コンピュータやケータイなどの「モノづくり」の進歩は停滞しても、その上で起こる「モノ語りづくり」の革命によって、情報社会への生活・文化の変容と、新たなビジネスを生み出している。本連載では、インターネットを介した、アニメ、ゲーム、マンガ、Jポップなどのサブカルチュアの普及が、近未来の社会をどのように変えていくか探っていきたい。

「受験世界史」とは違う視点で考えてみる

いわゆるKY語やカタカナ言葉が多用されるなかでは堅苦しいが、近未来の社会をとりあえず「情報社会」と呼んでおくことに、まず異論はないだろう。そして、その「情報社会」は、これまでの「工業社会」(あるいは「産業社会」)の次に来る社会と、常識的には考えられている。

ここで言う「工業社会」とは、18世紀の後半から19世紀の初めにかけて、イギリスから起こった「産業革命」の結果、生じた社会だ。などと言うと、センター試験の受験講座のようで、このネット・コラムの意味はなくなる。この連載では、そうした受験世界史、日本史の「常識」とは違う角度から「情報社会」というものを検討していこう。

ただ、誤解されると困るのであえて付け加えると、このコラムは、いわゆる「歴史教科書問題」とは関係がない。むしろ、その問題で対立している両派が、実はともに同じ「常識」にとらわれていると思う。

「情報社会」は「工業社会」の次にくる未来か?

さて、この連載でまず考えてみたいのは、「情報社会」が「工業社会」の次にくる社会であるという「常識」が真実なのかということだ。

この「常識」の前提になっている、私達の思い込みは、人類の社会が図式1のような段階順に進化してきたというものだろう。

図式1 : 採集狩猟社会 → 農耕社会 → 工業社会 → 情報社会

たしかに高校でならった「世界史」「日本史」は、ともに図式1のように展開している。だが、教科書の「世界史」は本当に「世界」史なのか? つまり、地球上の全地域の歴史が、記述されているのだろうか?

「世界史」から忘れられたイスラムとアフリカ

例えば、「世界史」の教科書に、どれくらいイスラム圏のことが書かれているのか?

その中心地域を、教科書では「中東」と呼んでいる。この呼称自体、「西欧」からの視点で、この地域を見ている証左に他ならない。正確には「東」ではなく、逆に「西アジア」と呼ぶべきだろう。

だが、それでも、今日この「イスラム圏」が地球上に展開している地域は、「世界史」が記述している地域の範囲から大きく逸脱していることは明らかだ。というより、イスラムの側から「世界史」をみれば、私達の「世界史」はきわめて限られた地域しか記述していないことになるだろう。

同様にアフリカはどうか? イギリスに産業革命が起こっていた19世紀後半に、アフリカ大陸に人が住んでいなかったわけではない。文明がなかったわけではない。それどころか、南アフリカでは、イギリスは現地のオランダ人と戦争をしていた。そしてそれが、大英帝国衰退の予兆であった。このことは、「世界史」にも書かれてはいるのだが、あくまで西欧の国家間の戦争として記述されているだけだ。

西欧以外は「進歩」していないのか?

いや、中国の歴史だって、インドのそれだって、私たちはその時代その時代の帝国の名を暗記しているにすぎない。西欧についての記述が、ある原因である事件が起こり、その結果また次の事件の原因となるというような、因果関係をもった一連の「歴史」として展開されているのに対して、中国やインドの歴史がただその時々の支配権力が異なるだけで、一向に「進歩」していないようにみえる。だから、帝国名や王朝名とその支配形態の特徴をただ暗記するしかないのだ。

これは、インド、中国は、西欧中心の「世界史」とは別の論理で動いているという事実の証しでもある。従来の「世界史」はそのもう一つの論理では記述されていないというだけだ。

また、世界には遊牧社会もあれば、漁労社会もある。それらは「世界史」では、すっぽり抜け落ちている。だが、遊牧社会が、今日、世界情勢としても、地球規模で重大な意味をもっていることは多くの人が認めるところだ。

今、私たちはようやく、現実の出来事によって、図式1のような変容、展開の形をとったのは、地球規模でみれば西欧と日本というごく限られた地域だけであることに気付かされ始めている。

だが、それでもまだ「常識」を信じている人々は、急激に成長する国が図式1の範囲外から次々と筍のように伸張してくると、「これからはBRICSだ」と慌てたり、「いや、もうポストBRICSだ」と困惑したりしているのだ。

「工業社会の覇者」は「情報社会の覇者」ではない

図式1は、あくまで欧米・日本の「現在」から、それを最高のものとして文明の発展を段階的に後付けしているにすぎない。実際、現実に台頭している情報先進国のインド、イスラエル、フィンランドなどは、むしろ「工業社会」としては失敗した国ではないのか? つまり、現実は、アメリカや日本のような工業社会の覇者から情報社会の先端が生じているのではなく、非工業社会から情報社会の覇者の候補が次々と立ち代わり、現れている。

だが、これは「情報社会」に始まったことではない。「農耕社会」の覇者で「産業革命」の端緒を開いたイギリスは、「工業社会」の覇者にはなれなかった。「工業社会」の覇者、アメリカはその時点では「後進国」だったのだ。

だから、「工業社会」の覇者でもあり、「IT革命」の端緒を開いたアメリカが、「情報社会」の覇者にはなれないのも決して不思議ではない。実際、「情報社会」は、図式1の発展段階の経路とはまったく別のところから立ち現れてきているというべきだろう。


執筆者プロフィール
奥野 卓司(おくの たくじ)
1950年京都市生まれ。京都工芸繊維大学大学院修了。学術博士。米国イリノイ大学客員准教授、甲南大学文学部教授など経て、1997年から関西学院大学大学院社会学研究科教授。2008年から国際日本文化研究センター客員教授。専攻は情報人類学。ヒトと動物の関係学会副会長、社団法人私立大学情報教育協会理事。著書に『ジャパンクールと江戸文化』(岩波書店)、『日本発イット革命・・・アジアに広がるジャパンクール』(岩波書店)、『人間・動物・機械・・・テクノアニミズム』(角川新書)など。訳書に『ビル・ゲイツ』(翔泳社)、『ジェスチュア』(筑摩学芸文庫)、『イヌの心がわかる本』(朝日文庫)などがある。