今回のテーマは「生体認証」である。

ガタッ

今のは、誰の心にも眠る中二マインドが御起立なされた音だ。解散を決めた某グループの歌風に言うと、「あの頃のフューチャーに拙者らスタンドアップでござる」というわけである。

生体認証とは、指紋や目の虹彩を認識してデカイ扉がウィーンと開いたり、セキュリティのキツいプログラムにアクセスできたりする、映画とかでよく見るアレのことだ。パスワードをいちいち入れる代わりに、自分の体を鍵としていろいろなものを管理するのだ。

パスワードと人類の果て無き戦い

我々ボンクラにとって、人生とはIDとパスワードとの戦いであった。まず、忘れる。パスワードが一つなら辛うじて覚えているかもしれないが、二つになった時点でもうダメだ。

ならば何故メモらないかというと、設定した時は「忘れない」と思っているからだ。もちろん、見事忘れて「パスワードを再設定する」というクソ面倒くさい作業をしながら「次こそメモる」と思うわけだが、そんなのは酒を飲みすぎて便器とディープキス状態になりながら「酒はもう飲まない」と誓うのと同じであり、再設定が終わったころには「メモる」ということ自体忘れ、当然パスワードも忘れる。

だが、ボンクラもボンクラなりに成長するもので、「ありとあらゆるもののIDとパスワードを全部同じにする」という、セキュリティのためのパスワードなのに、セキュリティを犠牲にするという逆転の発想でパスワード社会と戦うようになる。

だが、そういった不正アクセスなどの敵の前で自ら全裸になりたがる変態ユーザーが多すぎるせいか、パスワードを設定させる側もだんだん慎重になってきている。8文字以上にしろとか、IDとパスワードに同じ文字列を入れるなとか、大文字と小文字を混ぜろとか注文を増やすことで、IDとパス統一作戦に応戦するようになった。

やはり、そういう奴は非常に単純なパスワードを設定している場合が多いのだろう。21世紀に突入してもう10年以上経っているのに、パスワードは「password」と設定する奴が大勢いるのだから、こうした流れも自然なことだとは思う。

セキュリティ対策が生んだ2種類のボンクラ

面倒なIDとパスを要求された時、ボンクラは二種類に分かれる。観念してIDとパスワードを付箋にメモり、それをPCのディスプレイに貼り付ける「パスワードご開帳ボンクラ」と、諦めてログインごとにパスワードを再設定する「パスワード使い捨てボンクラ」だ。

前者のボンクラはキャッシュカードに暗証番号をマジックで直書きしている老人と同レベルだが、後者は逆に安全度が上がったようにも見える。パスワードの複雑化のほかにも、「セキュリティのためにはパスワードを定期的に変えるべき」ともよく言われるからだ。

しかし、パスワードの再設定だって簡単にできるわけではない。登録時に使用したメールアドレスはもちろんのこと、同時に登録した電話番号を入れたり、時には秘密の質問に答えたりして、本人認証を通過したのちにやっと変更できるのだ。

高レベルのボンクラになると、遙か昔にサービスが終了したフリーメールのアドレスを登録していたりするので、そうなるともう「そのアカウントは捨てる」しかなくなり、めでたく「パス使い捨て」から「アカウント使い捨て」ボンクラにレベルアップである。

秘密の質問も、「母親の名前」とか「兄弟の名前」とか、親父が性豪で母が10人、兄弟は3桁という場合を除けば簡単に答えられるものから選べばいいものを、こういう奴に限って「好きな食べ物」など漠然としたものを選んでいたりするし、もちろん自分で決めた答えを忘れている。

そして、ここで終わればまだいいのだが、苦し紛れに「unko」と入力すると、意外と入れてしまうのである。パスワードを記憶、保存できない自らの粗忽さだけでなく、当時パスワードを設定した自分の精神年齢が小二であるということまで思い出さないといけないのである。

フィクションから現実に転換しつつある未来

こんな自分を全否定されるような戦いに、生体認証が終止符を打つかもしれない。どんなボンクラでも、指紋や虹彩を忘れてきたということはそんなにないからだ。さらに文字列と違って、指紋などは唯一無二なので、「その眼球はすでに使われています、別の眼球を登録してください」などと言われることもなく、安全性も高くなるだろう。

だが、映画などで生体認証が出てくると、高確率で他人の手を切ったり目をえぐり出したりして得たブツで生体認証をクリア、敵の本拠地に忍び込むという描写が出てくるので、自分自身のセキュリティがやばくなるのではという危惧もある。だが、指紋はゼラチンなどでコピーできたりするらしいので、悪い方はどうか短気を起こさず、ゼラチンをこねるところから始めてほしい。

2016年になっても、引き出しから青狸、テレビから二次元のイケメンが出てくるということはないが、着実に、フィクションでしかなかった技術が現実のものとなっているのだ。

つまり、テレビから二次元のイケメンが出てくる日も必ずやってくるということである。少なくとも、私の好きなゲーム「刀剣乱舞」の舞台は2205年であるから、その頃には刀がイケメンになる技術ができているというわけだ。

その頃にはどの道死んでいるだろうと思われるかもしれないが、オタクはあの日夢見た未来がやってくると言われたら、300年ぐらいは余裕で生きたりするのである。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年11月15日(火)掲載予定です。