
シカゴ出身のインディー・ロック・バンド、ホースガール(Horsegirl)が、大きな話題を巻き起こしたデビュー・アルバムをリリースしたのは、まだ彼女たちがティーンエイジャーだった2022年のこと。そんな彼女たちは2ndアルバムで、さらにハードな試みに挑戦した。今年9月に待望の初来日ツアーも決定した3人組の最新インタビューをお届けする。
ブルックリンの通りをせわしなく歩いてくる3人の若きミュージシャンたち。冬のコートに身を包み、楽しそうに喋りながら交差点のダイナーに近づいてくる。12月の寒い金曜日、気温は氷点下に近いが、シカゴ出身の仲良し3人組にとっては、そんな寒さなどへっちゃらだ。
「シカゴとはまったくの別世界」と、毅然なまでに型破りなホースガールのペネロペ・ローウェンスタイン(20歳:Vo, Gt)は、バンド仲間であるノラ・チェン(21歳:Vo, Gt)、ジジ・リース(22歳:Dr)と並んでブースに詰め寄りながら言った。「この間、弟とこんな話をしていた。『冬のシカゴは、エアロックからエアロックへと移動しているみたいだよね』って。まるで宇宙にいるみたいな感じ」。
ローウェンスタイン、チェン、リースは、6年ほど前に音楽教育プログラム「スクール・オブ・ロック」で出会って以来、離れられない仲となった。取材時は、3人のうち2人がニューヨーク大学の試験期間中だったが、3人がともに期待と興奮でいっぱいのビッグイベントは、ホースガールの2ndアルバム『Phonetics On and On』が2月にリリースされることだ。このアルバムは2024年1月にシカゴで録音された。チェンの言葉を借りると「エアロックからエアロックを移動する期間中」ということだ。
左からペネロペ・ローウェンスタイン、ジジ・リース、ノラ・チェン(Photo by Colette Aboussouan)
ホースガールが10代の頃に編み出した”魔法の法則”は、たちまち効果を発揮した。彼女たちはオープンマイクのイベントでソニック・ユースの「Incinerate」をカバーするバンドから、ほんの数年で、ソニック・ユースのメンバー2人をゲスト・ミュージシャンとして迎えたデビュー作『Versions of Modern Performance』を2022年にリリース。同作が好評を博し、ソールドアウトの会場でウィルコやペイヴメントの前座を務めるバンドへと成長した。ウィルコのジェフ・トゥイーディは昨年、本誌のインタビューで、X世代やミレニアル世代にとってのホースガールの魅力をこのように総括した。「あの種のポスト・パンクのギター・ミュージックが、新しい世代に響くものとして生まれ変わっているのをみると、心躍るものがある」。
1stアルバムの成功にもかかわらず、ホースガールはそれに勝るものを作りたいという意欲を募らせていた。「『Modern Performance』は高校時代のレコードだった。制作中もその自覚があった。自分たちはまさにキッズだった」とリースは言う。
あれから約3年が経ち、当時を振りかえると、彼女たちにとってあのデビュー・アルバムは、1晩に7組ものバンドと競い合うようなDIYイベントで目立つために開発した圧倒的大音量のライブ・サウンドを表現する手段だったと言う。「あの頃は、とにかく存在感を放ちたかった」とリースは言う。「ステージに立って、とにかく大音量で、クレイジーで、想定外なことをして、みんなを振り返らせるのが主な目的だった」。
「そこにジェンダーを加えてもいい?」とローウェンスタインが尋ねる。
「もちろん」とリースが答えた。
「ガール・バンドだからかもしれないけど、『私たちだって、メチャクチャうるさい音を出せるんだからね』とアピールしたい気持ちがある」とローウェンスタインは続ける。「主導権を握れるっていうか……みんなが私たちを見て『おや?』という感じになるのがたまらないんだ」。
しかし今の彼女たちは、大音響の波で聴衆を畏怖させる必要性は感じていない。ウェールズ出身のアーティスト、ケイト・ル・ボンがプロデュースを手がけた最新作『Phonetics On and On』は、多彩な楽器編成と落ち着いたトーンが印象的であり、ホースガールが新たに切り開いた世界は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの3rdアルバムや、ブロードキャストの『Tender Buttons』を彷彿とさせる。「私は今までヴァイオリンを扱ったことがなかった」とチェンは言う。彼女が弾くヴァイオリンの甲高い音は、シングル「2468」のハイライトと言えるだろう。「まるで子供の発表会みたい。でも、慣れていない楽器を演奏すると、偽りのない素朴な感じが出ると思う」と彼女は言う。
