「神話から未来へ-ピニンファリーナの95年」イベントが盛大に開催

デザインコンサルティングと少量生産に特化し、1950~1970年代の花形ビジネスであったイタリアのカロッツェリアの今は極めて寂しい。しかし、キング・オブ・カロッツェリアと称されたピニンファリーナは、今年、創立95周年の節目を迎え、今なお業界のリーディングカンパニーとして健闘している。創立90周年がコロナ禍のため、実質的に稼働できなかったことから、この95周年を機会に、将来に向けたピニンファリーナのビジネスプランを大きく発信しようと決意したようだ。

【画像】ピニンファリーナの創立95周年を祝い、歴代の代表モデルが揃う(写真23点)

去る5月22日にイタリア国立自動車博物館をベースとして95周年記念行事のハイライトとも言える「神話から未来へ-ピニンファリーナの95年」イベントが開催された。往年のカーデザイナーや、政府、産業界、文化界から著名人を迎え、約一世紀にわたるエレガントかつイノベーティブな歴史を持つブランドの過去と未来を語るという豪華なコンテンツは見逃すわけにいかない。

イベントの前後には、博物館の特設展示としてピニンファリーナがセレクトした6台のアイコニックなモデルの展示が行われた。その中の一台はピニンファリーナがデザインした魅惑的なロードスター、モーガン・ミッドサマー・スペシャルエディション。このモデルはイタリアでは初公開であり、博物館での展示も初めてとなる。ピニンファリーナの新しいレーベル「Fuoriserie(フォーリセリエ)」を冠した最初のモデルであり、展示の核となる象徴的なセンターピースとなった。

もうひとつのハイライトは、ピニンファリーナ創立95周年を記念して製作されたバティスタ・ノヴァンタチンクエだ。エクスポーズド・シグネチャー・カーボンにロッソ・グロスを施し、イタリアン・アートとイノベーションの真髄を表現している。 その他にも、以下の希少なモデルが展示された。

シンテシ・プロトタイプ: 2008年のジュネーブモーターショーにて発表された近未来的なコンセプトモデル。4ドアのシューティングブレークスタイルであり、水素燃料電池とモーターにより駆動されるEV。スタイリングはローウィー・ベルメッシュが担当

2uettottanta:2010年ジュネーブモーターショーでデビューを飾ったアルファロメオ・ブランドのコンセプトモデル。ピニンファリーナの創立80周年、そしてアルファロメオ創立100周年を祝う企画であり、次期スパイダーへの提案でもあった。車名は1966年のスパイダー・デュエットに由来するもので、全幅は現代のスタンダードに合わせて拡大しているものの、至極コンパクトなディメンションが特徴。スタイリングはローウィー・ベルメッシュ。

セルジオ:2013年ジュネーブモーターショーで発表された故セルジオ・ピニンファリーナへ捧げる一台としてフェラーリ458スパイダーをベースに一台のみが製作された。フロント・ウィンドウ・レスのバルケッタ・スタイルでありながらも、エアの吹き出しにより快適なキャビン環境を維持するというイノベーティブなアイデアの採用が発表された。このプロトタイプは、フェラーリとのさらなるコラボレーションによって6台のプロダクションモデルが顧客に販売されることとなった。スタイリングはファビオ・フィリッピーニ。

ホンダHP-X:1984年にホンダとの継続的なコンサルタント契約に基づいて、ピニンファリーナがホンダに提案したミッドマウントエンジンレイアウト・スポーツカー。カンビアーノのアトリエでレストアされ、昨年のペブルビーチコンクールデレガンスに出展され一躍その名を世界に知らしめたが、当時ホンダが計画していたNSXへの提案でもあった。スタイリングはレオナルド・フィオラバンティのディレクションの元、ディエゴ・オッティナが担当した。

限られた人数が招待されたイベントであったが、会場には1970年代以降、特にフェラーリとの蜜月期におけるスタイリング開発の多くをディレクションしたレオナルド・フィオラバンティ、彼を引き継いで、エンツォ・フェラーリやクアトロポルテなどのディレクションを行ったロレンツォ・ラマチョッティなどの顔も見られた。ホンダHP-Xに対してフィオラバンティは「思い出深い一台です。ランニング・プロトタイプでピニンファリーナの中庭をテストドライブしたことを今でも鮮明に覚えています。新しいスーパースポーツカー像を作ることに拘りました。」とコメントしてくれた(注:展示された個体はモックアップで不動。もう一台のF2エンジンが搭載されたランニング・プロトタイプがホンダに納品されたと言われる)。一方、ラマチョッティはカンファレンス会場に展示されたテスタロッサを前に、「これ以降のフェラーリGTカーに関するコンセプト・セッターともなった一台で、このモデルが果たした役割はとても大きい。興味深い当時の開発秘話をいろいろ教えてあげよう」と頼もしいコメントだ。

