フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)が、1995年10月の番組スタートから30周年を迎えた。これを記念して、話題を 集めた作品と「その後」の物語を、5週連続で放送している。
26日に放送される第4弾「『キャンディさんの人生』最期の日々」を取材したのは、『ザ・ノンフィクション』に第2回放送から携わる込山正徳ディレクター。これまで担当した中で特に印象に残る作品や、アナログながらも熱気あふれる草創期のエピソードなどを語ってくれた――。
父の言葉を聞いていた娘が「そんなに暗くならないで」
1995年10月15日にスタートした『ザ・ノンフィクション』第1回放送は「すべてはあの一球から 野茂英雄2982球の真実」だが、翌週の第2回放送「特別企画 オウム真理教4人の幹部と私たちの戦後50年」で、早くも同番組に参加した込山D。この時は、オウム真理教の幹部・石井久子がどのような人生を歩んできたかを描くVTRを制作した。
それから、30周年特別企画の第2弾でも放送し、山奥で自給自足の暮らしを目指す大森家の父と6人の子どもたちを追った「われら百姓家族」シリーズや、がんにより38歳の若さで亡くなったプロウィンドサーファーの飯島夏樹さんと家族との日々に密着した「天国で逢おう」などを手がけ、今回で担当本数は37本にのぼるが、初期の作品で特に印象に残るというのが、96年6月放送の「いらっしゃいませ ~横浜ウェイトレス物語~」(第34回ギャラクシー賞・奨励賞)だ。
これは、知的障害のある5人のウェイトレスが接客する横浜の喫茶店を取材したもの。「彼女たちは“いらっしゃいませ”と言うのも緊張するけど、お客さんは障害があると気づくと優しく接してくれるんです」と平穏な物語のようだが、取材のテーマに置いたのは、そのウェイトレスの親たちだった。
「皆さん“私たちが死んだ後、この子たちが残って社会の中で生きていけるようにするにはどうすればいいのか…”と悩まれていたのですが、特に印象に残ったのが、“私たちが先に死んだらこの子はどうにもならなくなるだろうから、この子のほうが先に死んでほしい”と言うお父さんがいたんです。本当に衝撃的だったのですが、その言葉を娘さんが聞いて理解しているんですよ。その光景に我々が泣きそうになっているところを、その子が“そんなに暗くならないで、このフルーツ食べてくださいね”と言ってくれて…。本当に切ない取材でした」
原稿直しに30時間も…熱気に包まれた「好奇心ルーム」
そんな経験をしながら、取材先に諦めないで食い込んでいく術からナレーションの入れ方まで、『ザ・ノンフィクション』でドキュメンタリー番組制作のノウハウを習得。その学びの場は、『ザ・ノンフィクション』と同じスタッフで制作されていた情報ドキュメンタリー番組『今夜は!好奇心』のスタッフルームだった。
当時、新宿区河田町にあったフジテレビ旧社屋内とは別に、近所のマンションの一室を借りた「好奇心ルーム」と呼ばれていた部屋に、局員や制作会社、フリーのスタッフが集結。「雑談ができる場だったんです。撮影でこんなことが暗礁に乗り上げてるとか、ここの取材が難しそうとか、みんなで会話しながらヒントを得て作っていましたね」と振り返る。
忘れられないのは、ナレーションの原稿直しの作業。「今みたいにメールでやり取りしないので、その場に5~6人が集まって、VHSで映像を流して、巻き戻しとか一時停止とかしながら誰かが原稿を読んで、“ここは15秒に入り切らないだろ!”とか言いながら一字一句にこだわるので、平均で10時間、長いときは30時間くらいやっていました」と、熱量あるやり取りが行われていた。
今の時代から考えると非効率な作業だが、「そこで膝を突き合わせてやることで、コミュニケーションが生まれ、取材や企画のヒントが出てくることもあったと思います。『ザ・ノンフィクション』は、他のドキュメンタリー番組に比べて自由に作らせてくれるのですが、それは決まったフレームがないということなので、若い人にとっては自由すぎて難しい。だからこそ、ああやってみんなが集まる場があることは、大きかったと思います」と効果を発揮していたのだ。