「彼女たちは非常に好奇心が強く、音楽を純粋に楽しんでいる。それに、3人とも本当に仲が良い」と、ル・ボンは後日、Zoomで話してくれた。「そんなエネルギーに包まれていると、こっちまで幸せな気分になる」。
「私たちが楽しい時間を過ごしたことが伝わってくると思う」ダイナーが閉店し、急激に暗く染まる夕暮れの中へと3人が出て行く前に、ローウェンスタインは教えてくれた。「これは、若い頃の自分なら絶対にハマっていた音楽だし、踊り出したくなるような音楽だから」。
ジジ・リース
「ノンバイナリーだと気づき、自分らしくいられるようになった」
数日後、リースが住むブッシュウィック地区のアパートからほど近いキューバ料理店で、リースと再会した。他のメンバー2人は、隣のベッドフォード=スタイベサント地区に住んでいる。ドラマーのリースによると、週末はいつもチェンとローウェンスタインと一緒に過ごし、レコード・ショップで友達の演奏を聴いたり、教会で開かれるZINEのリリースパーティーに参加していると教えてくれた。「友達はみんなZINEを作っているんだ」とリースは言う。
ホースガールのメンバーで現在大学に在籍していない唯一のメンバーであるリースは、時間に余裕があることから、自身のZINE『My Boyfriend』(私の彼氏)を発刊している。「これは『Everythings about my boyfriend』(彼氏のことばかり)と、『My boyfriend knows everything』(彼氏はなんでも知っている)というフレーズから取っているんだ」とリースは説明する。「そこから思い付くジョークすべてについてのジン。しかも私はレズビアンだから、それが逆に面白いってわけ」。
ジジ・リース(Photo by Colette Aboussouan)
リースはホースガールの最年長メンバーであり、おしゃべりも一番上手だ(ローウェンスタイン曰く「ジジはパーティーの盛り上げ役」らしい)。彼女はドラムを始めてから1年も経たないうちに、チェンとローウェンスタインが新たに結成したバンドのメンバーを募集しているというInstagramの投稿を見つけた。当時16歳だったリースは「すごく不安だった」と振り返る。「でも、あの2人に『ドラマーが必要なんだ。あなたはドラムセットの前に座って、私たちと一緒に演奏するの』と言われた。「そんなこと言われたら、やるしかないよね」。
子供の頃から、リースは自分が周りの男子や女子たちと上手く馴染めていないと感じていた。その思いは、ホースガールが地元のシカゴ周辺でライブをするようになってから一層強まったと言う。「自分たちが会場に到着すると、みんなが『おぉ、女の子のバンドだ』みたいな態度を取った」とリースは語る。「それは自分にとって居心地が悪く、違和感があった」。
パンデミックの初期段階、ホースガールの音楽は人気が出始めていたが、バンドは外出禁止令により自宅に缶詰状態だった。その間、リースは時間をかけて考えを整理することができた。「自分はノンバイナリーだと気づいた。おかげで、自分が自分らしくいられるようになった。代名詞を『She/Her』の代わりに『They/Them』を使うだけで、ずっと楽になったよ」とリースは話す。
この明確な認識にいたる手助けをしてくれたのはバンド仲間だとリースは言う。「自分がそのことに気づく上で、ペネロペとノラは非常に大きな役割を果たしてくれた。バンドの一員になることで、自分は、自分自身に完全に忠実ではなかったことに気づいた。自分でも気づかないうちに、『ペネロペやノラと同じような格好をしなくちゃ』と思っていた。彼女たちはすごく綺麗で、あの2人のテイストにはインスパイアされるよ。でも、それは自分という人間とは違う」。
ホースガール、2023年にNYで撮影したライブ写真(Photo by Sacha Lecca)
