オリックス・山﨑颯一郎[写真=北野正樹]

◆ 猛牛ストーリー【第97回:山﨑颯一郎】

 リーグ3連覇を果たし、2年連続の日本一を目指すオリックス。監督、コーチ、選手、スタッフらの思いを、「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。

 第97回は、9月20日のロッテ戦(京セラドーム大阪)で9回を締め、“胴上げ投手”となった山﨑颯一郎投手(25)。

 7年目の今季、セットアッパー、クローザーを務め、チーム最多の53試合に登板し、リーグ3連覇に貢献。同点2ランを許したことがきっかけでチームがサヨナラ負けを喫した5月初旬の試合を契機に「これじゃ、アカン」と自身を見つめ直したことが成長につながりました。

◆ ソフトバンク戦での救援失敗が大きな転機に

 ターニングポイントになったのは、今年5月4日のソフトバンク戦(PayPayドーム)だった。

 和田毅-小野泰己両先発で始まった試合は、1回に2点ずつ取り合い、6回を終えて6-5のシーソーゲーム。8回に茶野篤政が嘉弥真新也から適時打を放ち、7-5となったところで山﨑が登板した。

 しかし、先頭の川瀬晃に安打を許し、一死二塁から中村晃に同点2ランを浴びた。9回以降、吉田凌、平野佳寿に託したがチームは延長11回、サヨナラ負けを喫し連勝は「4」でストップしてしまった。

「このままじゃアカン、と本格的に思いました」

 中村晃への配球や球種などの反省ではなく、終盤を託されたセットアッパーとしてチームを勝利に導けなかったことの責任を痛感したという。

 首脳陣の期待を裏切ったこともつらかった。

 WBCを終えチームに合流したが、調子は上がらなかった。4月は11試合に登板し、7ホールド。2イニングを投げた1試合を除き、1イニングを3人で終えたのは2度だけ。4人が3度、5人が5度もあった。

 佐々木朗希-山本由伸の投げ合いとなった4月14日のロッテ戦(ZOZOマリン)では、0-1の7回から山本の後を継いだが、藤岡裕大に適時打を許し、28球で二死を取っただけで降板。20日の楽天戦(京セラD大阪)まで登板機会はなかった。

 当時の状態を、厚澤和幸投手コーチは「セットアッパーやクローザーの人が毎試合、20球以上も投げていれば連投も出来ません。球数を減らすために何をするのかと言えば、一発で仕留めることができる変化球か真っすぐでファールを取るか、二択しかないと思うんです。真っすぐでファールを取ることは以前からできていましたが、ファールばかりで決着がつかないから球数がいってしまっていました」と説明する。

 そんな時、京セラD大阪のブルペンで中嶋聡監督が直々にミットを持ってボールを受けてくれた。

「ネットスローのつもりでいたら、監督さんが直々に受けて下さると。マウンドから10球程度投げて、厚澤(和幸)コーチと一緒にフォームチェックをしていただきました」

 中嶋監督に受けてもらうのは初めてだったという。期待の大きさを感じていただけに、ソフトバンク戦での救援失敗が大きな転機になった。

◆ 「僕は試す怖さはないので、どんどん試していきます」

「そっからですね、変わったのは。ファームに行かずに絶対に調子を取り戻してやろうと。絶対に抑えてやろうと思って投げて、どんどん調子が上がっていって、自信というのか、気持ちが強くなっていきました」

 マウンドでの表情も変わった。呼吸を整え、打者を凝視。えくぼがトレードマークのイケメンの顔が、これまで以上に「戦う男」そのものになった。

 5月4日に3.55まで落ちた防御率は、優勝を決めた9月20日のロッテ戦終了時に1.05まで大きく改善。この間、登板40試合で失点・自責点は7月15日のソフトバンク戦(PayPayD)の1点のみという安定した投球だった。

「真っ直ぐを力いっぱいぶん投げるだけのピッチングから、スライダーやフォークも高さをちゃんと意識して操れるようになったのが一番大きいですね」と厚澤コーチ。

 さらに「真っ直ぐが速いのは分かっているんだけれど、それと同じくらい質の高い変化球も身につけなきゃいけないと思ったのでしょう。変化球に対して、非常に研究する意識が高くなって来ました」として、キャッチボールでの取り組みを挙げた。

