レイチェル・ヤマガタが語る「喪失の先にある光」──孤高の歌い手が9年ぶり帰還

レイチェル・ヤマガタ(Rachael Yamagata)が5作目となるスタジオアルバム『Starlit Alchemy』を10月3日にリリースした。

前作『Tightrope Walker』から実に9年という長い時間が経っている上、メジャー・レーベルから彼女のCDが日本でリリースされたのは2008年の2ndアルバム『Elephants…Teeth Sinking Into Heart』が最後だったので、そこから数えると17年。最後の来日公演からも13年半の年月が経っている。ならば改めてどういうアーティストなのかを初めに書いておいたほうがいいだろう。

レイチェル・ヤマガタは米ヴァージニア州アーリントン出身のシンガー・ソングライター。日系の父親とイタリア系ドイツ人の母親の元にニューヨークで生まれ、2歳のときに両親が離婚してからはアメリカ国内を転々として育った。12歳でピアノを始め、大学では演劇を専攻。その後、BUMPUSというシカゴのカルト・バンドでバッキング・ボーカルを5年間務めたが、そのなかで自分自身の表現欲求が抑えられなくなり、オープンマイクでの腕試しを経てシンガー・ソングライターとして活動するように。初のソロ・ライブはノラ・ジョーンズがよくやっていたニューヨークのリヴィング・ルームだったが、その後いきなりデヴィッド・グレイのマディソン・スクエア・ガーデン公演のオープニングアクトに大抜擢され、レコード・デビューのチャンスもつかんだ。そして2004年に1stアルバム『Happenstance』をリリース。これが世界で高く評価され、日本でもアルバム発売前にショーケース・ライブを行ない、2005年1月には渋谷クラブクアトロほかでライブを行なって生々しい歌声で観客たちの心をつかんだ。

しかしレーベル(RCA)の組織再編によるゴタゴタがあり、ワーナーに移籍して2作目をリリースできたのはデビュー作から4年後。メジャーを離れて自主で3作目『Chesapeake』をリリースしたのはその3年後といったふうに、リリースのペースはスロー。それでも質を落とすことなく、メジャーシステムの外で自ら道を切り開いてきた彼女の姿勢をリスペクトするアーティストも少なくない。

切実で、聴く者の心をかき乱しもするが、かと思えば癒しもする歌声。先の読めない曲展開。そのあたりが魅力であるレイチェルにとっての9年振りの新作『Starlit Alchemy』は、世界各地でのツアー資金をもとにして、大半を自宅スタジオで録音。デビュー作に深く関与していたジョン・アレイジア(ジョン・メイヤー、デイヴ・マシューズほか)を始め、つきあいの長いプロデューサーやミュージシャンが彼女をサポートした。制作に関わっていた人の死、顎関節症や聴覚障害といった困難もありながら、彼女はどんな思いで、どのようにこのアルバムを完成させたのか。Zoomで話を聞いた。

音楽は「旅」──不変の創作哲学

―約9年振りとなるニューアルバム『Starlit Alchemy』が遂にリリース。今、どんな気持ちですか?

レイチェル:完成してから早くみんなに聴いてもらいたいとずっと思っていて。正直、待ちくたびれたくらいなんだけど(笑)、今はどんな反応をもらえるかワクワクしている。

―前作『Tightrope Walker』(2016年)から今に至るまでの9年間は、あなたにとってどのような時間だったのでしょうか。

レイチェル:いろんな意味でとにかく忙しかった。アルバム・リリースの間隔が空いてしまうのは、その間にツアーがあったり、新しいバンドとライブをするための準備をしたり、曲作りをしたりしているから。加えてレーベルが変わったり、アルバム制作の出資元が変わったりなど、ビジネス面の要因もそこにある。そういうことが多々あって、私の場合はどうしても間が空いてしまうのだけど、特に今作のリリースに時間がかかったのは、2020年の出来事の影響が大きかった。あれを受けて書き直した曲もあったし、あの期間の心情を新たに書いた曲もあった。現実とは思えないような時期がかなり長く続いたからね。