リースは、2018年に行われたカー・シート・ヘッドレストの『Twin Fantasy』ツアーのコンサートで、ローウェンスタインとチェンと意気投合した初期の思い出を今でもよく覚えている。「いかにもティーンエイジャーが行くようなコンサートだった」とリースは言う。3人は別々の高校に通っていたが、暇さえあれば一緒に過ごしていた。「とにかく毎週のように遊んでいた。ペネロペの家の地下室でずっと曲作りをして、週末を過ごしていたんだ」と、キューバサンドを頬張りながらリースは言う。
思春期に過ごした時間が、リースやバンドメンバーにとって、将来有望なキャリアへと進化しただけでなく、自己実現の貴重な手段となったことを考えると感慨深いものがある。「今の自分たちは、それぞれが個人として成長している。『Versions of Modern Performance』の頃は、まだそこまで到達していなかった。成長はしていたけど自分たちはまだティーンエイジャーだった。無理もないよ」とリースは言う。リースはこれまでに2号のZINEを発行しており、ホースガールの新作アルバムに捧げる3号目を計画中だ。「『My Boyfriend』を出すのに、アルバムのことに触れないなんて、自分の生活について嘘をつくようなもの」とリースは言い、微笑む。「だから、『My Boyfriend loves Phonetics On and On』(私の彼氏は『Phonetics On and On』が大好き)というテーマにしようかなって」。
ペネロペ・ローウェンスタイン
「失恋し、脆くなっている自分がいた」
もしホースガールの結成に貢献した30歳以上の人物がいるとすれば、ローウェンスタインの両親が最有力候補であることは間違いない。彼らはかなり以前から、娘のバンドだけでなく、彼女の弟アイザックがドラムを担当する、さらに激しくやかましい3人組バンド、ライフガード(Lifeguard)にも地下室を自由に使わせてきたのだ。「うちの両親はすごく協力的だった」と、ペネロペは、数日後、マンハッタンにある昔ながらのコーシャー(=ユダヤ教徒向け)食堂で、ボルシチとピエロギを食べながら話してくれた。「地下室からソニック・ユースみたいな騒音が絶え間なく響いても、まったく文句を言わなかったよ」。
「ハッピーで自信に満ちた子供」としてモンテッソーリ・スクールに通っていたローウェンスタインは、6歳でギターのレッスンを始めた。父は18歳の時にベネズエラからアメリカに移住したロック・ファンであり、母はローリン・ヒルやシャーデーを好んだ。そんな両親から、あらゆるジャンルの音楽を吸収したと言う。「両親は私の外見について、自由にさせてくれた。家にはクリエイティブな空気が流れていた。小学校5年生の時なんか、母が私の側頭部を剃って坊主にしてくれたんだよ」。
ペネロペ・ローウェンスタイン(Photo by Colette Aboussouan)
彼女はチャンス・ザ・ラッパーなどを輩出した名門高校の出身だが、自分と波長が合う仲間を見つけるのに苦労していた。「学校の守衛たちさえ『チャンスがここに通っていた頃はなあ……』とか自慢するんだよ? 自分と同じような変わり者と友達になりたかったけど、そんな子はいなかった」とローウェンスタインは言う。「ノラとジジに出会ったとき、私は『この学校の人間関係なんてどうでもいい。あの2人といつも一緒にいて音楽を作っていたい』と思った」。
ホースガールの出世作とでもいうべきシングル「Ballroom Dance Scene」が、初めてオンライン上にアップされたのは2020年のことだったが、当初はそれほど大きな話題にはならなかった。「高校では誰も反応しなかった。誰からも相手にされなかったけど、両親は『すごいじゃない』と褒めてくれた」とローウェンスタインは笑う。しかし、この曲は、ペイヴメントのボブ・ナスタノヴィッチのようなファンを惹きつけた。彼は自身の音楽ポッドキャストでこの曲を紹介している。「すごくクールで、マニアックな7インチだと思ったんだ」とナスタノヴィッチは言う。
地元メディアも彼女たちの知名度を押し上げるのに貢献し、中でもジャーナリストのブリット・ジュリアスが執筆したシカゴ・トリビューン紙の特集記事は効果的だった。「あれが初めてのインタビューだった」とローウェンスタインは振り返る。「ものすごく緊張した。『ホースガールは高校卒業後に解散するだろう』みたいなことが大きく書かれていたんだけど、記事が出たあとの反響は凄かった」。
