「結婚」「音楽のジャンル」「ソロ活動」中島卓偉、ロックミュージシャンとしての葛藤の23年を語る

ソロ活動に加え近年はアンジュルム、つばきファクトリー、Juice=Juiceなどアップフロント系アイドルへ楽曲提供でも注目を集めているロックミュージシャン・中島卓偉。今年3月末に所属事務所・ジェイピィールームおよびアップフロントグループを退所し、新たな個人事務所を設立。現在はミュージシャンとして活躍しながら代表取締役社長としても精力的に動き回り多忙を極めている。今回はそんな卓偉に「結婚の公表と父親としての自覚」「デビュー当時の戸惑い」「ソロになるまでの葛藤と経緯」などディープな話を語ってもらった。(前中後編の中編)

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──2017年に『我が子に捧げる PUNK SONG』というシングルリリースに伴い、結婚やお子さんについて公表されました。このことはご自身の活動に変化を与えましたか?

卓偉 まず大前提として自分の考えとしてあるのは、「結婚を公表する義務はない」ということなんです。だけど、公表しないと「隠しているのか!」とか責められることも日本では少なくない。これがまず納得いかないんですよ。海外ではガールフレンドだって堂々とレッドカーペットを歩くし、不倫をしたって謝らない。別に僕も不倫を推奨しているわけじゃ全然ないけれど、そんな個人のことを公にする必要があるのかは疑問ですよね。

──ミュージシャンに限らず人気商売の方々は、結婚を公にしない傾向が昔から強いですよね。

卓偉 もちろん僕だって結婚するときは会社に相談しましたよ。「僕は言う方向で構わないと思いますが」と言ったら、「いや、わざわざ自分から言う必要もないだろう」ということになって、しばらくはそのままにしていたんです。ところがしばらくすると子供を抱っこしているところを見られ、そういう方が事務所に「何で公表しないんですか?」とか言ってくるんだけど、会社としても返答のしようがない……そんな出来事も多々あったんです。

──改めてすごい世界ですね……。

卓偉 『我が子に捧げる PUNK SONG』は父親としての自覚や覚悟が歌詞に反映されているだけでなく、「公表する義務もないのに、何でそんな犯罪者みたいに追及されなきゃいけないんだ」という似たような境遇にいる同業者とか後輩に対するメッセージにもなっています。この曲を世に出すにあたって、ZIGGYの森重樹一さんがすごくいいアドバイスをくれたんですよ。「ファンをふるいにかけろ」って。「出した結果、離れていくファンがいても構わないじゃないか。むしろ、それによって本当のファンが残るはず。そんなことで悩んでいる時間がもったいないし、そのくらいの気持ちでやれ」って。それを聞いて、なるほどと決心がついた部分は大きかったですね。

──そういえばTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんも、結婚していることを隠すように会社から言われたのが苦しかったと、自著『失われた愛を求めて―吉井和哉自伝』(ロッキング・オン)の中で告白していますよね。

卓偉 僕も読みましたが、吉井さんがこれだけ苦しむ日本の音楽シーンって何なんだろうなって考えさせられました。本の中では、ロンドンでのレコーディングに家族を呼んで長女を抱っこしている写真も載っていましたよね。すごく美しいカットだなって僕は感動しました。ジョン・レノンが息子のジュリアンに語りかけているのと同じですよ。何で同じことが日本の芸能界ではできないのか? そういった疑問は常に抱えていましたね。

──ただ、結婚を公表したことで女性ファンが離れていくことは想定できますが、卓偉さんのファン層は男性も多いですよね?

卓偉 そうですね。昔から野郎ファンは多い方だと思っていたのですが、今回、独立にあたってファンクラブを再募集する中で男性ファンの応募の多さに改めて驚きました。それは『我が子に捧げる PUNK SONG』の効果もあったかもしれないし、ハロー!のアイドルを通じて僕に興味を持ってくれた方もいるかもしれない。本当に感謝しかないですね。男性ファンは、一度好きになってくれたら長いつき合いになりますから(笑)。

──デビュー当時の卓偉さんはビジュアル系みたいなイメージも先行して、女子人気が高かったです。思えばそこから大きく路線は変わりましたよね。

卓偉 ビジュアル系か……。確かに僕はステージで化粧をします。でもそれはビジュアル系じゃなくて、グラムロックの枠なんですよ。ZIGGY、ハノイ・ロックス、ニューヨーク・ドールズがメイクするのと同じ。あるいはザ・ストゥージズの頃のイギー・ポップだって、メイクはするけれど中身はパンクスじゃないですか。日本だとビジュアル系が大ブームになったから、どうしても一緒にされがちなのですが。

