「“推し”が、ある日犯罪者になった」という“オタク”たちの姿をとらえたドキュメンタリー映画『成功したオタク』が日韓で話題となり、撮影の日々について綴られた『成功したオタク日記』(すばる舎)が刊行された。メガホンをとったオ・セヨン氏は、集団性暴行などの罪で2020年に実刑判決を受けたK-POPスター チョン・ジュニョンのファンであり、さらに韓国芸術総合学校映像院映画科の学生でもあった。
本書『成功したオタク日記』には、今回の出来事を「撮るしかない」と思い至った心境や、助成金申請についても描かれており、韓国の映画監督事情についても伺える一冊に。今回のインタビューでは、オ・セヨン氏が実感する映画制作事情や、今後の作品についても話を聞いた。
「韓国の方は日本の4倍映画を観ているらしい」実感は?
――本の中でも印象に残ったのが「韓国の映画に対する支援金が充実しているけど、申請するのが大変で、映画を撮りたいのに時間をとられてしまう」というところで、でも映画を支援する制度がそれだけあるのがいいなと思いました。環境としてはどのように感じていますか?
韓国で映画を作るとなると、個人のお金か、映画祭や政府の支援金に選ばれるかといったところなんですが、個人で作るのはすごく大変なんです。支援金は、短編映画やドキュメンタリー、フィクション、長編と分かれていて、企画段階、撮影、編集、あとは色補正やサウンドを作るポストプロダクションなど、それぞれの過程で細かく支援するシステムがあります。
さらにはPR補助や、海外で上映するための字幕制作、デジタルシネマやパッケージ化のための支援も、それぞれあるんです。ただポジティブな面だけじゃなくて、最近は政治的に色々変化があり、映画だけじゃなく、文化に対する支援金が減りました。1番大きな支援金が、「韓国映画振興委員会」というとこなんですけれども、金額が減ったり、年に2回が1回になったりして、支援する作品の数も減ってしまいました。
――それはどういう政治事情によるものなのですか?
韓国では進歩政党と保守政党が大きく分かれていて、進歩が政権を取ると文化振興に力を入れるんですが、保守政権だと映画が作りづらくなってしまうんです。特にインディペンデントにはその風当たりが大きく来るところです。保守的な政権が2回続いたことがあったんですけれども、「政治的な内容を含む映画に出た俳優や監督はブラックリストに載ってしまって、活動が難しくなった」と言われる時期もありました。私自身としてはブラックリストがあるかどうかは知らないし、体感していないので、実際のところはわからないのですが。
――最近「韓国の方は日本の4倍映画を観ているらしい」という話が日本でも話題になっていたのですが、実感としてはいかがですか?
確かに、よく観る方だと思います。統計を見たことがあるんですが、1人あたりの1年間で見る映画の数が、世界でもかなり多い部類に入るそうです。映画が大好きな人が観るだけじゃなくて、韓国の人にとって最も身近な余暇の過ごし方の一つだと思います。家族同士で行ったり、デートで行ったりするのが自然なことで、時間があると「映画行かない?」という雰囲気があります。文化や芸術をよく楽しむ方だと思います。
――最後に、ご自身の今後の活動についても教えてください。
詩人のイ・サン(李箱)に関する短編映画を撮りました。まだ公開はしてないんですけれども、「イ・サン現象」というものをテーマにして。イ・サンというのは韓国では教科書に載っていて、大体の人が知っている詩人ですが、名前が「異常」と同音異義語なんですよね。なので、英語で言うと「ストレンジシンドローム」「ポエトリーシンドローム」という感じで、詩を読む人たちがテーマになっています。今編集をしていて、どこで公開されるのかわからないですが、自分でも楽しみにしてます。
それから、7月にアンソロジーの本が出ます。それは3人の映画監督が書いている小説で、ロマンスとハイティーンと、それから日本でいうとドッジボールに似たスポーツがテーマになっています。ソウル国際図書展で初めてお披露目されまして、とってもかわいらしい話なので、これでまた映画を撮れたらと思っています。
■オ・セヨン
1999年、韓国釡山生まれ。2018年に韓国芸術総合学校、映像院映画学科入学。映画『成功したオタク』が監督としての長編デビュー作となる。釜山国際映画祭ではチケットが即完売、大鐘賞映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート。韓国での劇場公開時には、2週間で1万人の観客を動員し、「失敗しなかったオタク映画」として注目を集めた。目標は、書いたり話したり、撮影したり編集したりする仕事を続けながら、ユーモアを失わずに生きていくこと。