世の中の大半の仕事は、人がいることによって成り立つ。そもそも取引先がいなければ仕事の受注がないわけだし、上司や先輩のサポートもなくいきなりバリバリと業務はこなせない。

多くの他人が関係してくる以上、相手に対する敬意やマナーが必要となってくる。だが、職場で使用するツールの使い方や業務上必要なタスクを先輩社員からレクチャーされることはあっても、ビジネスマナーをイチから教えてもらった機会がある社会人は少ないはずだ。そのような人は、無自覚のうちに礼節を欠いた態度をとってしまい、ビジネスチャンスを逸してしまう恐れがある。

そこで本連載では、筑波大学および札幌国際大学の客員教授を務めながら、大学や官公庁などで「職場に活かすおもてなしの心」をテーマとした講演や研修を手掛ける江上いずみ氏に、社会人として知っておくべきビジネスマナーを解説してもらう。

  • 挨拶は第一印象を決める重要なポイント

    挨拶は第一印象を決める重要なポイント

就職活動をする学生にとっても、初めて所属先に出向く新社会人にとっても、面接官や上司に与える第一印象はとても大切です。

特に就職活動においては、たった数分の短い時間で自分の良いところを面接官にアピールしなければ採用してもらえないわけですから、「第一印象」がその人の人生の今後を大きく左右するといえます。

その「第一印象を高める5原則」というものがあり、「視覚」からくる印象と「聴覚」からくる印象があることをこれまでもお伝えしてきました。 視覚からくる第一印象「表情」「態度」「身だしなみ」は、初対面の人に会ってたった3秒から5秒で決まってしまいます。そのわずかな時間でも大きく印象を左右する視覚印象のうちの「身だしなみ」について、この連載で細かくご紹介しました。

また聴覚からくる第一印象「挨拶」「言葉遣い」は、言葉を交わし始めてからわずか10秒から15秒でその人の印象を決めてしまう重要なポイントです。

そこで今回は聴覚印象のうちのもうひとつ、「挨拶」についてお話ししたいと思います。

「お辞儀」が重要な日本人の挨拶

就職活動のセミナーや新社会人となって受ける新任研修の中で、必ず最初に指導されるのが「挨拶」です。

日本におけるご挨拶は「お辞儀」で始まり「お辞儀」で終わります。そもそも日本のお辞儀は、武士が主君の前で土下座をするように、急所である頭頂部を見せることで、相手に対する服従や敵意がないことを示すものです。その趣旨にのっとれば、しっかりと頭を下げ、同時に目を伏せるのが基本です。

「同時礼」と「分離礼」

日本の挨拶はお辞儀をする動作と言葉を発するタイミングに少し工夫をするだけで大きく印象が変わってきます。

例えば、相手に「よろしくお願いいたします」と挨拶をするときを考えてみましょう。多くの日本人は頭を下げながら「よろしくお願いいたします」と言葉を発します。この方法を「同時礼」と言います。頭を下げて挨拶をしているのですから、これはこれで立派な心づかいです。

しかし、頭を下げながら言葉を発するこの方法では、せっかく発した言葉が下の方へ向かってしまい、聞き取りにくくなってしまいます。

この「同時礼」に対して、言葉を発してから頭を下げる方法を「分離礼」と言います。「分離礼」は別の言葉で、先に言ってから後から礼をするという意味の「先言後礼」、または言葉を先に言ってから後から礼をするという意味で「語先後礼」とも言われます。

例えば、先ほど同様、相手に「よろしくお願いいたします」と挨拶をするときを考えてみましょう。

まずは、相手の目を見ながら「よろしくお願いいたします」と言葉を発し、その後に頭を下げると、言葉が下の方に向かってしまうことなく、しっかり相手に伝わるので、「分離礼」を意識することでより丁寧な挨拶になります。

分離礼が大切な理由は、もうひとつあります。健常者の場合、同時礼でも言葉を聞き取ることができます。しかし、聴覚に障がいのある方々にとっては、下を向かれると言葉を「読む」糸口が断たれてしまいます。読唇術、つまり相手の唇の動きを見て、言葉を理解しようとするからです。分離礼は、丁寧な挨拶というだけではなく、聴覚に障がいのある人たちに対して心づかいを示す、とても大切な方法でもあるのです。

