連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 62 TOJ

日本では今年、GCリターンズと称して、70年代に富士スピードウェイで開催された、富士グランチャンピオンシップに出場したレーシングカーや、それをドライブした往年のドライバーたちが集い、レースが行われた。このイベントは大成功を収め、来年も新たに3戦を予定するレギュラーイベントに発展をしそうな勢いである。

【画像】現存する数も少なく、非常に希少なレーシングカー、TOJ(写真9点)

その富士グランチャンピオンシップに出場していたマシンは、マーチ、ローラ、そしてシェヴロンが言わば3大勢力で、中でも最盛期はマーチが手が付けられないほどの強さを発揮していた。というよりもそのマシンに搭載された、BMW製のM12と呼ばれた2リッター4気筒エンジンが、抜群の強さを発揮していたと言った方が正しい。

そんなイギリス勢のコンストラクターの中に、ひときわ珍しい新興勢力の存在があった。それがGRD(Group racing developments)という、1971年に誕生したレーシングカー・コンストラクターのマシンで、グランチャンピオンシップには生沢徹のドライブで登場していた。残念ながらオイルショックの影響から、GRDは1975年には消滅してしまうが、そのGRDのシャシーを用いて製造されていたレーシングカーが、ドイツにも存在した。それがここに紹介するTOJである。

TOJはTeam Obermoser Jorgの略で、創設者のヨルグ・オーバーモーザーの名前に由来する。オーバーモーザーは、70年代初頭にレーシングドライバーとして活躍し、はじめはツーリングカーレース。次いで1972年からはスポーツカーヨーロッパ選手権にも参入している。この時のマシンがローラT290、その後GRD S73に乗り換え、そこでGRDとの関係ができることになった。

1973年には自身のチーム、レーシングチーム ヨルグ・オーバーモーザーを立ち上げ、同時にレーシングカー・コンストラクターとしても名乗りを上げることになり、こうして完成するマシンが、TOJ SS02と呼ばれた2リッターのBMWエンジンを搭載したスポーツレーシングカーであった。それはまさに、日本の富士グランチャンピオンシップのレギュレーションに合致するマシンでもあった。このSS02は、GRDのシャシーに、今もデザイナーとして活躍するアヒム・シュトルツ(Achim Storz)がデザインしたボディを載せた、完全なるオリジナルとは言えないマシンであったのだが、1975年シーズンを前にシャシーを供給していたGRDがとん挫。そこでオーバーモーザーは、GRDのデザイナーだったジョー・マルカート(Jo Marquart)の力を借りて、彼がデザインしたGRDのシャシーをモディファイ。ここに初のオリジナルマシンといってよい、SC03が誕生するのである。カウルデザインは引き続きアヒム・シュトルツが担当。そしてこのマシンはTOJに大きな成功をもたらすことになるのである。

とはいえ、まだ設立者であるヨルグ・オーバーモーザー自身のマシンを作り上げたに過ぎない状況は、僅か2台のSC03を作り上げたにすぎず、コンストラクターとして市販に至ることはなかった。この状況は後に作り上げるマシンについても変わりはなく、1978年にオーバーモーザー自身がレースから手を引き、同時に常にTOJを支えていたドイツのビールメーカー、ヴェルシュタイナーがスポンサーを降りたことで、TOJ自体も、その活動を終えることになった。

それゆえに個々のマシンは稀少性が高く、今日存続しているマシンも非常に少ない。ロッソビアンコ博物館には2台のTOJが収蔵されていたが、やはりコンストラクターがドイツ人であり、コレクターだったロッソビアンコのピーター・カウスもドイツ人ということで、この2台のマシンも購入されたようである。

ロッソビアンコの2台は、1台が実質的に初のオリジナル・スポーツカーマシンともいえるSC03。シャシーナンバー004は、2台作られたSC03の2台目のマシンで、主として1975年シーズンに、オーナーだったヨルグ・オーバーモーザーがドライブした。ブランズハッチやホッケンハイムなどでの優勝履歴があるマシンだ。その後売却されてドイツ国内のローカルレースを走ったのち、ロッソビアンコのピーター・カウスによって博物館に展示された。

もう1台は、SC206の名を持つ1978年に投入された、TOJ最後のレーシングスポーツモデル。皮肉なことにこのマシンは当時の価格およそ11万ドイツマルクで市販され、それゆえに活躍の場が大きく広がり、生産台数も5台と最も多く作られたマシンとなったうえ、ドイツ選手権のチャンピオンにもなったのだが、スポンサーの撤退がTOJの活動に終止符を打つことになったのである。

ロッソビアンコのマシンはシャシーナンバー7901を持つ、一番最初に作られたSC206といわれるマシンである。オーバーモーザー自身がドライブして1978年シーズンを戦ったマシンなのだが、7901というシャシーナンバーは、実は打ち直されたもので、本来のナンバーは1978であったと言われる。理由は明らかではないが、SC206の最後のマシンのナンバーが2478である事から、そう言われている。一説には税金を回避するのがシャシーナンバー打ち直しの理由だとも言われる。

いずれにせよ、この1978もしくは7901のマシンは、最新の情報ではブルンレーシングの手によって完全なレース可能の状態を保持しているそうだ。また、78年にオーバーモーザー自身のドライブで、モンツァのレースで2位に入った戦歴を持つ。この時優勝したのは、ヨーストがドライブしたポルシェ908/03であった。エンジンは2リッターのBMWM12。マシンのポテンシャルはローラやシェヴロン、マーチなどを凌駕したとも言われるので、生産台数が多ければ、日本のグランチャンピオンシップでも見ることができたのかもしれない。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh