90歳の弁護士「事故は濡れ衣」、「警察が事故を隠蔽」、「ディープフェイクだ」と無罪を主張

2019年4月、当時87歳の元通産省官僚が池袋で、プリウスを運転中にブレーキとアクセルを踏み間違えて暴走、大変な死傷事故を起こした。「過失運転致死傷」で起訴され、クルマが勝手に暴走したと徹底否認。「上級国民」という語が登場し、世間を揺るがす大騒動に。2021年9月、90歳のとき禁錮5年が言い渡された(控訴せず確定)。

じつはあのころ、同じ東京地裁の別の法廷で、似たような裁判がひっそり進行していた。こちらの事故発生は2018年3月、被告人は当時86歳、弁護士だった。罪名は「過失運転致傷」。被害者(47歳男性)は入院加療367日、多発性脳挫傷、脳幹損傷などの傷害を負い、高次脳機能障害で全介護が生涯必要な状態に。たいへんな事故である。

被害者をはねて動転したか、被告人はブレーキとアクセルを踏み間違えて暴走、コンビニの外壁に衝突した。法廷では徹底否認…。しかしこっちはどうやらまったく報道されていない。私がレポートしよう。

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第1回公判は2020年11月。交通事故の裁判は、被害者の症状固定を待つこともあり、事故から裁判までかなり間が開くことがよくある。

最初の数回を私は傍聴できず、2021年9月から傍聴し始めた。被告人はこの時点で89歳。だいぶ痩せて耳が遠く、いかにもお年寄りだった。この日は暑く、白黒の細い縦縞の半ズボンにハイソックス、スニーカーという姿だった。寒い時期は良さそうなジャケットにループタイ。お洒落なのだ。そしていつも鼻マスクだった。

証人尋問が行われた。証人は交通捜査係の警察官だ。概要、こんなことを証言した。

証人「午後4時半過ぎ、歩行者と乗用車の事故ありと110番通報を受け臨場した。車両はセレナ。セブンイレブンの壁にぶつかった状態で止まっていた。被害者は意識がなく、救急車で搬送された。運転者(被告人)から事情を聞いた。交差点でコンビニの看板に脇見し、横断歩道を渡っている歩行者をはねてしまった。その後、ブレーキとアクセルを踏み間違えたと…」

被告人車両にドライブレコーダーがあった。その録画と、コンビニの監視カメラの録画が証拠として出ていた。被告人はいったん停止して別の歩行者をやり過ごしたあと、発進して被害者にぶつかった、そんな様子がしっかり録画されているという。

事故当日、証人は上司と相談。高齢者ゆえ記憶がなくなっては困るからと、その日のうちに詳しい調書をとった。

証人「家から奥さんと墓参りへ行き、帰りに事故を起こしてしまった、大変申し訳なく思っているとのことでした」

ところが被告人は、法廷で否認に転じた。いったいどう否認したか、驚かないでほしい。

被告人「白のビニール袋を持った人が飛び跳ねるように出てきて、赤っぽい派手なクルマとぶつかった。そのクルマはいなくなった。のちにM署やT署で見かけた。警察のクルマだ。警察が事故を隠蔽した。今回の事件はまったくの濡れ衣だ。私は善意の目撃者だ」

その無罪主張は、ドラレコやコンビニカメラの録画映像に明白に反する。被告人はこう述べた。

被告人「録画映像は編集、改ざんされている。違法収集証拠だ。自分のクルマのボンネットのへこみは、後日ねつ造されたものだ。自分が事故を起こしたなどと供述していない。調書もねつ造だ。警察のスキャンダルを隠すための、本件はディープフェイクだ」

事故後、脳内の認知機能に大きな変化があったのではないか、失礼ながら傍聴席からはそう思えた。2022年1月、被害者の妻が意見陳述を行った。以下は一部だ。

妻「夫は◯◯を退職して香港で会社を興し、日本に出張中…次の日、香港へ戻るはずでした。下の息子が今年20歳に…夫は息子たちとお酒を飲めるようになることを本当に楽しみにしていました。リタイアしたら南の島でのんびり過ごそうと…(ところが)老後の生活も何もかも被告人に奪われました! 入浴もトイレも1人でできず…この先、希望なんてひとつもない。不安しかない…毎日こんな状態で生きることが彼の…」

妻は泣き、泣きながらも力強く言った。

妻「こんな明白な証拠を突きつけられて、弁護士のくせに認められないのですか! 私たち家族全員が厳罰を望んでいます!」

検察官の求刑は禁錮3年。同年3月、判決が言い渡された。このとき被告人はたぶん90歳だ。

裁判官「主文。被告人を禁錮3年に処する。この裁判が確定した日から5年間、その刑の執行を猶予する」

私は交通事故の裁判、事故がらみの裁判を現時点で1030件ほど傍聴してきた。禁錮3年、執行猶予5年は、被害者が1人の「致傷」では最も重い判決といえる。交通事故は犯罪傾向のない一般人が過失で起こす、ゆえに執行猶予が基本なのだ。

というか、たとえ死刑に処しても、失われた命、健康、未来は戻らない。戻らないのである! どうすればいいのか。東京地裁の法廷へ次々と出てくる交通事故は、ほとんどすべて、青信号の横断歩道上で起こっている。青信号の横断歩道へ突っ込んでくるクルマがあることをつねに想定して身構える、もうそれしかないのか…。

文=今井亮一

肩書きは交通ジャーナリスト。1980年代から交通違反・取り締まりを取材研究し続け、著書多数。2000年以降、情報公開条例・法を利用し大量の警察文書を入手し続けてきた。2003年から裁判傍聴にも熱中。2009年12月からメルマガ「今井亮一の裁判傍聴バカ一代(いちだい)」を好評発行中。