―COVID-19のパンデミック。それ以前とその渦中で書かれた曲でこのアルバムはできているわけですね。

レイチェル:そうね。アルバムに取り組む過程で亡くなった人が多くいた。その全員と個人的な付き合いがあったわけではないけど、身近な人も何人か亡くなってしまった。本当にたくさんの命があの時期に失われたわけで。その辛さ、痛みをみんなと乗り越え、私自身も乗り越えるというのが、ひとつのテーマとしてあったの。それをしっかり歌で表現することができれば、自分ひとりで背負い込まなくてよくなるというか。そう、これはツアーに出たときに思いつきで書いた曲を貯めてできたというようなものではなく、テーマのもとに作ったアルバム。リリースまでに長い時間がかかっているけど、曲を書くことに専念していた時期があったのも確か。

―そうして身近な人を亡くしたり、社会全体としても多くの命が失われていったなかで、曲を書かないではいられない、そうしなきゃ前に進めないといった衝動みたいなものがあったのでしょうか。

レイチェル:確かにそういうものがあったかもしれない。とにかくこのアルバムを作り上げないことには、初期の頃のポップな作品が好きだった人たちに喜んでもらえるような作品なんて二度と作れないと思っていた。このアルバムの歌詞を書くには自分の心の奥底までしっかり見つめないといけなかったし、今何が起きているのかということをちゃんと理解しないことには次に進めないと思った。以前はひとつのアルバムを作りながら単発のプロジェクトを並行してやったりもしたけど、今回はそんな余裕もなかった。本当にいろんなことがあって、完成するまでに何度も中断を余儀なくされたの。だから、ようやくみんなに聴いてもらえるところまで辿り着けて、とても嬉しい。

―曲にすることで痛みや悲しみが少し和らいだり、靄が晴れたり、救われた気持ちになったりもしましたか?

レイチェル:そうね。どんな作品作りにもそういうところが多かれ少なかれあると思うけど。特に今作に関しては、自分だけじゃなくてほかの誰かを救うものになったらいいなと思っていた。もう大丈夫だと思って前に進もうとしたら、そこでまた何かが起きて苦しい気持ちに引き戻される……というようなことが度々あって、まるでジェットコースターに乗っている気分になったりもしたけど、でもそれこそが”生きる”ということで。辛い経験をしてこそ強くなれたりもするものなのよね。辛くて悲しい世界だけど、それでも生きていく価値はある。そういう思いを私はひとつのエネルギーとして発信することができるし、それによって誰かを救うこともあるかもしれない。それがつまり、今作における癒しの力だと思っている。

―今作『Starlit Alchemy』には11曲が収録されています。それらは流れがあって、曲と曲とが繋がっているようでもある。どんなふうに作っていったのですか?

レイチェル:今回はまるで短編映画を作っているような感覚があった。1曲書くと、そこからまた次の曲が生まれていって、しかもそれがほぼ同じキーだったりする。まるで夢を見ているようだった。意識の流れに任せたらそうなったという感じ。これは3分半のポップソングがいくつかあるような作品ではない。流動的で、現実とは思えない感覚のもとに生まれた曲がまた別の曲を呼ぶようにしてできた、そんなアルバム。

―初めから明確なビジョンがあったわけではなく、今おっしゃったように、できた曲がまた別の曲を呼び込むような感じで徐々にアルバムとしての形が整っていったわけですね。

レイチェル:そう。テーマはあったけど、完成図が見えていたわけではまったくなかった。できた曲のなかにちょっとしたビネット(物語の章の始まりなどに用いられる簡素で説明的な一場面)みたいなものがあって、それを元に次の曲が生まれるなんてこともあった。書いては録音してを繰り返すなかで、対になった2曲がほぼ同時に生まれたりもした。「Blue Jay」と「Jesse」がまさにそう。一方で、もともとは1曲だったものをふたつに分けて、別の曲として収録したものもある。「Heaven Help」がそうなんだけど、初めはひとつの曲として作っていたものを分離させ、片方を「Reprise」として最後に収めることにしたの。というのも「Reprise」のほうの歌詞は、この旅の終わりに相応しいメッセージを秘めていると思ったから。それは”私たちはひとりじゃない”ということを思い出させるメッセージ。”光を灯して””この旅はこの先も続くんだ”っていうね。そんなふうにして徐々にアルバムという形になっていった。聴く人が散歩しながらヘッドホンでこれを聴いて、自分の内なる旅をしてくれたら嬉しいな。それが私の理想。このアルバムで表現されている”生まれ変わりの旅”は、痛みを抱えている人、喜びや生き甲斐を探している人の心に必ず響くものだと思うから。

―そういうアルバムにするために、曲順も相当時間をかけて考えたんじゃないですか?