ほどなくして、ホースガールは〈Matador〉と契約を結んだ。彼女たちが愛聴するレコードを数多くリリースしてきたインディーズの老舗レーベルである。「信じられなかった。結成以来、私たちが憧れていたレーベルだったから」と彼女は言う。
2021年、リースとチェンは大学進学のために東部へ移ったが、ローウェンスタインは高校を卒業するまでシカゴに留まった。「その年はすごく変な一年だった。私は、ジジとノラに完全に依存していたから」彼女は言う。「自分には友達が何人いるんだろう?って感じで、自分がどういう人間なのかを自分で知る必要があった」。
2022年の秋、チェンの後を追うようにニューヨーク大学に入学したとき、彼女は自身の音楽的嗜好が変わってきていることに気づいた。「高校時代は、ありとあらゆる変わった音楽を聴いていた。でも大学に入学してから、『それはいいとして、今までボブ・ディランをちゃんと聴いたことはあったっけ?』と思った。それから定番と言われる音楽は? ミュージシャンなら、そういう基本的なところも押さえておくべきだと思った」。
そこからの1年間、彼女は『Blonde on Blonde』をヘヴィローテーションで聴き続け、アル・グリーンといったアーティストによるソウル・クラシックを聴いていた。「まるで『何もかもさらけ出すよ』というようなラブソングばかりで、それがすごく心に響いたんだよね。『インディー・ロックを聴いてもこんなふうに感じることはない』と思った」。
その影響もあって、昨年1月にウィルコのLoftスタジオでチェンとリースと合流する前に、彼女が新たな歌詞を書き始めた際、その中身は繊細なものとなった。「スタジオ入りする直前、私は失恋したような状態だった」とローウェンスタインは言う。「だから、あの時のセッションでは脆くなっている自分がいた」。
ほろ苦さが感じられるシングル「Julie」(「We have so many mistakes to make/What do you want from them?(私たちはこれからたくさんの失敗をするだろう/あなたは何を望んでいるの?)」)や、思わず口ずさみたくなる「Well I Know Youre Shy」といった楽曲は、20代前半の恋愛における浮き沈みを色濃く反映している。「Well I Know Youre Shy」について、彼女は言う。「ある男の子に『これ、あなたのことを歌った曲だよ』と伝えて送ったんだ。自分の気持ちを伝えるための、ちょっとした愛情表現のつもりだった。でも、今になって曲を聴き返すと、『相当きつかったな』って気づいた」。
特に「Julie」は、今回のアルバムでホースガールのサウンドが花開いた象徴的な曲であるとして、彼女もその出来栄えには満足している。この曲は当初、アコースティック楽器によるラブソングで、ローウェンスタインがギターを演奏していた。彼女がこの曲をLoftに持ち込んだところ、リースが重厚なシンセサイザーのパートを加え、チェンがゆったりとした味わい深いベースラインを加えた。最終的に、ローウェンスタインのギターはカットされたが、曲には不思議な新鮮味が加わった。
「私が書いたパートを削ったら、ずっと良くなった」と、席を立つ前に彼女は言った。これから、シェイクスピアの『テンペスト』にまつわる論文を書かなくてはいけないらしい。「2人に支えられているという感じがすごくあった。私は歌っていただけなんだけどね」。
ノラ・チェン
「私は感覚でやっていくしかない」
チェンはホースガールの中で最も落ち着いたメンバーだが、他のメンバーに劣らずウィットと洞察力に富んでいる。「ノラは寡黙なところがあるから、とっつきにくいと思われがち」とローウェンスタインは言う。「でも、打ち解けるとすごく面白い人。相当な変わり者なんだけど、それがまた最高」。
翌日の午後、ニューヨーク大学近くのコーヒーショップで、今学期最後の試験を無事に終えたチェンに会った。「実は、ペネロペと一緒に受けている授業なの」と彼女は言いながら、レモンケーキを注文した。「1600年から1800年のイギリス諸島の文学」。彼女とローウェンスタインは共に専攻が英文学で、チェンはクリエイティブ・ライティング(文芸創作)を中心に学んでいる。彼女が書いた『Phonetics On and On』の歌詞の一部は、学生時代に作った詩の引用だと言う。
ノラ・チェン(Photo by Colette Aboussouan)
