富士スピードウェイの完成。そしてプリンス自動車と日産との合併|1966年はヴィンテージイヤー

【1966年はヴィンテージイヤー Vol.3】

【2】から続く

 1966年はモータースポーツが飛躍的な発展を遂げた年でもあった。前年の最終戦でホンダが初優勝を飾ったF1は1966年からは3Lマシンによって覇を競うことになる。富士の裾野に、関東で2番目のサーキットが完成したのも1966年だ。富士スピードウェイである。世界に類を見ない大きな落差を持つ30度バンクが売りの6kmの高速サーキットで、5月に鈴鹿サーキットに代わって日本グランプリを、10月には日本インディを開催した。

 日本グランプリにプリンス自動車が送り込んだのが、日本初のプロトタイプ・レーシングカー、プリンスR380だ。トヨタもモーターショーに参考出品したトヨタ2000GTを走らせている。また、最新鋭のポルシェ906やパワフルなデイトナ・コブラも姿を見せた。決勝レースではプリンスR380が優勝を飾っている。

 このプリンス自動車は、グランプリ直後の8月に日産との合併を発表して、多くの人々に衝撃を与えた。これが業界再編成の引き金となり、10月にはトヨタが日野自動車と業務提携を結んだ。そして1967年11月にトヨタとダイハツ工業の業務提携が実現する。

>>【画像25枚】富士スピードウェイが完成した1966年5月の日本グランプリに、プリンス自動車が送り出したプリンスR380など

 この時期、企業の公害たれ流しも大きな社会問題となった。運輸省は自動車の排ガスの基準を制定し、9月には自動車排出ガス規制がスタートする。が、まだ日本の自動車業界は、わが世の春を謳歌していた。

【4】へ続く