動線がわからず、誰もが初めての経験
エスコンフィールドがついに開業した。去る3月14日は初のオープン戦、埼玉西武ライオンズ戦が組まれ、北海道では地上波4局が生中継(HBC、STV、HTB、NHK)する異例の事態となった。もちろんCSではGAORAの生中継が入っている。お祭りだ。北広島市のFビレッジ上空には朝からヘリコプターが飛び、新球場開業の「歴史的一日」を空撮している。僕は高台にある札幌北広島クラッセホテルに前泊して、朝を迎えていた。遠足の前の晩の小学生みたいに、興奮してあまり眠れなかった。ついにエスコンフィールドに乗り込むのだ。光栄なことに僕はHBCラジオ生中継のゲスト解説者だった。
HBCラジオからそのオファーをいただいたのは2月のことだった。3月30日の開幕戦(楽天戦)のチケットをどうにか確保(チケット購入権を手に入れた友人が誘ってくれた)し、宿の手配等を終えたタイミングだった。何とこけら落としの「ゲスト解説」だという。開業日にエスコンに入れるのだ。断る理由がない。一も二もなくオッケーして、よくメールの文面を読み込んだら「ゲスト解説」というけれど、他にOB解説者が出演するわけじゃないのだった。実況アナと僕の2人きり。これは緊張する。果たしてそんな「歴史的一戦」の解説を引き受けてよかったのだろうか。
僕がラジオの野球中継に呼ばれる基本パターンは「実況アナ+OB解説者+α」の「+α」の部分だった。これはたぶん50試合以上経験してると思う。まぁ、試合中継の屋台骨は専門家に任せて、僕は「ファイターズの熱狂的ファン」の立場で賑やかしに入る。これは試合見ていて疑問に思ったことをその場でOB解説者に訊けて、すごく有難いのだ。まぁ、そういう意味では中継のリスナー代表みたいな立ち位置になる。
で、これまで唯一、OB解説者なしで僕を中継ブースに迎え入れたのが他ならぬHBCラジオだった。2018年のオープン戦、台湾のラミゴ・モンキース(現・楽天モンキース)戦。ラミゴの中心選手に王柏融がいた。僕は王柏融を見に台湾へフラフラ出かけていたから、たぶん台湾観光情報込みのオファーだった思う。まさかその後、王柏融がファイターズに入団することになるとは夢にも思わない。実況は渕上紘行アナだった。放送後、旧知の岩本勉氏に「ひとりでやってましたなぁ」とツッコまれ冷や汗をかいたのだった。
なので今回の「歴史的一戦」は2度目の「ひとり解説」だった。タクシーで関係者入口に乗りつけ、HBCラジオの担当Nさんに連絡を取る。札幌ドームの動線なら慣れていて一人でスイスイ動けるのだが、エスコンは初めてで勝手がわからない。で、この日は全員がそうなのだった。関係者入口の警備員さんも球場係員さんも、HBCラジオのNさんも、北広島駅に降り立ったファンも、みんな「これでいいのかなぁ」という感じだ。みんな初々(ういうい)しい。みんな晴れがましい。実は僕の乗りつけた入口は違う場所で、HBCラジオのNさんと落ち合うのはなかなか大変だった。
まず、球場内のエレベーターでラジオ中継ブースに挨拶に行く。エスコンのラジオ中継ブースは常設2つ、エキストラでもう1つ増やせるそうだった。けっこう上の方で驚いた。球場の中継ブースで上の方というと京セラが有名だが、負けていない。ここまで高いとTVモニターで見るのがメインになり、肉眼で見るのは補助という感じになる。
常設の2つのブースはライバル局のHBCラジオ、STVラジオが使うのだろう。これ、例えばABCラジオ、MBSラジオが必ずクルーを送り込んでくる阪神戦や、中継が集中する日本シリーズなどの場合は記者席や観客席をつぶしてブースを設営するしかないと思う。
常設のHBCブースはなかなか狭かった。席は3つしかなくて、実況アナとデータマンが2つ使うと解説者は1人だけしか入れない。データマンが実況アナに渡すデータカードは生中継の命だから、つまり、今後は「+α」で僕が呼ばれることはなさそうだ。まぁ、こればっかりはしょうがないかな。こけら落としの「歴史的一戦」に呼んでもらっただけで幸運だと捉えたい。
天然芝、間近なブルペン……アメリカの球場のよう
実況は川畑恒一アナだった。ファイターズが北海道へ移転した年、一緒にチーム情報のトーク番組をやって以来の仲。ご挨拶して、いったんブースを離れ、Hさんの案内でまず球場内の「関係者食堂」(名称は「カフェテリア フラット」)で昼ごはんを食べる。店内では球場係員さんがみんなでランチを楽しんでて、NHK『サラメシ』を見てる気分だ。奥の方に金村暁さんがいたのでご挨拶した。なるほど、球場スタッフと放送スタッフが一緒にごはんを食べられるところなんだ。
※HBCラジオは札幌ドーム時代は弁当支給だった。これからはこのカフェテリアで温かいものが食べられるわけだ。これは放送クルーにとっては福音だ。冷たくなったお弁当で胃をやられるスタッフいるもんなぁ。
ごはんの後は球場内を一周した。売店は札幌ドーム時代とは見違えるような活況で、旨そうなものがいっぱいある。グラウンド近くのフロアに降りていくと天然芝の匂いがした。本当にアメリカの球場みたいだ。ブルペンも間近に見られる。ここがファイターズの新本拠地か。
僕のような東京時代からのファンは後楽園球場、東京ドームで「巨人のウラ開催」だった悲哀を知っている。(お客さんが少ないということで)球場内の売店が全部開けてもらえないのだ。当時、応援仲間と「いつか自前の球場を持ちたいなぁ」とよく話した。水道橋の立地は魅力だけど、日陰者みたいに扱われるのはガマンならない。札幌ドームに移転して、うわぁ、自前の球場だと感激したが、実際は球場内の店舗や広告など、ファイターズが思うように展開できない借り物だった。エスコンフィールドはファイターズとファンの夢の結実なのだ。
肝心の試合中継はせいいっぱい頑張ったつもりだが、本職のOB解説者には遠く及ばなかったと思う。だけど自分は一生の宝物のような体験に打ち震えていた。この日の野球上のトピックはドラ1、矢澤宏太の二刀流お披露目と、ドラ2、金村尚真のローテ入り確実のロングリリーフ登板だった。それを放送に乗せられて本当に嬉しかった。
ただいちばん胸が詰まった場面はラッキーセブン、球団応援歌「勝利の男」がエスコンフィールド内に流れたときだ。僕は東京時代、1人でもお客さんを増やしたくて、文化放送の自分の番組(月~金の朝ワイドだった)で毎朝、この曲を流して、チーム情報を語っていた。文化放送はライオンズの局だから逆風もあったけど、意地を張り通した。
あぁ、よかった、あのとき頑張ったことがエスコンにつながったと思ったのだ。川畑アナが上手にフォローしてくれなかったらたぶんポロポロ泣いていた。