 試合前の全体練習後、投手は外野でキャッチボールをするが、「そこで変化球の握りを試したりして毎日、チェックしているんです。その研究心は、昨年はなかったですね」という。

 山﨑は「先発投手と違い、中継ぎは新しいことをするというのが難しいポジションなので、あそこでしか変化球を投げることができないんです。キャッチボールで試して感覚をよくして、それを試合で勇気があるんだったら試すという感じ。僕は(試合で)試す怖さはないので、どんどん試していきます」

 修羅場もくぐってきた。

「難しい登板でした」と厚澤コーチが振り返ったのは、7月23日の日本ハム戦(ほっともっと神戸)。1-1の7回に5点を奪い、8回にも加点し7-1で迎えた9回無死から、マルティネスに満塁本塁打が飛び出し、一気に2点差に。

 6点差を考えれば、9回に山﨑の登板は想定されなかったが、2点差になって急きょ、出番がやって来た。

「正直言って、気持ちは切っていましたね。2分ちょっとくらいで準備して、結構なハイペースで投げていきました。(ノーアウトだったので)9回の頭から行くつもりでいきました」と山﨑。

「昨年なら平野(佳寿)さんかワゲスパックに託していたのですが、平野さんの負担を減らすために颯一郎の名前を時々、挙げさせてもらっています。あの場面、普通に考えると出番はありません。じわじわと追い上げられていたら比嘉(幹貴)さん、ロング(長打)が出た時には颯一郎というプランがあり、(満塁本塁打が出る前に)2人に至急に作ってもらいました」と厚澤コーチ。

 珍しく中嶋監督がマウンドに足を運び、降板しようとする本田仁海に声を掛け、集まった内野手にも「9回の頭から始まったつもりでいこう」と冷静さを求めたという。

 同じ思いでマウンドに向かった山﨑は、平野がルーティーンとしているストレッチをしながら、3万3950人の観客で埋まったスタンドを見回した。

「最後を託されるクローザーはすごく難しい場面になるんですが、僕はあまり気持ちは変わらずに、ということを心掛けていますね。変に気合が入って空回りとかするというのも嫌なんで。あまり変えずにと思っています。あの時は、(平野さんのストレッチは)初めてやりました。一度、頭をリセットしたかったので」

 このピンチで、石井一成をフォークで空振り三振、梅林優貴を151キロのストレートで右飛、ハンソンを中飛に仕留め4セーブ目を挙げた。

「昨年よりは安定したと思います」と振り返る山﨑に、厚澤コーチも「結構、難しい場面でしたが、ピッチングが大人になっていましたね」と評価する。

◆ ポストシーズンに向け復帰を目指す

 9月26日の西武戦(京セラD大阪)で9回から登板したが、自己ワーストの6失点で、一死を取っただけで降板。左股関節付近に違和感を覚え、受診した大阪市内の病院で左腸腰筋の筋損傷の診断を受けたが、幸い軽傷のようだ。

「評価は、みなさんが見た通りですね。いい評価です。厳しい場面も結構ありましたが、技術はもちろんですが精神面の成長が一番ではないでしょうか。世界の舞台も経験していますし、僕らがいうより自分で見つけてきたことが大きいのではないでしょうか」と平井正史投手コーチは目を細める。

「まだ、自分の中では成長できるなという部分がいろいろあるんです。バッターとの駆け引きでは、まだ打者とぶつかっている感じなんです。バッターの思考と、自分の思考がぶつかって何とかファール、ファールとかが多いので、裏をかいて三振を奪うとか凡打に仕留めるとかという部分をもうちょっと勉強することができれば、と思います」

 2019年にトミー・ジョン手術を受け、育成選手を経て21年に復帰。開幕ローテーション入りした22年は、4月下旬に右肩を痛め離脱、15試合にとどまった。

 今季、掲げた目標は「シーズン完走」。

 それだけに、シーズン終盤での“離脱”は悔しいが、登録抹消翌日から大阪市内の球団施設でリハビリと並行してキャッチボールなどを再開し、ポストシーズンに向け調整を進めている。

「ほぼ完走ですよね。CSから逆算してメニューを組んでいます。大丈夫です」

 優勝する最後まで腕を振り勝利に貢献したのだから「完走」と胸を張っていい。

 リフレッシュした颯一郎を、ポストシーズンで見せつける。

取材・文=北野正樹(きたの・まさき)