LOUDNESSの高崎晃が語る、80年代メタル全盛期と世界進出

40周年イヤーのLOUDNESS。2021年の最後を飾るEX THEATER ROPPONGIでの二夜連続ライブ<Ampan Night><Dragon Night>も発表され、コロナ禍を経ていよいよ彼らが本格的に動き出す!というわけで、ここでは以前Rolling Stone Japanに掲載した高崎晃(Gt)のインタビューをお届けする。

※この記事は2020年12月25日発売「Rolling Stone Japan vol.13」に掲載されたものです。

【画像】1985年5月、全米ツアー中のシカゴでのLOUDNESS

16歳でLAZYのギタリストとしてプロデビュー。1981年結成のLOUDNESSでは、日本でヘヴィメタルという音楽を牽引しただけでなく、アメリカのメジャー・レーベルのアトランティックと契約して、海外進出も果たし、アルバム『THUNDER IN THE EAST』を全米74位、『LIGHTNING STRIKES』を全米64位にチャートインさせ、モトリー・クルーとともに全米ツアーを回り、日本人として初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ち、AC/DCとツアーしたり、自らのツアーのオープニングにポイズン、シンデレラを起用したりするなど、全米、ヨーロッパを股にかけてのワールドワイドな活動をしてきた。2010年代以降も海外からのラブコールが絶えず、再び海外でのツアー、フェス出演を活発化してきたLOUDNESS。ヘヴィメタルの黎明期も、80年代の全世界的なメタル全盛時代も、今の海外のシーンもすべて見てきた高崎晃に、ヘヴィメタルについて語っていただいた。

ー高崎さんのロックの入り口は何でしたか?

高崎 小学校6年の時に聴いたレッド・ツェッペリンの2ndアルバム、ディープ・パープルの『MACHINE HEAD』。あと、クリームがちょうど解散した後で、ライブ・アルバムを出したんです。そのぐらいがロックの入り口かな。俺には姉と兄が5つ、7つ上でいて。小学校高学年の時からそういう音楽が普通に家の中で流れてる環境で育ったから、ちょっと早かったんですよ。当時は来日ラッシュで、レッド・ツェッペリンも2回来たし、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、シカゴとか、いろんな外タレが来てて。うちの兄弟はほとんどのライブに行ってたので、家にはコンサートのパンフレットもあったんです。

ー日本の音楽も聴いていました?

高崎 最初は吉田拓郎さんが好きで。それからチューリップとかに行って。中学生の時はバンドでキャロルとか好きで演奏してましたよ。

ーギターのある音楽が好きだったんですね。

高崎 まずエリック・クラプトンを好きになって、そこからディープ・パープルのリッチー・ブラックモアになって、ジミー・ペイジですね。一番スタンダードな流れですよ(笑)。

ーヘヴィメタルを意識したのはどこからですか?

高崎 ヘヴィメタルというと、81年ぐらいからの、いわゆるアイアン・メイデン、デフ・レパード、サクソンとか、そういうイギリスから出てきた俺らと同世代のアーティストたちで、いわゆるメタルの中でもニューウェイブな感じになりますよね。

ーNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)ですね。

高崎 伊藤政則さんがよう言うてましたよね。LAZYの最後の頃、80年12月に出した『宇宙船地球号』で、LAZYも「ヘヴィメタル宣言」という風にやって、自分たちで曲も作り出して、歌詞の世界はまだアイドルから脱却できてない感じはあったと思うんだけど、サウンドはだいぶハードで、自分らの理想としてたものにだいぶ近づくことができたんです。けど、ヘヴィメタルやるぞと言ってから3カ月ぐらいで、LAZYは解散しちゃったんですよね。ただ、解散して数カ月後にはもうLOUDNESSを立ち上げてて。ちょうど世界的にも、イギリスからもアメリカからも、俺らと同世代のアーティストがたくさん育ってきてたんですよね。たぶん俺らと同じで、ツェッペリンやディープ・パープルを聴いてきた連中らが、20歳ぐらいになって出てきてたんやと思うんですよ。それが後にアメリカではLAメタルになっていったりするんです。だから、ヘヴィメタルっていうワードで展開していったのは、80年代になってからじゃないのかな。

ーLAZYがヘヴィメタル宣言をして、『宇宙船地球号』をリリースした時、ファンにとっては衝撃的だったんじゃないですか?