さらに分離礼は、視覚に障がいのある人にも心づかいを示せる方法です。視覚に障がいがある人は、音だけが頼りです。同時礼で言葉が下方へ向かってしまうと、聞き取るのが難しくなってしまいます。その点、分離礼にすれば言葉は相手にまっすぐに伝わります。

また視覚に障がいのある人たちに関しては、挨拶の言葉のトーンも重要です。平板で暗い声で挨拶されるのと、アクセントの強弱や抑揚などをつけて、笑顔が伝わるような明るい声で挨拶されるのとでは、印象はまったく違ってきます。視覚に障がいのある方にも「笑顔」を伝えられる声、つまり「笑声」でぜひご挨拶していただきたいと思います。

このような「分離礼」の大切さを理解したうえで、就職活動の面接時や、社会人になって挨拶する際にはぜひ「分離礼」で、しっかりと相手の目を見て挨拶しましょう。

さらに印象を良くする「By nameの効果」

もう1つ大切なのが、「By nameの効果」です。

例えば、社会人になって初めて訪問した先の方と名刺交換をし、その数カ月後、何かの機会に再会したとします。

「どうも、ご無沙汰しております」

おそらく、こんな挨拶が一般的だと思います。しかし、こう言ったらどうでしょうか?

「渡辺さん、ご無沙汰しております」

挨拶の言葉の前に相手の名前を入れるこの方法を「By name」と言います。

「あ、この人は自分のことをちゃんと覚えていてくれた」「私のことを大切に思ってくれている」と感じます。お辞儀の仕方は同じでも、名前で呼ばれるか否かによって、相手の感じ方はまったく異なるものになるのです。

そのためにも初対面の人の名前と顔を覚える努力をすることは、社会人にとってとても大切です。「初対面の人を覚える」ための対策として、名刺を交換した際には、挨拶や会合が終わった後に、交換した日時や場所、相手の特徴などを名刺の片隅にメモして記憶することが重要になるのです。

接客業などの仕事に就いて、クレジットカードで品物を販売したときにも、カードに記載された氏名をいち早く頭に入れて、サインをお願いするとき、あるいはカードをお返しするときに、

「伊藤様、こちらにご署名をお願いいたします」
「伊藤様、いつもご利用ありがとうございます。カードとお控えでございます」

と、By nameで会話をすると、お客様に与える印象は格段に良くなります。

そのような接客時に限定しなくても、職場などで挨拶するときにも、この「By name」は絶大な効果を発揮します。

朝、職場の自分のデスクに行ったとき、「おはようございます」と言ってボンッと荷物を置くのではなく、隣の席の人の名前を呼んで

「山田さん、おはようございます」

と言ってみてください。「おはようございます」だけだったら顔を上げることもなく「おはよう」と無表情で返されるかもしれないご挨拶が、上にその人の名前が付いただけで「あ、おはよう!」と顔を上げてにこやかなものに変わるに違いありません。

上司は部下に名前を呼ばれて挨拶されることで親近感を感じますし、部下は上司に名前を呼ばれることで、自分が承認されていることを実感します。

職場における折々の挨拶を「よろしくお願いします」「ありがとうございます」だけではなく、

「斎藤課長、よろしくお願いいたします」
「鈴木先輩、ありがとうございます」

に変えてみてください。そして職場から帰るときも

「斎藤課長、お先に失礼します」
「鈴木先輩、お疲れ様でした」

と挨拶してみてください。必ず「おっ!」と嬉しそうな表情で挨拶を返してくれるに違いありません。

「By nameの効果」でより親近感を表現して、自ら明るい雰囲気の職場にしていきましょう。

日本における挨拶の順序

日本の挨拶の基本は目下から目上へ、部下から上司へ、先にすることが基本です。入社したての頃は、相手の顔と名前が一致していませんし、どのタイミングで声をかけてよいのか判断できず、ついつい挨拶をしそびれてしまうこともあるでしょう。

新入社員のうちは、周りにいるすべての人が目上の人です。目上の人に挨拶をされるまで待つ、あるいは相手が挨拶をしてこないから自分もしないというのは、失礼にあたります。

「少し苦手だな」という相手に対しても、自分から積極的に挨拶をすれば、次第に相手も印象をよくして心を開いて挨拶してくれるようになります。苦手だと思う相手にシャッターを閉めて、「挨拶をしない」「声をかけない」ということは絶対に避けなければなりません。