レイチェル:ものすごく悩んだわ。この曲に一番相応しい場所はどこなんだろ?って考えれば考えるほどわからなくなったりした。1曲1曲の持つ意味を抽出してキャッチフレーズをつけ、それを元に並べてみてから少し寝かせ、2カ月後に聴き直して「なんか違うな」って思ったらまた順番を考え直して……。そんなふうにかなりの時間をかけて曲順を決めていった。「Backwards」という曲でアルバムを始めるというのも、考え抜いた末に決めたこと。私はインテリアに興味があって、よく家の模様替えをするのね。その際、部屋のいろんな場所に座ってみて、違う角度から全体を見てみるわけ。誰かが遊びに来たときにこれだとどうかな?とか、曲を作るときにはこのほうが落ち着くかな?とか。機能的かどうか、配色としてはどうか、そういうことをいろいろ考えながら家具を動かして、どの角度から見てもいい感じだな、空気が気持ちよく流れていくなっていう配置にするの。このアルバムでもそれと同じことをしたのよ。

―さきほどから何度かあなたが「旅」という言葉を使っている通り、まさしくこれは”感情の旅”のようなアルバムだなと思ったんですが、アルバム全体だけでなく、1曲の展開自体が旅のようだったりもします。こんなふうに始まったのにこんな展開をしていってこういうところに辿り着くのか?!というような驚きのある曲が多い。そう思いながらアルバムを聴き、ふと20年前に僕があなたにしたインタビューの記事を読み返してみたら、あなたはこう話していました。「曲が進んでいく過程がひとつの旅のようなものになっている音楽。私の音楽はそういうものであってほしい。例えばジェフ・バックリィの音楽がそうであったように、その旅の途中には様々な感情があって、それらがダイナミックに移り変わっていくというようなもの」。つまりその頃から考えが変わっていないということですよね。

レイチェル:あはははは。私ったら20年前にもそう言っていたのね。でも本当にずっとそう。そこに気づいてもらえて嬉しいわ。曲を書くとき、私は歌詞、コード進行、メロディの全部を一緒に思いつく。私はミュージシャンとして優れたテクニックを持っているわけではないし、音楽の知識がすごく豊富というわけでもない。自分の直感を信じて書くことが多くて、その過程は、この曲はどこに向かいたいのだろうかと紐解くことでもあるのね。昔から映画が好きだったし、ドラマチックな体験も好きだった。それで書いている自分も驚くような展開になることが多いんだと思う。尺の長い曲ばかり書いてしまうのも、それが理由かもしれない。そう、私の曲って長い旅のようなものなの。

アルバムという「旅」を信じて

―「Carnival」と「Galaxy」はとりわけダイナミックに展開していく曲で、ミュージカルの曲のようでもある。ミュージカル的な曲を作りたいという考えのもとに作ったんですか?

レイチェル:そういうわけではないんだけど、ミュージカル的な音楽にどっぷり浸かりたいという願望はずいぶん前からあって、実は15年前から密かにミュージカル作品を作り始めたりもしていたの。近い将来、またちゃんと取り掛かりたいと思っている。で、「Carnival」だけど、これって壮大な感じがするでしょ? ハーモニーがたくさんあるし、いろんな人から「クイーンっぽいね」って言われる(笑)。難曲なんだけど、それまでの自分のスタイルを一回忘れて一か八かで思い切ってやってみようと思って、あえて大袈裟にしてみたんだ。爆発力が欲しかったからね。実は私、顎関節症で、顎がズレやすくて。この曲を歌うとどうしても顎関節がおかしくなるんだけど。それから「Galaxy」は、違う惑星に住む人たちが私たちのことを見守ってくれているというようなことを書いた曲で。宇宙との繋がりについて歌ってみたかった。

―そういった曲もあり、今まででもっとも冒険的で、可能性を大きく広げたアルバムなんじゃないかと思ったのですが、ボーカル表現に関してはどうでした? 新しいボーカル表現に挑戦しようという意欲なんかもあったりしましたか?