高崎 TVに出演してアイドルの曲をやりながらも、生演奏はずっとやってたんですよ。たまに3~4曲やれたりすると、その時はまあまあハードな曲をやったり、マイケル・シェンカーをやったりもしてました。そしたら、自分たちの知らない間に男性ファンも少しは獲得してきてたみたいで。ただ、女の子がキャア言うて、紙テープとかも放ったりして応援してる中で、男は観に行きにくいよね(笑)。一度、試しに男だけのライヴゆうのをやってみたんですよ。そしたらすぐに売り切れちゃって。そういうのもあって、LOUDNESSに行く自信が多少はついてたっちゅうのはあるよね。LOUDNESSになったら、いきなりファン層が女性ばかりだったのが、グッと男性の方が急に増えましたからね。浅草国際劇場で最初にやってんけど、それまでキャア言われてる中でしか俺らやってなかったのが、いきなりウォーーッに変わったんで(笑)。その一番最初の「ウォーーッ」をいまだにずっと覚えてる感じですね。

ーLOUDNESSがデビューをした81年になると、海外からもヘヴィメタル・バンドがいろいろ出てくるわけですが、高崎さんは日本独自でどういう風にヘヴィメタルを打ち出していったんですか?

高崎 当時はまだ曲作りをするにも慣れてないし、そういうテクニックも持ってなかったのでね。本当、試行錯誤の繰り返しでしたよ。ただ、『宇宙船地球号』を1枚作ったことによって、まあやれば何とかなるだろうみたいなのは若干あったかな(笑)。当時はリハーサル・スタジオもレコーディング・スタジオも死ぬほど入りましたね。そんなに言うほどはライブしてなかったんですよ。でも、当時のディスコグラフィを見ても、毎年必ず1枚か2枚出してるんです。ソロアルバムも出してたし、本城未沙子とか浜田麻里といった女の子のプロデュースも始めてましたからね。

ーLOUDNESSが出てきた後に、大阪から次々とメタル・バンドが出てきましたよね。そういう同世代のジャパニーズ・メタル・バンドはどんな感じだったんですか?

高崎 俺らが東京に行って1~2年後ぐらいになると、次々と出てきましたね。44MAGNUMは、当時のドラムに俺の親友がおったので、44MAGNUMがどういう状況かもようわかってたし、EARTHSHAKERは元々うちのヴォーカルの二井原実もおったバンドなんです。LOUDNESSがデビューした頃、彼らも東京に徐々に来てたので、たまにライブに顔を出したりしてましたよ。同じ関西人やし。ただ、彼らがメジャーになる頃には、そんなに他のバンドとの付き合いはなかったんですよね。みんなが東京に出てきたその2~3年後には、俺らはイギリスに行ったり、アメリカでライブやったりして、84年にはアトランティックと契約をしてるんで。

LOUDNESSの世界進出

ー世界から注目されるきっかけはあったんですか?

高崎晃 当時はLPしかなかったけどね。そういうのを伊藤政則さんとかがアメリカのラジオのDJに送ったりとかいうのもあったと思うし。あとは、口コミですよね。ラジオのDJがLOUDNESSの「SPEED」をかけてくれて、その影響でLAの会場がすぐにいっぱいになったりとか。ラジオは当時大事でしたね。アメリカは車社会じゃないですか。みんな車の中でラジオを聴いてるんですよ。生放送だから、その時の時間帯とか天気によって、それに合った曲をかけるんです。ベイエリアで朝焼けの時にジャーニーをかけられたら、そらええわみたいなの、あるじゃないですか(笑)。日本の音楽を向こうで聴くと、テンポとかノリが、何か速く感じることが多いでしょ。

ー詰め詰めに聴こえますね。音数も多すぎますし。

高崎 それも向こうのエンジニアによく言われたんですよ。日本の音楽は詰め込みすぎてるっていう感想を言われたことがありますね。

ー今の話のように、世界標準の音楽を目指して、実際に海外に出た時に、改めて気づかされたことはありますか?

