ドキュメンタリー映画『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』(企画・制作 : ミルフィルム 配給 : きろくびと)の全国公開が始まる。2011年7月の豪雨で3つの鉄橋が流された只見線。存続の危機から脱するきっかけのひとつが写真だった。映像の美しさと地元住民の思いを描き、只見線の価値を問う。ローカル線問題に一石を投じる作品だ。

  • 『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』より (C)ミルフィルム

コロナ禍の公開延期を経て、2022年2月から福島県で先行公開された。福島県青少年健全育成条例にもとづく「有益な映画」としての推奨を受けている。7月までに只見線沿線地域で上映会が行われ、いよいよ全国公開が始まる。

7月29日から東京のヒューマントラストシネマ渋谷とアップリンク吉祥寺、名古屋の名演小劇場で公開され、以降、全国で順次公開予定。7月30・31日にヒューマントラストシネマ渋谷とアップリンク吉祥寺で舞台挨拶を行い、監督の安孫子亘氏、主演の星賢孝氏、テーマ曲を演奏した山形由美氏の登壇を予定している。

単発上映として、宮崎県で9月17日、福島県の白河市で9月25日、会津若松市で9月27日と10月15日、喜多方市で11月23日、埼玉県の鴻巣市で11月6日に上映が予定されている。その後は随時、公式サイトで発表される。ミルフィルムでは自主上映会も受け付けているという。

  • 『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』より (C)ミルフィルム

主演は郷土写真家の星賢孝氏。年間300日、30年以上も奥会津と只見線を撮り続けている。「美しい奥会津の風景に只見線の列車が走る。風景に魂が入る。物語がうまれる」という。星氏の写真は福島県の観光パンフレットや「只見線ポータルサイト」などで使われているため、只見線に興味を持った人なら1度は必ず見ているはずだ。

ちなみに、「365日」ではなく「300日」とした理由は、「テレビ番組で紹介してもらったとき、365日って言ったら、タレントさんから『そりゃウソだ。旅行にも行くでしょ』なんて突っ込まれて、まあそうだなと。キリの良い数字にした」とのこと。

監督・撮影は安孫子亘氏。1982年からテレビ番組製作に関わり、キー局で制作したドキュメンタリー作品の数々で受賞した後、ドキュメンタリー映像作家として独立した。東日本大震災の後、2012年から福島県会津地方に拠点を移している。2017年の『知事抹殺の真実』で多数の受賞歴があり、2019年の『奇跡の小学校の物語』は、小学校を廃校から守った校長を主題に据えた話題作だった。

  • 郷土写真家の星賢孝氏

  • 監督の安孫子亘氏

会津で活動する郷土写真家と映画監督が出会い、「この美しい風景を残したい。世界に発信したい」という思いで映画を作った。東日本大震災で福島は大きな被害を受けた。その凄惨な情景に世界が注目した。その時期だからこそ、「美しい福島を知ってもらいたい」と思ったという。

鉄道ファンとしては、「星賢孝の写真が映像になった」という期待があり、その期待を裏切らない美しい映像を大スクリーンで楽しめる。春の花、夏の川霧、秋の紅葉、冬の雪景色。四季の風景を楽しめるローカル線は多いが、川霧に包まれる鉄橋や、幽玄な霧幻峡の渡し船は只見線沿線しかない。なお、「霧幻峡」という名は星氏と仲間たちで付けたという。それまで名前はなかった。船で渡った先には、星氏の故郷、三更(みふけ)集落があった。1964年の地滑りで集団移転し、300年の歴史が終わった。星氏には集落の終わりと、只見線を失った奥会津の様子が重なって見えている。

監督の安孫子氏は、「なんとか星さんの写真を再現しようと頑張ったけど、同じ光線、季節、天候はそろわない。毎日撮っている人にはかなわない」と謙遜する。それでも密着取材を通じて同じ景色を撮っていて、動く景色を楽しめる。撮影は3年間に及んだという。

  • 『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』より (C)ミルフィルム

映像の見どころのひとつは、冬の「なかがわ雪月列火」。会津中川駅の裏の雪原に600基の雪灯籠を設置する。大勢のボランティアが参加し、幻想的な風景ができあがった。ところが、列車には誰も乗っていない。見てもらいたいが客が来ない。これがローカル線の現実である。美しさと儚さがスクリーンに投影され、なんとも言えない気持ちになる。それでも安孫子氏は、「この風景の美しさで(心に)火が付いた。映画を撮ろうと思いました」と語る。

■被災から11年、ついに全線再開へ

映画は2011年7月の被災現場の写真から始まる。写真集ではなく観光映画でもない。ドキュメンタリー映画だ。只見線は3つの鉄橋が流され、会津川口~只見間が不通となった。JR東日本は、復旧費用の大きさに加え、国の補助もなく、自社負担も難しいことから、「地元に負担していただくかバス転換」という意向を示していた。

沿線の人々も、「年間何百億もお金をかけて復旧させる意味があるのか」と苦悩する。しかし、星氏の活動が人々の心を動かしていく。被災した奥会津の復興をどうするか。観光客を呼びたい。そこで星賢孝氏が撮り続けた写真があった。彼がSNSに写真を投稿すると、全国からアマチュア写真家が集まった。

