コスモエネルギーホールディングスのグループ会社であるコスモ石油マーケティングは、国際エクスプレスのリーディングカンパニーであるDHL Expressと国産SAF(Sustainable Aviation Fuel/持続可能な航空燃料)の売買契約を締結した。SAFとはどんな燃料で、今回の契約はSAFの利活用にどのような影響をもたらすのか。説明会を取材した。

  • コスモ石油とDHLのSAF供給に関する説明会

    契約書にサインを交わして笑顔を見せるコスモ石油マーケティング社長の森山幸二さんとDHLジャパン社長のトニー・カーンさん

国産SAFを初の大規模生産

カーボンニュートラルの早期実現が急務となる中、コスモエネルギーグループはグリーン電力や風力発電の日本での展開など、エネルギーサプライヤーの責任として積極的に脱炭素化に取り組んでいる。

その中で力を入れているもののひとつがSAFだ。

SAFとは廃棄物や再生可能な資源を原料として製造する航空機燃料のこと。従来の燃料は燃焼時のほか、素となる化石燃料を掘り起こす際にも大量のCO2を排出していたが、SAFは新たに化石燃料を掘り起こしたり輸送したりする必要がないことから、サプライチェーン全体で見てCO2排出量の大幅削減が期待できる。

コスモがDHL Expressに供給するSAFは、コスモ石油堺製油所(大阪府堺市)内に建設したSAF製造プラントにおいて、国内で初めて大規模生産する国産SAFだ。

原料は国内の飲食店などから回収した廃食油。製造はコスモ石油、日揮ホールディングス、レボインターナショナルの3社が設立した「SAFFAIRE SKY ENERGY」が担当し、コスモエネルギーグループを通じ、2025年4月から年間7,200kLをDHL Expressに供給する。

  • コスモ石油とDHLのSAF供給に関する説明会

    コスモ石油堺製油所(大阪府堺市)内に建設したSAF製造プラント。生産量は年間3万kLほどというから、おおよそ4割ほどがDHL Express向けとなる計算だ

供給するSAFは中部国際空港から出発するDHLの提携貨物機で使用される。なお、DHL Expressはすでに世界9カ所の空港でSAFの活用を始めているが、アジアでは中部国際空港が初のSAF調達空港になるという。

説明会に登壇したコスモ石油マーケティング代表取締役社長の森山幸二さんは、今回の契約により、いよいよ国産の原料を使って日本から飛行機を飛ばすサプライチェーンが完成すると話す。

「SAF製造プラントは昨年末に完成しており、4月の供給開始に向けて準備を進めています。原料の廃食油も国産にこだわり、企業や自治体などと協力してさまざまな収集方法を構築しました。またSAFは、国際機関が定める製造規格、流通規格にのっとって供給しなければカーボンニュートラルに関する認証がいただけませんが、(今回の事例では)すでにICCの認証を取得しています。ここまで4年ほどかかりましたが、SAF供給の素地が整ったということです」

  • コスモ石油とDHLのSAF供給に関する説明会

    コスモ石油グループは航空燃料の供給を重要なミッションとして取り組んでいると話す森山さん

SAFの利用拡大に向けて残る課題とは?

今回の契約がカーボンニュートラル実現に向けた大きな一歩であるのは間違いないが、一方、SAF供給によって脱炭素を進めていくためには解決しなければならない課題もある。例えば、供給規模の問題だ。

日本政府は2030年に170万kLのSAFを供給するという目標を掲げているが、回収できる廃食油には限りがあるため、これだけでは実現困難だ。

また、化石燃料と比べるとSAFはどうしてもコストが上がってしまうため、SAFの持つ環境価値を顧客(航空会社など)や消費者にどう転嫁していくかも問題だ。

その点において、DHLグループが2023年7月に日本でも本格導入した「GoGreenPLUS」の取り組みは、SAFをこれからどう使っていくかというハード面の手法としてのみならず、ソフト面の手法としても有意義かつ先進的なものであり、森山さんも「コスモグループとしても学ぶべき点がある」と話していた。

  • コスモ石油とDHLのSAF供給に関する説明会

    DHL Expressのサステナビリティ目標。SAFを使った輸送によってCO2排出量を削減(インセット)する手法の「GoGreenPLUS」は、「2030年までにすべての航空輸送において燃料の30%をSAFへ転換」と「サービスにおけるグリーンな選択肢の提供」という2つの中間目標の達成に貢献するものだ

最後に森山さんは、さまざまな課題がある中でも「2030年に航空業界へのSAFの10%導入という目標はすでに決まっております。まだギャップはありますが、これはなんとかしてやっていかなければならない」と決意を示していた。