高崎 もう少し時代が進んでから、レコーディングをしてた時なんですけど、ギターソロのパートを前もって作曲しておいて、それで作曲した通りに完璧に弾いて、「よっしゃ出来た」と思った時に、プロデューサーの一人から、「スゴいやりたいことはわかったし、それはそれでパーフェクトだと思う」って言われて。けど、「アキラ、何も考えないで一回、感じるままに弾いてみれば」みたいなことをポンと言われたんです。それぐらいから、もっと修行をしていかなあかんなと思うようになりましたね。

ーそれって、めちゃくちゃ大きいですよね。

高崎 大きいですね。それから、自分が80年代まで構築してきてたスタイルを一回ゼロにして、もう一遍自分のギター・スタイルを作り上げようってなったんですよ。細かいことよりも、もっと広い目で音楽を見た時に、そのバンドに何が足りないのとか、ここをこうしたらこのバンドはもっと良くなるとか、それを客観的に見れるようになった時に、成功への扉が開かれていくんですよ。

ーアトランティックとの契約はどのようにして決まったのですか?

高崎 その前に、初めて俺らでアメリカ・ツアーに行ったんですよ。サンフランシスコで初めにライブを3~4本やって、その頃にメタリカの連中とも出会ったし、ベイエリアのスラッシュ・メタルの連中もたくさん観に来てくれてましたね。後になって、「あの時観に行ってた」って、会う人、会う人に言われたツアーだったんですよ。

ー90年代に高崎さんと六本木で飲んだ時のことを思い出すんですが、バーにメタリカのラーズ・ウルリッヒがいて、向こうから高崎さんに挨拶に来たことがありましたね。

高崎 彼もLOUDNESSが好きで観に来てくれてた一人だから。メタリカは本当スゴくいい連中で、自分たちのコンサート・パンフレットにも、メンバーが「好きなアーティスト」のところに「LOUDNESS」って書いてくれてたんですよ。

ーメタリカからはメンバー加入のオファーがあったらしいですね。

高崎 メタリカがメジャーになる直前ぐらいで、デイヴ・ムステインが抜けた時かな。その頃にうちのマネージャーから、「高崎、アメリカのバンドがメンバーに入れへんかと言うてんで」って、テープを渡されたことがあるんですよ。カセットテープには「METALLICA」って書いてあって。「何やこれは?!」言うて。その頃は全然知らなかったから。

ーメタリカ加入については検討したんですか?

高崎 いや、全然。LOUDNESSでやる気満々の頃やったし。そこに一人で身を預けてサンフランシスコに行くという勇気は当時なかったですね。自分でやりたいこともできつつあったんで。

ー契約したアメリカのレーベルですが、当時のアトランティックと言えば、レッド・ツェッペリンを始め、そうそうたるバンドを抱えていた、当時のロックの最高峰のレーベルじゃないですか。

