴいな、考えられないなって。佐藤さんが立ち上げた『アメリカ横断ウルトラクイズ』もスゴいとしか言いようがない。とにかくスケールの大きさに圧倒されてましたね。「ドミノ倒し」も佐藤さんはやられていて。先行したのが日本テレビでフジは後追いなんです。日本テレビのドミノ倒しってスケールがドでかい。1週間くらいかけてつくるんですよ。フジでもやろうっていう話になって、私が立ち上げることになるんですけど、とにかく数では敵わないんで、SMAPとかに出てもらって、ドミノ倒しをいかにエンタテイメントにするかという方向に走ったんです。それが全然別の評価をいただいた。最後には生放送でやろうとか、今考えるとゾッとしますよね(笑)

●王東順
1946年生まれ、東京都出身。中央大学商学部卒業。フジテレビジョンに入社後、『クイズ!ドレミファドン』『なるほど!ザ・ワールド』『クイズ!年の差なんて』『新春かくし芸大会』『FNSの日テレビ夢列島』『出たMONO勝負』などを制作したほか、アナウンサースクール設立、携帯電話コンテンツの立ち上げ総合プロデュース、お台場社屋イベント「BANG PARK」立ち上げ総合プロデュース。01年に退社後、事業領域を広げて各種コンテンツ事業を手がけ、『クイズ100人力』(NHK)などのプロデューサーも務めた。現在は企業トップのインタビューDVD『ビッグインタビューズ』を160本以上制作中。

●五味一男
1956生まれ、長野県出身。早稲田大学を中退し、日本大学芸術学部卒業後、CMディレクターをへて、87年日本テレビ放送網に入社。『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー!!』『投稿!特ホウ王国』『速報!歌の大辞テン』『エンタの神様』『週刊ストーリーランド』『頭脳王』などを手がけ、現在は日テレアックスオン 執行役員ジェネラルクリエイター。

■著者プロフィール
戸部田誠(てれびのスキマ)
ライター。著書に『タモリ学』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。』などがある。最新刊は『売れるには理由がある』。