──確かにマイケル・モンローは、ホストみたいな格好はしないはずです。

卓偉 実はそのへんはすごく苦い思い出がありましてね。自分がバンドを組んで世に出た90年代の終わりというのは、世の中的にビジュアル系が一大ムーブメントになっていたんですよ。そうするとやっぱりレコード会社としても、似たようなメイクや衣装をさせた方が雑誌にも載れるしライブでも動員できるということになる。それで僕は着たくもない服を着させられていた時期があるんです。たとえば雑誌の取材が入るとするじゃないですか。現場に着くと「これに着替えて」とビジュアル系っぽい服が用意されているんです。これを着たらビジュアル系だと言われることも分かっているけれど、「じゃあ売れなくてもいいのか?」という話になる。

──しんどい話ですね。袋小路じゃないですか。

卓偉 僕もまだ右も左も分からず、大人と喧嘩することもできなかったですしね。僕自身はビジュアル系を聴いたこともないのに、ビジュアル系ばかり載っている雑誌に出ることの罪悪感もありました。だって、真面目にビジュアル系をやっている方にも失礼じゃないですか。当時、僕は高円寺に住んでいたんですよ。そこにはジャンルこそ違うけれど夢に向かって頑張っている若い奴らがいましてね。劇団員、板前、ミュージシャン……いろいろな卵たちが集まって遊んでいたんです。僕はその集団の中で一番最初に世に出ることになりまして。ある日、溜まっていた沖縄料理屋に行くと、自分が載っている雑誌を出しながら「何だよこれ。お前、パンクスじゃなかったのかよ」とか冷やかされたんです。それでも僕は何も言い返せず、そのまま大喧嘩になって……。そのへんの葛藤は『高円寺』という曲の中でも書かせていただきましたが。

──あまりにもホロ苦い青春群像です。ところで卓偉さんってソロでキャリアをスタートさせましたけれど、アマチュアの頃はバンドで活動していましたよね。これはどういった流れだったんですか?

卓偉 そのへんの話をするのは久しぶりだな……。そのバンドはドラムがいなくて、ギターとベースと僕という3人構成だったのですが、曲は全部僕が書いていたんですね。そのことが不満だったんです。要するにこっちはジョン・レノンに対するポール・マッカートニー、あるいは氷室京介さんに対する布袋寅泰さんみたいな相棒を探していたんだけど、それができなかった。もちろんバンドにはMr.Childrenにおける桜井和寿さんやスピッツにおける草野マサムネさんみたいなスタイルもありますよね。実際、そっちの方が長く安定的な活動はできると思う。だけど僕としては、それが嫌だった。やっぱりバンドだったら、他のメンバーと練り上げていくような感じにしたかったので。いわゆるバンド・マジックみたいなものに対する強烈な憧れがあったんです。

──メンバーチェンジは考えなかった?

卓偉 もちろん考えましたよ。「いい奴いないかな?」って対バンのときもずっと探していましたから。でも、ダメだったんですよね。運命的な出会いがなかった。考えてみたらミック・ジャガーとキース・リチャーズも駅のホームで運命的な再会を果たしたというのに、自分は地元福岡でも東京でも「これだ!」という男に出会えないまま。これはもう出会いの運がなかったとしか言いようがないと思う。それでも動員は順調に伸びていって、いよいよレコード会社から声もかかった段階で、僕は冷静に「このままで大丈夫かな?」と考えていたんですね。当時の事務所からも向こう3年くらいの大まかな計画をバーッと提示されたのですが、その瞬間に「これは無理だ」と自分の中で結論が出まして。「すみません、解散させてください」ってすぐに伝えました。

──そんな経緯があったんですね。

卓偉 ソロ名義でもバンドサウンドでやっている方はいくらでもいるし、そこは自分の名前で覚悟を決めてやっていこうと思いました。そう決めたのがデビューした21歳のときですね。それからいろいろありましたけれど、その21歳のときの覚悟は今に至るまでまったく変わらないです。

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(取材・文/小野田衛)

▽中島卓偉(なかじま・たくい)

1978年10月19日生まれ。1999年にロックミュージシャンとしてデビュー。現在活動は23年目に突入している。2001年頃より楽曲提供を始め、ハロプロに提供した代表曲に『My Days for You』(作曲)、『大器晩成』(作詞・作曲)、『次の角を曲がれ』(作詞・作曲)、『就活センセーション』(作詞・作曲)など。

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■ライヴ情報:7.10(日)東京 原宿RUIDO ◇ 8.13(土)東京 Veats Shibuya ◇ 8.14(日)大阪 OSAKA MUSE ◇ 8.17(水)名古屋 Electric LadyLand