■「とにかく売れてほしい」賞レースへの参加も呼びかけ

慣れない仕事で毎日がしんどいことばかりだという寛平。それでも自分に期待をしてくれるという吉本興業の思いは意気に感じている。

「僕なんて本当に会社に迷惑かけまくっていましたからね。横山やすしさんという芸人さんご存じだと思いますが、あの人も破天荒な人でしたが、僕も争うぐらいひどかった(笑)。それぐらい無茶苦茶やっていたのに、吉本興業には大事にしてもらった。ここで恩返ししなければという気持ちでいっぱいなんです」

寛平いわく「面白い子はいっぱいいる」という。だからこそ「とにかく売れてほしい」と切に願っている。そのためにはどんな道を通っても構わないという。

「若い子には、『キングオブコント』でも『R-1グランプリ』でも、どんどん出てみたらいいと話しています。そこで売れたら新喜劇にも良い相乗効果が生まれるだろうしね。でも『新喜劇のために頼むぞ!』とは言っていますが、もし『キングオブコント』で決勝に行ったり優勝して、新喜劇じゃない道に進みたいと言ったら、それはそれでいいと思っているんです。やっぱり悔いが残らない人生にしてもらいたいですからね」

“新喜劇愛”を通り越して“人間愛”にまで発展している寛平。それでもやっぱり吉本新喜劇の未来には大きな期待を持っている。

「僕は新喜劇って大阪の宝だと思っているんです。60年以上ずっとやってきて、テレビを含めれば何億人という人が観てきたと思うんです。こんなすごい劇団があるんだから、やっぱり若い人に受け継いでいってほしいという思いはあります。僕も吉本入って53年になりますが、当時の先輩は皆さん亡くなってしまった。もういま新喜劇で残っている先輩は、やなぎ浩二や池乃めだか、末成映薫ぐらいかな。僕もゆくゆくは死ぬだろうし、歴史は続いていってほしいですよね」

■“第二の明石家さんま”は無理だけど「面白い人間を」

また「大スターを作りたい」と話していた真意について問うと、ある大物芸人の名前を挙げる。

「社長から『頼んだ』と言われたとき、僕は第二の明石家さんまを作ろうと思ったんです。舞台上でも、舞台を降りてもキャーキャー言われる存在をね。でもすぐに無理だとわかりました。あんな男は絶対に出てこない。やっぱり特別ですよね。さんまちゃんを目指そうとした瞬間、ほとんどの人間はつぶれてしまう。それだけ特別な存在ですね」

明石家さんまのようなスターは無理でも、この半年間のGM経験で実感したのは「面白かったら売れていく」ということ。だからこそ「面白い人間を作らなければいけない」と使命感に燃えていた。

■間寛平
1949年7月20日生まれ、高知県宿毛市出身。1970年に吉本新喜劇に入団し研究生となる。1974に吉本新喜劇の座長に昇格。「アヘアヘ」「ア~メ~マ~」「かい~の」などヒットギャグを続々と放ち、関西で絶大な人気を獲得する。1989年に退団し、東京進出。2008年12月~2011年1月、ヨットとマラソンによる地球一周「アースマラソン」を完走。2013年より「淀川寛平マラソン」を開催。2022年2月に吉本新喜劇GMに就任。
■吉本新喜劇座員総選挙
10月10日に大阪・なんばグランド花月で開催される「吉本新喜劇まつり」に出場する座員を決める総選挙。一般7500円、小学生以下3500円、オンライン2000円。一般投票で選ばれた上位30人がまつりに参加できる。投票は8月23日23時59分まで。