レイチェル:「Carnival」について話すと、あれは初めて歌ったときのデモをそのまま使用していて。レコーディングはニューヨークでやったんだけど、ドラマーがカリフォルニアにいたので、ドラム・パートを録音してもらうために歌ったものなんだよね。風邪をひいた状態で録ったので本番で使うつもりなんてなかったんだけど。そのあと何度も歌って録り直したけど、最初のデモにあった新鮮さとか開放感を入れ込むことが結局できなかった。ああいう曲は、いかに自由に歌うかが何より大事で。風邪ひいた状態で録ったデモは”こういうふうに歌わなきゃ”とかなんにも考えずに歌ったもので、それがかえって曲に新しさを吹き込むことになったというわけ。それから今作には重みと優しさの同居した「Blue Jay」や「Jesse」のような曲もあるけど、それらの歌い方には齢を重ねた今の自分が反映されているように思う。新しいボーカル表現を意識せずとも、齢を重ねたことによる変化が自然に歌に表れているってことじゃないかな。

―ストリングスが入ったドラマチックな曲やミュージカル的な曲がある前半に対し、後半は音数の少ない曲がいくつか並んでいます。話に出た「Blue Jay」はあなたのボーカルとピアノにベースが加わっただけですし、「Jesse」はボーカルとピアノだけ。こういったミニマルな表現をする上で意識したのはどんなことですか?

レイチェル:その2曲は心から信頼できる友人とスタジオに入って、誰もいない大きな部屋にピアノだけを置いて録った。スタジオに入った時点で曲は未完成だったんだけど、紙に書き留めた言葉を読みながら、この曲を書くきっかけになった人たちに捧げる気持ちで弾いて歌ってみようと。そして1曲弾いたら、そのまま繋ぎのパートを思いついて、気が付いたら次の曲を弾き始めていた。曲を捧げた人たちに対する敬意と愛情がそうさせたのね。それはすごくパーソナルな体験だったからこそ、力強い歌になったんだと思う。頭で考えて構築したものではなく、本能のままに歌うことができた2曲。亡くなった彼らがその部屋にいて力を貸してくれたんだと私は信じている。プロダクションに関しても、ほかに何も加える必要がないと思ったので、そのままにしたの。

―本能のままに歌う、心で歌うって、誰もが容易くできることではないですよね。

レイチェル:そうね。私はレコーディングを居心地のいい場所でするのが好きなの。だから自宅で録った曲もある。安心して自分の弱い部分も曝け出せるような場所であることが大事。でも何年も歌っていると、自然とそれができるようになったりもするもので。大勢の観客の前でもできるようになる。なんといってもそれが一番リアルだからね。私は常にそのことを考えて歌っている。いつだって嘘のない歌を届けたいから。

Photo by Laura Crosta

―あなたの過去のアルバムもそうですが、今作もまた初めから終わりまで通して聴くことで見えてくるものがある作品、そうして初めて旅の意味がわかる作品だと感じました。サブスクリプションが主流になって曲単位で音楽を楽しむのが当たり前になった時代ですが、あなたは今もアルバムという形態に強い拘りがあるのでしょうね。

レイチェル:そうありたいと思っている。実は今作のタイトルを『アーキビスト』にしようかと考えたこともあったの。この作品が、私が経験したことを永久保存(アーカイブ)したものであってほしいと思っていたから。と同時に、アルバムというフォーマットそのものも永久保存されてほしいという意味もあって。今のこの時代、アルバムを通して聴くことって、以前よりもっと聴き手の集中力が必要だったりするでしょ? そんななかでもとりわけ私のこのアルバムは集中力を要すると思うのね。だけど私はそういうアルバムという形態の持つ力を今でも信じている。この先どうなるのか、アルバムというフォーマットが細々とでも残っていくのか、それともなくなるのか、私にはわからないけど、時代が変化しているのは確かなこと。もしもこれが私にとって最後のアルバムになるんだったら、これで華々しく散ろうと思って(笑)。でも続けられる限り、私はアルバムというフォーマットでの表現に拘りたいと思っているの。

レイチェル・ヤマガタ

『Starlit Alchemy』

発売中

再生・購入:https://orcd.co/rystarlit