台風19号が大きな爪痕を残して日本列島を去って行った。数十時間で数カ月分の雨を降らせたのに、これだけの被害ですんだという治水を評価する声もあれば、その事業の力不足を非難する声も聞こえる(実際被害は少なくなかった)。そこには議論もあるだろうけれど、個人的にはインターネットとテレビ放送の大きな違いを実感した1日でもあった。

  • 台風19号の影響で12日は多くの店舗が休業した(写真は10月12日の「ビックカメラ AKIBA」)

不安な夜はテレビの情報を流しっぱなし

とにかく今回の「未だかつて経験したことがない台風」に対応し、えんえんと情報を流し続けたNHKの仕事は高く評価したい。実に立派だったとほめてあげたい。受信料をとる国民のための局なのだから当たり前といえばそうなのだが、それでもNHKがあってよかったと感じた。

基本的にテレビ放送は送りっ放しのメディアであり、受け手があれこれ内容に注文をつけられるものではない。一方的に、情報を送りつけてくるだけのものだ。その情報は確かに最大公約数に対してのものだろう。

雨風が吹き付ける中で、その送りつけられてくる台風情報は、どこの堤防が決壊しただの、誰かがケガをしただの、行方不明になっている人がいるといったことから、どこそこの地区の警戒レベルがいくつになったといった種々雑多なものが入り交じっている。だが、それでいい。ああした不安な時間には、自分から進んで情報を取捨選択し、オンデマンド情報を入手するエネルギーはわいてこないものだからだ。

もちろんインターネットは単なるメディアなので、インタラクティブな情報入手の手段であると同時に、放送と同様の送りっ放しの情報提供形態も実現可能だ。実際、NHKのページでは放送と同じ映像が提供されてもいた。それでも不安な夜の流しっぱなしには、テレビ放送の方が気がラクなのは間違いない。インターネットの帯域も消費しない。ずっとテレビをつけているだけで、何かがあったら知らせてもらえるという安心感がある。

「どこか」の「誰か」と一緒に見るインターネット

パソコンにしてもスマートフォンにしても、ずっとつけっぱなしで放置しておけば、重要な情報が自動的に届く情報源として使おうとすると、使い勝手はよくない。Twitterは、世の中で何が起こっているかを知るための重要な情報源ではあるが、最新の情報を読むためには多くの場合、再読込の操作が必要だ。唯一、Tweetdeck(ツイートを整理して一覧表示するための公式クライアント)がまるで放送のように、ツイートのタイムラインを逐次読み込んで流れるように表示してくれる。その流れる一連のツイートを見ていると、あの不安のなかで、世の中がどんなふうに動いているのかを逐一知ることができるような気がする。そう、そういう気がするだけで安心するのだ。どこかで誰かが自分と同じように不安を感じている。いっしょにがんばろうという気になるわけだ。

インターネットは、もっと多様化するべきではないか。テレビと同じように特定のページを開いているだけで一定時間ごとに最新の情報に書き換わり、必要に応じたタップやクリックで個別の情報にジャンプするようなテレビのいいところと、ウェブのいいところをハイブリッドにしたようなメディアは登場しないのだろうか。すでにあるのかもしれないが、メジャーなものが見つけられない。

インターネットの情報サイトは、新聞出自のものは新聞的だし、テレビ出自のものはテレビ的だ。出自による得手不得手があり、世の中に起こったことを伝える切り口として新しいスタイルを提案するのは難しいとは思うが、既存のメディアを超えた何かを打ち出してほしいと思う。

テレビとネットの融合で新しいメディアができないか

テレビは、音声付き映像の流しっ放しは手慣れたものだし、それをウェブに持ち込んだ際に、文字と静止画情報の提供にも成功した。今はまだ、その両輪がチグハグしているかもしれないが、将来的にはうまく融合し、新たなメディア形態を造ることができるだけの可能性をもっている。

テレビのつけっぱなしはちょっとうるさく感じるけれど、パソコンを開いて、ウェブページを開いておくだけで、勝手に、そして淡々と静かに情報を流し続けるサイトがあったらいいなと思った。音声付きでもなしでもどちらでも好みの受信ができるようになっていて役に立つならなおいい。

東京都の防災アプリも、各自治体の災害サイトも自分の環境では役には立たず、TwitterとNHKテレビの放送に助けられた夜だった。これではIT大国にはなれそうにないなと、それこそ不安になったりもした夜だった。

(山田祥平 http://twitter.com/syohei/ @syohei)