一人っ子だった彼女は、ティーンエイジャーになる前から、独特な世界観を確立していた。「お高くとまった感じで、自分を高く評価していた」とチェンは言う。「母がFacebookに投稿した有名な写真がある。ダイニングテーブルで座っている私の写真で、見出しは『ネルシャツを着たノラ。自分はポップ・ミュージックではなく、オルタナティブ・ミュージックが好きだと私たちに熱弁している』というもの。小学校6年生の頃だったと思う」。
当時の彼女にとって、「オルタナティブ・ミュージック」とは、ケイジ・ジ・エレファントやフォスター・ザ・ピープルといった2010年代のモダン・ロックのアーティストたちだった。「こんな冗談を言っていた。『なんとか・ザ・なんとか、って名前のバンドがたくさんあるけど、私はぜんぶ大好き』って」。ギターを教えてくれたのは父親だった。彼女が現在ホースガールのステージで演奏しているギターは、父親が大学時代に使っていたIbanez Roadstar IIだ。
リースとローウェンスタインと同様、彼女もまた10代の頃に現在のバンドメンバー2人と出会ったことを、人生を一変させたビッグバン的な瞬間だったと表現している。「もっと前から、音楽の好みが近い人と知り合いたいと思っていたけど、そんなこと不可能だと思っていた」。と彼女は言う。彼女とローウェンスタインは、お互いが、スクール・オブ・ロックの同級生たちよりも、ラウドで、アート色の濃いバンドが好きだと分るとすぐに仲良くなった。「一緒にソニック・ユースに夢中になった」と彼女は言う。「自分のお金で初めて買ったレコードは『Daydream Nation』だった」。
チェンとローウェンスタインという2人のギタリストには、ギターに対する独特なスタイルが確立されており、それがホースガールのサウンドにおける重要な要素となっている。「ペネロペは速弾きギタリストなんだよね」とチェンは、まるで秘密を打ち明けるかのように、にっこりしながら教えてくれた。「だけど、それを隠している。私たちが演奏するタイプの音楽では、速弾きは歓迎されないから。あと、彼女は『Comfortably Numb』(ピンク・フロイド)のソロを弾くのが大好き。中学生の頃から弾けていたんだ」と、彼女は自身の直感的なスタイルと比べながら言う。「私はギターのどこにどの音があるのか分かってないから、感覚でやっていくしかなくて」。
大学生活が終わりに近づくにつれ、彼女は、初めて実家を離れて暮らした数年間を振り返る。「真夜中にバーに行って楽しく過ごしていた時期もあった。でも、そこから友達グループがガラリと変わったりする。あるいは、誰かと3カ月間、毎日のように一緒にいたかと思うと、それっきり二度と会わなくなったり。不思議だよね。でも、大学を卒業しても友達でいるだろうなって人は、今の時点でだいたい見当が付きそう」と彼女は語る。
Photo by Colette Aboussouan
あと数カ月でチェンは卒業する。その後は、まだどうするか決めていない。「ペネロペはあと1年、大学生活があるから、ホースガールとの両立が難しくなるかも」彼女は言う。「私は今のところ、これ以上、学生を続けたいと思わない。でも、何かしらの仕事を見つけないといけないから不安もある。ニューヨークでは、ずっと学生として生活していたから、今後どうなるかは楽しみでもあるけど」。
ホースガールの3人は全員、サンクスギビングや1月の休暇を含め、頻繁にシカゴに里帰りしている。地元にいるときは、エモーショナルな叫びを放つフリコや、フックが気持ち良いモッズ・ポップ・バンドのSharp Pins、強烈なノイズを炸裂させるTwin Coastをはじめ、数多くのバンドやZINEがひしめくロック・シーンの看板アーティストとして活躍している。「地元に帰るたびに、本当に心が落ち着く」とローウェンスタインは言う。
バンドメンバーは、ローウェンスタインが2026年に卒業したら、拠点をシカゴに再び移し、シカゴに留まることに同意している。「シカゴに戻る予定」とリースははっきりした口調で言う。だが、迷いもあるようだ。
「でも……どうかな」とリースは付け加える。「だって、ニューヨークには今の私たちの生活がある。自分たちが思っている以上に、ここを離れるのは難しいと思う」。
From Rolling Stone US.
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