高崎 元々はジャズ、ブルース、R&Bの老舗で、レッド・ツェッペリンがいてたっていうだけでも、俺らからしたら、雲の上の存在のレーベルやから。それもさっき言った、シスコでライブをやって、その後にロスでライブをやったのがきっかけだったんですよね。けどね、ロスまでの移動が車で12時間とかかかるんですよ。その夏は死ぬほど暑かったんで、もうやめようか言うてたんですよ。マネージャーもしんどいし、ちょっと弱気になってて。今回はシスコだけにして、ロスをキャンセルしようかってなって。ロスの小屋に電話をしたら、「何を言うとんの。ソールドアウトになってるから、来てもらわな困るで」って言われて。それで、ロスでライブをやったら、アトランティックのA&Rのニック・ ロフトっていう男が観に来てて。そこから契約につながっていったんですよね。そのロスのライブは、後に有名になったミュージシャンがいっぱい来てましたね。モトリー・クルーも来てたし、イングヴェイ・マルムスティーン、ポール・ギルバートも来てたし。スラッシュも最近会うた時に、観に来てたって言うとったね。

ーその時すでにLAでもLOUDNESSは話題になっていたんですね。

高崎 そうかもしれないですよね。何か日本にそういう元気なバンドがおるって。何でこんなに知らない国で人が集まるのか不思議やったけど。

ーそんな感じだったんですか?!

高崎 2000人ぐらい入るライブハウスがソールドアウトになって。もう1日やってくれって言われたんですよ。

ーよく日本のバンドが海外に行った時に、人種の壁、言葉の壁、文化の壁を感じたっていう話を聞くんですが、LOUDNESSは最初からそういう壁なんて関係なくウケていたんですね。

高崎 ロスではパラディアムでもやったんですよね。アトランティックからレコードが出て、自分たちがヘッドライナーで、同じアトランティックのマリスとウォーリアーを前座につけてやったんですよ。それも大盛況で、4000人入るところが満杯になって。そのあたりから88年ぐらいまでは、アメリカ、ヨーロッパではメタルがスゴい時代になりましたね。どこの国からもメタル・バンドは出てきたし。ちょうど83~84年が世界的にヘヴィメタルの幕開けですよね。

80年代に海外で体感したヘヴィメタル・ムーブメント

ーヘヴィメタル宣言をして、ヘヴィメタルを掲げて世界標準の音楽を目指して出ていったら、世界的なヘヴィメタルのブームになっていったなんて、スゴい話ですね。

高崎 上手いことなったんですよ。上手いことというか、自分は70年代後半から、絶対にこの道が正しい道やと思ってたし、未来につながる道やと信じてたんですよね。それがやっぱり思う通りになってきてたんです。

ーアトランティックとの契約がどのように始まったのかも聞きたいのですが。

高崎 向こうから日本のアーティストと契約したいって言うてきたんですけど、そういうのは初めてだったらしいんです。最初はテレックスが日本のワーナーに入ったんですよ。俺らのところに連絡が来た時はビックリしましたね。『THUNDER IN THE EAST』は全米で74位まで行ったんですけど、契約してレコーディングするだけでも夢みたいな話やのに、チャートインまでしてきたから、この先どこまで上がっていけるんかなみたいになりましたね。今から思えばクレイジーな時代でしたよ。やっぱり80年代は何をするにも派手な時代だったんです。自分が見てきたから、余計にそう思うのかもしれないけど。バブルも弾ける前で、どんどん膨れ上がっていく時代やし。LOUDNESSが80年代に所属した事務所も、バブルの頂点になったような不動産の会社で。日本の音楽を世界に紹介したいという社長の思いもあったんですよ。まあ、メイクも派手だったし、格好も派手だったし、女の子たちも派手だったもんね。「これ下着じゃないの?」って感じの子がいっぱいいましたからね(笑)。

ー当時、グルーピーはどうでしたか?

高崎 モトリー・クルーと回ってた時は、バックステージも華やかで。俺らがメインで回ってた時も、前座でつけてたのがシンデレラとかポイズンで、女の子のファンが多いバンドだから、もうむちゃくちゃでしたよね。毎晩のようにクレイジー・ナイトでしたよね(笑)。

ー当時交友関係のあった海外のアーティストはどの辺ですか?

