前回につづき、「ビヨンセの亭主」としても知られる大物ヒップホップ・アーティスト/実業家、ジェイ・Z(Jay-Z)の話をしよう。

【NBA ブルックリンネッツの本拠地となるバークレイズ・センターのプロモーション(ティーザー)ビデオ。BGMはジェイ・Zの作品で、開始後1分あたりにスーツを着た2人の男性が一瞬出てくるが、背の高いほうがネッツのメインオーナーであるロシア人大富豪のM・プロホロフ、もう1人が不動産開発業者のブルース・ラトナー(いずれも後述)】

デュラセル・パワーマットとの提携のニュースを伝えたFoxNewsの記事に、ジェイ・Zが15%の株式を保有するプロバスケットボールチーム、NBAの「ブルックリン・ネッツ」(Brooklyn Nets)の本拠地となるバークレイズ・センター(Barclay's Center:現在建設の最終段階)にも、「同社の非接触充電装置マットを組み込んだワイヤレス充電ホットスポットが設置されるのでは?」という観測が記されている。

Jay-Z creates wireless power system in New York City - FoxNews

ジェイ・Zといえば、数年前のヒット曲「エンパイア・ステート・オブ・マインド」("Empire State of Mind")でも歌っているように、ニューヨークはブルックリンの出身。低所得者向けの集合住宅(housing project)でのかなり絶望的な状況から己の才覚でのし上がった、古めかしい言い方をすれば「立志伝中の人物」である。

【ジェイ・Zがパトロン(?)として支援する「Life + Times」サイトで公開されたプロモビデオ】

そして黒人、とくに都会育ちの黒人男性の例にもれず、大のバスケットボール好きとしても知られている。「NBAのゲームをコートサイドに陣取って観戦/ニックスやネッツの選手がオレのところにハイファイブしにくる」というフレーズが「エンパイア・ステート・オブ・マインド」の中に見えるのは、そういういい意味での「成り上がりぶり」を示す非常にわかりやすい表現といえる。

【今年2月、マジソンスクエアガーデンのコートサイドで撮影された夫妻。この日のゲームは、ジェイ・Zが共同オーナーのネッツが敵地に乗り込んでニックスを撃破 - PopCrush】

そんなジェイ・Zがいま故郷のブルックリンに錦を飾ろうとしている。対岸のニュージャージーからハドソン川を越えて引っ越してきた、NBAブルックリン・ネッツ(Brooklyn Nets)の共同オーナー、球団経営陣の「表の顔」となっての凱旋である。

NBAファンの方には周知の事柄かもしれないが、ネッツを2005年に3億ドルで手に入れた投資家グループ――ジェイ・Zもその中に名前を連ねる――の中心人物は、ブルース・ラトナー(Bruce Ratner)という不動産開発業者で、当初からバスケットボールチームの運営よりも、チームの新しい本拠地となるアトランティック操車場(Atlantic Yards)一帯の再開発のほうにもっぱら関心があった。

成功した事業家でもあるNBAチームのオーナーには、ダラス・マーベリクスのマーク・キューバン(Mark Cuban)などがいるが、彼は自分で創業したBroadcast.comを1999年に米ヤフー!に59億ドルで売却、その富の一部をつかって念願のプロ・バスケットボールチームを手に入れた。以来、かならずチームの試合に同行し、コートサイドに陣取って、「選手より有名なオーナー」といわれるほどのバスケットボール大好き人間だ。ラトナーはそんなオーナー像とは対極にあるような人物、とされているようだ。

アトランティック操車場は、ニューヨーク地下鉄の11もの路線が乗り入れる「交通至便」な立地にある地下の操車場。ただし、東京のJR汐留操車場の再開発などとは違い、その地上部分には沢山の建物があって、人がふつうに働いたり、暮らしていたりしていたらしい。つまり、沢山の地権者と個別に交渉していてはいつまで経ってもラチがあかない。そう考えた不動産開発業者のラトナーは、一計を案じる。

「公共の目的で使う施設建設のためなら、地権者の同意がなくても、州がこれを接収して、新しい所有者に渡すことができる」という判例をみつけ、その「公共施設」のなかに"a stadium"(スポーツ競技場)とあるのを目にしたラトナーは、プロスポーツチームの獲得・移転というアイデアを思いつく。そして2004年に、新アリーナ建設の費用負担をめぐる交渉がまとまらず、元のオーナーグループから売りに出されたニュージャージー・ネッツの獲得に動く。

この大規模再開発プロジェクト――計画の目玉は、ネッツの新たな本拠地となる現バークレイズ・センター(Barclays Center)だが、事業の本当の狙いは、一緒に建設するオフィスビル群やマンションなどにある――を進めるにあたり、ラトナーは地元の支持を集め、、反発を和らげるために、当初からジェイ・Zをオーナーグループに引き入れていたらしい……。日本でも『Tipping Point』(邦題『急に売れ始めるにはワケがある』)などの著作がヒットしたジャーナリストのマルコム・グラッドウェルがそんなことを書いている。

The Nets and NBA Economics - Grantland

さらに、このラトナーが2008年の金融危機でプロジェクトの資金繰りに窮し、融資を求めた相手が、現在ネッツの80%を保有するロシア有数の大富豪、ミハイル・プロホロフ。サッカー日本代表の本田圭佑が所属するCSKAモスクワのパトロンとしても知られ、また今年春にはロシア大統領選挙に出馬してニュースにもなったこのプロホロフが、ラトナーに融通した額はなんと7億ドル! 加えてネッツ(80%分)の購入代金が2億ドル、さらに関連する開発事業に「一口乗る」ために渡したお金もあるとされ、あわせて10億ドル以上が動いたという推測もあるようだ。ちなみに、Forbesの世界長者番付をみると、プロホロフは推定資産132億ドルで何と世界で58番目の金持ち。いっぽう、ラトナーの方は推定4億ドルで、ジェイ・Zとほぼ互角(この再開発プロジェクトを成功させて「10億ドルクラブ」の仲間入り、といきたいところかもしれない。

Bruce Ratner Net Worth - The Richest

なお、2009年にプロホロフがネッツの株主になった際には、「サッカーの根強い人気と比べて未開拓のバスケットボールをロシアでを売り込んでいく」といった"公式声明"を口にしていた記憶がある。だが、実は単なる新しい儲け話、しかもより安全な米国でのリスク分散といった見方もできる(プロホロフはバークレイズ・センター本体の45%も所有)。ロシア国内に置いておくと、いつプーチン政権から差し押さえられるかわからないのだ。

次回は、故郷に錦を飾ったジェイ・Zがブルックリン・ネッツのみならず、バークレイズ・センターの経営でも大きな力を発揮しつつあるという話を中心に、エンタテインメントやスポーツの世界における黒人実業家の活躍などについてもう少し紹介していく。

最後にまた、ビデオをひとつ。

ジェイ・Zが昨年12月にあのカーネギー・ホールで開いたコンサートから。ディナージャケットを着こなし、フルオーケストラをバックに歌う(ラップする)姿は実に気持ち良さそうにみえるが、クレジットカード会社のアメックス(American Express)のチャネルでビデオが公開されているところを見ると、これも立派な商売の一環(あるいはチャリティ?)とみえる。