航空自衛隊のF-4EJ後継機、いわゆる「F-X」が下馬評通りに(?)ロッキード・マーティン社の「F-35」に決定した。

今回のF-Xにおける機種選定の過程で図らずも燻り出されたのは、「日本の安全保障政策、あるいはそれを支える防衛産業政策が転換期に来ているのではないか」という話である。これは、従来と同じ考え方、従来と同じ手法でやっていけるのか、構造の変革・意識の変革が必要なのではないか、という意味だ。

日本の航空自衛隊に導入されているF-4EJファントム戦闘機 資料:航空自衛隊

うまくいっているモノはいじらない?

IT業界の金言に「問題なく動いているモノはいじらない」というものがある。ITシステムでも、ビジネスのやり方そのものでも、「このやり方でうまくいっていたのだから変える必要はない」と主張する人が出てくるのはお約束である。しかし、はたして本当にそうなのか。そもそも、問題なく動いていると認識しているものが、本当に問題ないのか。

例えば、航空自衛隊が使用する戦闘機の場合、「できれば国産にしたいが、それができないのであれば米国空軍の最新鋭戦闘機と同じものをライセンス生産で」という考え方が根強い。

航空自衛隊の「中の人」が、この意識にどこまでこだわっているかどうかはわからないが、それよりもむしろ市井の「飛行機好き」の間でこの意識が強いように見受けられる。だからこそ、「テクノロジー・デモンストレーターであるはずの先端技術実証機(ATD-X)を実用機に仕立てるべきだ」と大真面目で論じる意見がネット上で頻出する。

しかし現実問題として、戦闘機というウェポン・システムそのものが高度化・複雑化して、開発・試験・配備・運用にかかる時間と費用は膨大な規模になっており、当然ながら付随するリスクも大きい。

それはもはや1ヵ国で支えきれるレベルを超えつつあり、米国ですら、F-35計画に他国をリスク分担パートナーという形で引き込む状況になっている。そうしたなかで、日本が独自に自国で使用する分だけの戦闘機をゼロから自力で開発・製造・配備することが、現実的にみて可能だろうか。

F-X問題と武器輸出三原則緩和はワンセットでは?

そこで、「むしろ国際共同開発の枠組みに打って出るほうがよい」という認識があるからこそ、F-35の採用決定と前後して武器輸出三原則に例外を設けて、国際共同開発への参画を可能にしようという動きが出てきたのではないか。つまり、明言はされていないものの、この両者はワンセットなのではないかと指摘したい。

もちろん、国際共同開発にもメリットとデメリットがある。これらについては本連載でこれまで取り上げてきているので繰り返さないが、「国産化至上」「武器輸出三原則の縛り」を理由にして自国内だけの枠組みに閉じこもることで防衛産業基盤を維持できるのかという懸念に対して、真正面から取り組んだ説得力のある反論が出ているとは思えない。

反論が出てきたとしても、せいぜい「今までのやり方でうまく行っていたのだから変えるべきではない」あるいは、他国における国際共同開発の悪戦苦闘を引き合いに出して「そんなリスクは負えない」という程度の話にとどまっているのが現状だ。それでは有効な反論とは言い難い。

少なくとも、「今までと同じロジックや意識のままで産業基盤を維持できる」という説明にはなっていない。国際共同開発にリスクがあるなら、そのリスクとどのように向き合うか考えるのが筋である。戦闘機に限らず、まったくリスクが存在しないビジネスなんてものは存在しない。

身も蓋もないことを書いてしまえば、「世界最高の性能で」「リーズナブルな価格で」「100%国産化できて」「開発・製造に際して何のリスクもなく、所定のスケジュールと予算の範囲内で実現できる」なんていう、おめでたくて矛盾の塊みたいな条件を満たせる戦闘機はないのである。

にもかかわらず、「リスクとの向き合い方」「give & take」「トレードオフ」といったことがわかっておらず、無茶な主張、非現実的な主張をする人が目につく。たまたま、そういう人に限って声が大きいだけかもしれないが。

武器輸出三原則にしても、「何のための武器輸出三原則なのか」「それによって意図した通りの成果が得られているのか」「意図した通りの成果が得られていないのであれば、どうすれば解決できるか」を論じるのが筋であり、「とにかく武器輸出三原則というものがあるのだから固守すべき」というのは単なる思考停止、目的と手段の取り違えである。

このように、何となく向き合うのを避けてきた問題を改めて突きつけたうえで、今後の日本の防衛のあり方、防衛産業政策のあり方を根底から考え直すきっかけとなっているのが今回のF-Xの一件だと思えてならないのである。