高崎 ホワイトスネイクにもいて、The Dead Daisiesをやってるダグ・アルドリッチとか、KISSでギターを弾いてるトミー・セイヤーとかは、LOUDNESSの宿舎の方に来て、よくパーティやってましたよね。シンデレラはツアー先とかで、いつもよく一緒に飲んでましたね。モトリー・クルーは若かったので、ライブが終わった後も、ライブの前日も、現地のクラブに遊びに行って、一緒になった時はジャムセッションをしたりしましたね。それこそモトリー・クルーでギターだけが入れ替わって演奏した時もありましたよ。「Smokin In The Boys Room」とか弾きましたね。トミー・リーに「ミック・マーズは何してんの?」って聞いたら、「いや、ホテルで練習してるよ」って言ってましたけど(笑)。

ー当時ヤバかったアーティストは?

高崎 ニッキー・シックスはだいぶヤバかったかな。うちのベースが何回か悪の道に誘われそうになりましたけど(笑)。シュナップスっていう甘い酒があるんですけど、あれをボトルごとグイグイ飲むんですよ。ジャックダニエルは普通に水のように飲んでましたね。シュナップスを勧められたけど、「こんな甘いのいらんわ」って。まあそれ以外にもいろいろ、悪の道に引きずり込まれそうになりましたけど(笑)。でも逆に、ポイズンのギター(C.C.デビル)は、ライブが終わった後に、ホテルも一緒やったから、「ちょっとギター持って部屋に行ってええかな」って言われて。「ギター、ちょっと教えてえや」「教えてって、何やそれ」って(笑)。トミー・リーが樋口さんのドラミングを、ずっと横からビデオカメラでシューティングしてた時もありましたね。向こうのミュージシャンが何か知らん間にLOUDNESSの演奏を盗撮してたりとかありましたよ(笑)。

ー同世代のバンドだけでなく、AC/DCのツアーのオープニングを務めたり、ニュージャージーのイベントではトライアンフやマウンテンと出演したりするなど、上の世代のバンドとの共演も経験していますよね。

高崎 トライアンフとマウンテンは、一回だけのTHE ROCK & ROLL SUMMIT!というフェスで、アメリカとカナダと日本の国旗を挙げてやったんです。もうマウンテンゆうたら60年代のバンドやし、俺がロックを聴き始めた時に多少は聴いてて。そのバンドと同じステージに立てるなんて、ビックリしましたよ。畳3畳分ぐらいある巨大なカウベルがステージ前方に運ばれてきて。それをコーン!コーン!コーン!と叩いて、俺が聴いてた「Mississippi Queen」も実際にやってました。トライアンフはその頃めちゃ人気がありましたね。その会場はマディソン・スクエア・ガーデンよりも数段デカい、メドウランズ・アリーナというところで、6万人ぐらい入りましたね。AC/DCと東海岸のツアーをやったのは86年ですけど、その時はけっこうハードで、18日間で15本ぐらいライブをやったんですよ。AC/DCはめちゃくちゃハイトーンでずっと歌い続けてるのに、5連チャンでやって、1日休んで、5連チャンでやって、また1日休んでやるんです。だから、週休2日でずっとライブをやり続けてる感じで、しかもものスゴい距離を移動しながらなんですよ。そのAC/DCのツアーとモトリー・クルーの3カ月ぐらいやったシアター・オブ・ペイン・ツアー、この二つともビルボードで当時観客動員数ナンバー1のUSツアーになって。それについてやってたから、当時のアメリカ人はたくさんLOUDNESSのことを知ってるんですよ。

ーなるほど。そういうことなんですね。

高崎 俺らも当時ツアーに関しては、アメリカで一番デカいエージェンシーと契約してたんです。一度、ヴァン・ヘイレンの名前も挙がったんですよ。けど、バンドサイドからNOって来て、実現できなかったんですけどね。それでAC/DCとのツアーになったんですよ。

ー海外のミュージシャンは型破りの人が多いわけですけど……。

高崎 多いですよね。そういう人じゃないと残らないですよ(笑)。

ーその中でも一番スゴかった人は誰ですか?