とくに台湾で人気が高まった。台湾で只見線の写真展とコンテストを開催し、3日間で1万3,900人も訪れた。只見線の撮影ツアーでは、星氏自らガイド役となる。只見線と奥会津はインバウンドの目的地になった。宿泊施設、飲食店、土産物店の客が増え、只見線沿線の人々が只見線の価値に気づく。

  • 『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』より (C)ミルフィルム

映画の中で、地元の人々の思いを象徴する場面がある。「歳の神(どんど焼)」だ。燃えさかる火の向こうを走る只見線を撮りたい。そんな星氏の声を受けて、50軒の集落の全員が集まった。「ちょうど大相撲で横綱と大関の一番がある時間、本当はみんな家でコタツに入ってテレビを見たいわけ」。地域の人々が只見線の価値を理解したからこそ、できた映像だった。

不通区間は只見線の中でも新潟県寄りで、交通ルートは国道と只見線だけ。ただし豪雪地域のため、国道252号は冬期間に閉鎖となってしまう。鉄道がなくなると孤立地域になる。上越新幹線への乗換えルートでもあり、実用面においても復活させたい。そこに、観光地として有望という考え方が示された。福島県と沿線自治体は鉄道復旧をめざす。新潟県も協力する。

そしてついに、地元出身の国会議員が働きかけて「黒字経営会社への鉄道軌道整備法適用」が実現した。改正前の法律では、大規模災害で被災した赤字ローカル線の復旧事業に対し、国は赤字の鉄道会社に限定して補助金を適用した。しかし、これでは黒字の鉄道会社の赤字線が被災した場合、復旧を放棄する懸念がある。

只見線がまさにその事例となった。過去には大船渡線・気仙沼線が鉄道での復旧ならず、BRT路線になった。法改正によって、只見線も国の支援が受けられる。ただし、復旧後は持続的に運行を継続する枠組みが求められる。復旧区間は上下分離され、線路設備は自治体の管轄となり、JR東日本は運行を担当する。7月13日、JR東日本は只見線のダイヤ改正を発表した。会津川口~只見間は1日3往復で運転再開し、全線で時刻変更。会津若松~只見間はワンマン運転となる。

安孫子氏が星氏に密着取材した3年間、まだ只見線の復旧は決まっていなかった。復旧の決定を受けて、映画は「これからの只見線をどうするか」という希望の道筋を示して終わる。続編はスクリーンにはない。現在の只見線にある。

■ローカル線再生のヒントがある

大規模災害でローカル線が被災するたびに、「復旧か廃止か」という議論が起きる。鉄道軌道整備法が改正されたとしても、復旧後の活用見通しが立たなければ復旧されない。被災しなくても、沿線人口が減る赤字路線は廃線の危機にある。そんな中、なぜ只見線は復旧できるか。そのヒントがいくつかある。

たとえば、星氏のような「風景という地域の宝」を見つけ出し、世界へ発信する人物の存在が挙げられる。地元の人は、身の回りにある宝物、観光のタネに気づかない。地域外の人が見つけて教えてもらっても、生かし方がわからない。一方、星氏は地域の人として、宝が何かわかっている。地域外から訪れる人のためにガイド役も引き受ける。

  • 『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』より (C)ミルフィルム

次に、星氏に理解を示し、協力する人々の存在がある。映画の中で、土木事務所の人々と景観整備を行う場面が出てくる。写真をきれいに撮るために、邪魔な雑木を伐採する。列車の姿にかからない位置で安全柵を設置する。億単位のカネをかけてハコモノを作る必要はない。たった数本の木を切る。そんな知恵を働かせるだけで観光名所ができる。

鉄道会社の協力も必要になる。JR東日本は鉄道施設の取材撮影に対して条件が厳しい。しかし、只見線を宣伝するメディアに対して、その対応はおかしいと星氏は言う。署名サイトに寄せられた意見を伝えることで、JR東日本も協力的になったという。「残すと決めたからにはともに頑張りましょう」ということらしい。

地域の人々がローカル線の恩恵を実感できることも大切だ。自分たちが只見線に乗ることはなくても、乗客を連れてくる只見線は商売につながる。ローカル線の人々が効果を認識できれば、地域が費用負担してでも鉄道を維持すべきと考えるだろう。

消えていったローカル線には、これらの条件がそろってなかった。消えそうなローカル線を案ずる人たちは、只見線にあって自分たちにないものを探してほしい。きっとこの映画がヒントになる。

筆者は福島駅近くの映画館で『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』を鑑賞した。全国公開を待てず、2月の先行公開を観に行った。鑑賞後、会津若松に泊まり、翌朝の一番列車に乗って会津若松~小出間(代行バス区間も含む)を乗り通した。つまり、写真集で見た景色をスクリーンで楽しみ、映画の中の風景を実際に列車に乗って楽しんだ。全国公開が実現する一方で、筆者としては地元で観る旅もおすすめしたい。

『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』を最寄りの映画館で見たら、きっと只見線に乗りたくなる。撮りたくなる。劇場を出たら、その足で「青春18きっぷ」を買ってしまいそう。そんな映画である。筆者もまた只見線に乗りたい。霧幻峡の川霧に包まれたいし、600基の雪灯籠も観に行きたい。映画には復旧区間を走る只見線の景色がない。だからこそ、10月の全線運転再開が楽しみになった。