さて、参加者は講演ホールへと移動し、イタリア政府、ピエモンテ州、トリノ市の代表者によるスピーチで講演プログラムは幕を開けた。司会のマリア・ラテッラとシルヴィオ・アンゴリ ピニンファリーナ副会長兼CEOの対談がハイライトとなるが、ピニンファリーナの95年の遺産を振り返り、世界的なコーチビルダーから世界的なクリエイティブ・ハブへと進化したことが強調された。

昨年の4月に創始家を代表してピニンファリーナの会長職についていたパオロ・ピニンファリーナが死去したことによって、ピニンファリーナの経営陣からピニンファリーナ家の人員は不在となり、私たちは、ここにひとつの時代の終わりを見ることとなった。

そもそもキング・オブ・カロッツェリアとして世界を代表する自動車デザインコンサルティング会社として君臨したピニンファリーナであるが、自動車メーカーからの委託製造事業への大きな投資が仇となった。世界の自動車生産台数が横ばいとなり、生産の主軸が新興国へと移ったこともあり、ピニンファリーナが大きな投資を行った製造施設とそれに伴う人員は大きな重荷となってしまったのだ。

そんな難しい時期に、父セルジオ、兄アンドレアという二人の死去に伴って、経営を握ったパオロであるが、その彼も再建への志半ばで、若くしてこの世を去ってしまった。そんな中で、経営を引き継いだシルヴィオ・アンゴリCEOは、新しい方向性に向けてのかじ取りを要求されている。

ピニンファリーナの株式はマヒンドラが過半数を握っているが、その経営は独立を保っており、自動車のみならず工業デザインなど幅広いカテゴリーで粛々と事業展開を進めている。また、いわばブランドのライセンシングという形で同じくマヒンドラの出資によってアウトモビリ・ピニンファリーナが設立され、バティスタをはじめとするハイパーEVに特化した自動車メーカーのオペレーションにも深く関わっている。

さて、多くのゲスト・スピーカーによる講演と対談の他に、今回はふたつのサプライズがあった。ひとつはジョルジオ・ナダ・エディトーレ社から出版された新刊『ピニンファリーナ95―時を超えた美』の発表である。筆者の古くからの友人であり、エンツォ・フェラーリの伝記などのヒット作をもつルカ・ダルモンテが著者であり、多くの人々の証言や、公式アーカイブからの魅力的な画像を織り交ぜられたなかなかの力作である。洋書として日本でも、まもなく流通するはずだ。

もうひとつのサプライズがイタリア国営放送の一部門Rai Documentariとの共同制作によるピニンファリーナのドキュメンタリー映画『Story of a Legend』のティーザー上映だった。このドキュメンタリーは、映画的手法でピニンファリーナの伝説をとらえ、自動車とデザイン界の著名人たちの視点でピニンファリーナの歴史が分析されたもの。ピエロ・フェラーリ、ジョルジェット・ジウジアーロ、ファブリツィオ・ジウジアーロ、ルカ・コルデロ・ディ・モンテゼーモロ、ラポ・エルカン、ジュゼッペ・ラバッツァ、アルトゥーロ・メルザリオなど、自動車とデザイン界の著名人たちによるコメントと、ジョルジア・ピニンファリーナ夫人(セルジオ・ピニンファリーナ夫人)への独占インタビューなど、これは見ごたえ充分だ。もちろん、創始者のバティスタ・ピニンファリーナやエンツォ・フェラーリらの希少なアーカイブ映像も活用されている。この秋公開予定だ。

講演の後は立食パーティが6台の展示車両を囲み、開催される。こういった場所で、ジョルジェット・ジウジアーロ御大やフィオラバンティ、ラマチョッティ両氏などと交わす雑談は何事にも代えがたい。しかし、イタリアの常で、かなり遅い時間となったにもかかわらず、まったく終わる気配もない。ピニンファリーナ95周年を祝う夜はなかなか終わらないようだ。

文:越湖信一 写真:越湖信一、ピニンファリーナ

Words: Shinichi EKKO Photography: Shinich EKKO, Pinninfarina, Bin Jia