高崎 ステージ上で一番輝き出すのは、俺の知ってる中では、AC/DCのアンガス・ヤングでしたね。身長は157センチぐらいしかないんですけど、アリーナで観てたら、彼が2メートルぐらいに見えてきて、どんどんデッカくなっていく(笑)。それぐらい存在感がありましたね。普通ライブを15本も観たら飽きそうなものなんだけど、毎日自分たちのライブが終わった後、すぐに着替えて、必ず観てましたね。AC/DCはつい最近も新しいアルバムが出たじゃないですか。何にも変わらないし、新しいことは何一つないんだけど、一つのAC/DCというサウンドがあって、やっぱりスゴいんですよ。

ーモトリー・クルーとの全米ツアーはどんな感じでしたか?

高崎 3カ月ずっと回ってましたね。途中で一遍日本に帰ってきて、それでまた戻ってやったんじゃないかな。行く先々、全部アリーナで、マディソン・スクエア・ガーデンよりも大きい会場はいくらでもありましたよ。マディソンでやるのは、モトリーにとっても初めてで、けっこうやる前はナーバスになってましたね。うろうろしたり、珍しくLOUDNESSの楽屋に顔を出してみたり(笑)。そんなんしてたんですけど、ちょっと俺の衣装にクレームみたいなのがついて。ニッキー・シックスが水玉の衣装を着てて。楽屋に来た時に、俺がたまたま水玉の衣装を着てるのを見て、俺に直接は言わなかったんですよ(笑)。マネージャーから、「かぶるから、あの衣装ダメだよ」みたいに言われて。俺、着替えることになって。逆にそれで、マディソンでやるのに変な緊張感とか全部なくなりましたね。気楽さもあったし、捨て身な感じもあったし、だからって手を抜くんじゃないけど、衣装にまでクレームをつけられたし、やりたいだけやったれみたいになって(笑)。それで、ギターソロもめっちゃ長いこと弾いたんちゃうかな。45分しか時間を与えられてないのに、ドラムソロで5分はやって、ギターソロで8分ぐらいやって。「5曲ぐらいやったよな?」みたいな(笑)。でもそれがウケたんですね。

ーその日はブチかませたわけですね。

高崎 思いっきりブチかましましたね。クレーム入れてくれて良かったよね。

ー当時の衣装と言えば、LOUDNESSのトレードマークとなった二井原実さんの日章旗のTシャツは、お土産屋で偶然に見つけたものらしいですね。

高崎 あれはロスのリトル・トーキョーのお土産屋さんに飾ってあったもので。当時、デフ・レパードのヴォーカル(ジョー・エリオット)がユニオンジャックを着たりもしてたんで、「ほんならこれ着ようかな」って軽い気持ちで着とったんですけど(笑)。それが映画の『ロック・オブ・エイジズ』にも出てくるようになりましたからね。

2010年代以降、再び海外での活動が増えたLOUDNESS

ー2020年9月に『SOLDIER OF FORTUNE』30周年記念盤がリリースされましたが、89年のこのアルバムは、二井原実さんが脱退して、アメリカ人のマイク・ヴェセーラを新たなヴォーカルとして迎え入れました。ヴォーカルが変わったことで、ターニングポイント的なアルバムになりました?

高崎 今は全然そんな風には思わないんだけど、当時はもう英語の曲ばかりやるようになってたから、どうしても日本人が一生懸命英語で歌ってるのが、ちょっと違うなみたいな感じになってきて。彼の歌い方も、デビュー当時からするとだいぶ変わってきてたんです。そんなんもあって、一回別れた方がええかなと。レコーディングも一回中断して、日本に帰ってきて、いろんなところでオーディションや募集をかけたりしてたんです。そんな中でプロデューサーの一人が、「今俺の知ってる中やったら、こいつが最高や」っていうので、マイク・ヴェセーラが出てきて。初めて彼の歌を聴いた時に一発で気に入ったんですよね。今回マスタリングにもかなりこだわって、3回ぐらいやり直して決まったんですけど、今の時代に聴いても、「これ、ニュー・アルバムや」って出せるぐらいの音のクオリティやと思うし、曲調もメタルの中で古いとかもそういうのも全然ない。改めて聴き直して、スゴく良く出来てるな、20代でよく作ったなと思いますよね。

ヴォーカルにマイク・ヴェセーラを迎えたLOUDNESS第2期

ー最近の10年ぐらいは、また海外でのライブ出演やツアーも多いですよね。

高崎 そうですね。でも呼ばれること自体が不思議なんですけどね(笑)。80年代にバリバリ回ってて、今この歳になって、いろんな国が呼んでくれるような状況が、自分らでも不思議な部分はあるんだけど。モンスターズ・オブ・ロック・クルーズというのがあって。モンスターズ・オブ・ロックという80年代からイギリスとかいろんなところで開催されてきたロック・フェスがあるんですけど、それをクルーズ船を使って毎年やってるんですよ。そこにLOUDNESSが呼ばれて。その船で毎年のように乗せてもらって、イベントをやってるうちに、いろいろまた世界のロック・フェスから声がかかるようになったんです。今は自分たちだけのパワーよりも、そういうムーブメントの方が大事やと思うね。メタルが下火やどうのこうの言われてることもあるんだけど、実際に俺がずっと見てきてるのは、今のこの時代でも、どこに行っても、これだけたくさんの人たちがメタル音楽を好きなんだっていうことなんですよ。

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高崎晃

1961年生まれ、大阪府出身。1977年LAZYのギタリストとしてプロデビュー。1981年にLAZYのドラマーの樋口宗孝とともにLOUDNESSを結成し、圧倒的なギター・テクニックで国内ヘヴィメタル&ハードロック・シーンの牽引役として活躍。1984年、アメリカのアトランティック・レコードと契約して、『THUNDER IN THE EAST』を世界同時リリース。ビルボードへのチャートインも果たし、大規模全米ツアーを敢行。現在、LOUDNESSに在籍し続ける唯一のオリジナル・メンバー。ソロ・アーティストとしての活動も行っている。

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<INFORMATION>

LOUDNESS 40th Anniversary

JAPAN TOUR 2021

THE SHOW MUST GO ON

<Ampan Night>

東京 2021年12月28日(火)EXシアター六本木

<Dragon Night>

東京 2021年12月29日(水)EXシアター六本木

開場・開演    各日共にOPEN 17:00 / START 18:00

チケット    全席定席¥10,000-(税込/全席指定/1Drink別)

チケット発売日    11月6日(土)~

チケット先行    

受付期間:10月16日(土)18:00~10月22日(金)23:59

受付URL:https://w.pia.jp/t/loudness40th-ex/

※オフィシャル先行のみピクチャーチケット仕様となります。

3A・モバイル先行受付(後日ご案内)は通常のチケットとなりますので予めご了承ください。

注意事項    ※ウェブサイトの注意事項を必ずご確認いただいた上でチケット購入、来場ください。

※未就学児(6歳未満)のご入場はお断りいたします。

INFO    クリエイティブマン:03-3499-6669

オペレーター電話対応時間変更のお知らせ

https://www.creativeman.co.jp/2020/08/14/71794/

企画・制作:KATANA MUSIC KK / クリエイティブマンプロダクション

協力:ワーナーミュージック・ジャパン / 日本コロムビア / ワードレコーズ / ユニバーサル ミュージック / 徳間ジャパンコミュニケーションズ / ビーイング

<お客様へのご案内とお願い>

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今回のについては会場に於ける利用規定により、徹底した感染防止策を講じた上で座席定員の100%のキャパシティにてチケットを販売の上、開催をいたします。

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複数枚購入済の場合はお連れ様のチケットもご入場可能です。

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