TBSの女子アナウンサーという仕事に見切りをつけ、絵本作家の道を歩み始めた伊東楓さん。「退職したことへの後悔は1ミリもない」と話すその笑顔には、一点の曇りもありません。

絵を描きたい一心で退職し、この秋にはドイツへと移住。次なるステージへまた一歩踏み出そうとしている伊東さんですが、その行動力や原動力はどこにあるのでしょうか。

前編に続き、今回は伊東さんに、絵本作家になろうと思った理由と今後の目標についてお話をお聞きしました。

▼「絵本作家になろう」と決意したキッカケ

―― 絵はいつから好きだったんですか?

小さい頃からです。小学校の頃は絵画コンクールにも応募していて。絵画コンクールといっても、当時、私が住んでいた富山県で「牛の絵コンクール」というものがあって、最優秀賞を獲れば給食の牛乳に自分の絵が採用されるというものだったんです。どうしても採用されたかったのですが、毎年優秀賞止まりでした(笑)。

―― 今も動物をモチーフにされていますが、動物がお好きなんですか?

大好きです! 実家の近くに牧場があって、そういう環境にも影響を受けていると思います。あとは絵本の影響もあるかな。私は漫画よりも絵本が好きな子どもで、小学生の頃にお母さんから安野光雅さんという作家さんの絵本をプレゼントしてもらったんです。彼の絵本が今も好きで、本もすべて保管してあるんですよ。母も絵が好きで、よく一緒に絵を描いていました。

―― 学生時代はアナウンサーになるか絵本作家になるかで迷ったりしなかったんですか?

いえ、絵本作家になろうとは1ミリも考えたことがありませんでした(笑)。

―― えっ!? では、絵本作家になろうと思ったキッカケは?

中居正広さんの「中居くん決めて!」という番組内で、ホワイトボードに出演者の似顔絵を描いたりしていたのですが、そこで「もう一回、いろんな絵をちゃんと描けるようになりたい」って火が点いたんです。それからデッサンを勉強して、色鉛筆も使うようになって、水彩画も始めて。「もっといろんな人に見てほしいな」って思うようになったし、もっと自分を表現したくなっていったんです。

―― アナウンサーから転身を意識し始めたのはいつ頃だったんですか?

伊集院さんや中居さん、坂上さんたちに出会ったときに、なんとなく「もっと自分らしくいられる場所が、他にあるかもしれない」って思うようになりました。それで、中居さんや坂上さんと一緒にやっていた番組が終わるタイミングで、退社を決意したんです。

▼原動力は「絵が好きだから極めたい」という思い

―― お忙しかったと思いますが、絵は毎日描いていたんですか?

0時を過ぎてから帰ることもありましたが、30分でもいいから絵を描くというのが日課になっていました。ストレス発散にもなったし、ある意味で、絵を描くことがいい逃げ場所になっていたのかもしれません。描きたい絵を描けること、絵で自分を表現できることに喜びを感じていたように思います。

―― 仕事を辞めることに迷いはなかったんですよね?

まったくありません。「よし、次だー!」って(笑)。

―― それは、「私は絵で勝負できる!」という手応えがあったからですか?

うーん、手応えというより、どちらかというと「絵が好きだからもっと極めたい」という思いが強かった気がします。

―― でも、初の個展ではいきなり絵がソールドアウトになりました。

正直、ビックリしました(笑)。TBSのアナウンサーだったから下駄を履かせてもらったのもあると思います。でも、こんなに売れると思っていなかったし、むしろお客さんに「価格設定が低すぎるよ!」なんていってもらって驚きましたね。今回は周りの皆さんが背中を押してくれましたので、ここからが勝負だと思っています。

▼仕事をしていて嬉しかったこと、大変だったこと

―― お仕事で嬉しかったこと、達成感を得られたエピソードなどがあれば教えてください。

嵐の大野智さんのインタビューですね。実は大野さんへのインタビューが、私の人生初のインタビューだったんです。緊張ですごくドキドキしたんですけど、結果、視聴者さんから「大野さんがあんなに楽しく喋っているのを見られて嬉しい!」と、すごく反響をいただいたんです。あれは嬉しかったですね。

無理に気に入られようと思わず、目の前の大野さんとちゃんと向き合おう、と気持ちを割り切ったのがよかったのかもしれません。「アナウンサーになってよかった」と思いました。

―― 飾らない人間性が、大野さんにもハマったんでしょうね。作家デビューとなった著書『唯一の月』を出されたことも達成感があったんじゃないですか?

ありました。実は、自分から「本を出したい!」と、光文社を口説いたんですよ(笑)。あと、達成感でいえば、タイアップやコラボのお話をもらえるのもありがたいですね。アトモスやUGGとも一緒にお仕事をしていますが、自分の絵って、自分ではなかなか評価できないので、コラボのお話をいただくと「絵や生き方を評価してくれているんだな」と嬉しく感じます。

―― では、逆に仕事で大変なことってありますか?

絵を描くことは大好きですけど、やっぱりめちゃくちゃ大変です(笑)。波があるんですよ。アナウンサーだった頃は、自分をもっと表現したいという強い葛藤や反骨精神があったから、絵もどんどん描けました。でも、そこから解放された途端、今度は何を描いていいのかわからなくなって、なにも描けなくなった時期もありました。「『生みの苦しみ』って、こういうことなんだなぁ」ということが初めてわかった気がします。

―― 「生みの苦しみ」はどうやって克服されているんですか?

最近気付いたのは、「刺激がないとなかなか描けない」ということです。今は、刺激を求めて家を持つのもやめました(笑)。住民票も移して、転々としながら絵を描いています。10月からはドイツのハイデルベルクへ拠点を移す予定です。

今は乗馬クラブにも通っていて、それもいい刺激になっています。残したいものを、絵という形で残してあげられるのも、作家の強みだと思っています。

▼自分に素直に、正直に。仕事を好きでいる秘訣

―― 伊東さんが仕事をするうえで大事にされていることはありますか?

ひとつのことに固執しないこと、ですかね。持っているものを手放したら、また何かが入ってくるようになっている気がして、この流れが好きなんです。言葉にするのは難しいんですけど、失ったものや、今にも失いそうなものを取り戻そうとする必要がないというか……。

―― というと?

例えば私はドイツへ行きますが、「なぜ安定した日本の生活を捨てちゃうの?」と聞かれることもあります。でも、なんで今の自分であり続けなければいけないのかがわかりません。新しいフィールドで得るものもあるはずですから、今の生活を手放しても、ゼロになることはないですよね。死にはしませんから、大丈夫なんですよ(笑)。

―― 仕事を好きでい続けるために、努力していることなどはありますか?

何でもそうですけど、追い込むと嫌いになっちゃいますよね。「やらなきゃいけない!」という気持ちになったら、それは終焉の合図だと思います。イヤだと思ったら、素直に一度手を止めることも大切ではないでしょうか。私も絵を描かない日が続くこともありますが、それでいいんだと思っています。

―― アナウンサーの頃はいかがでしたか?

アナウンサーの頃も、自分に正直だったと思います。「どういう番組がやりたいか」「どんな部署に行きたいか」と聞かれたときも、「わかりません」って答えました(笑)。3カ月後のこともわからないのに、将来はどの部署でどこまで出世したいかなんて、わかりません。わからないものはわからないでいいじゃないですか。進路を決めなければいけないときが来たら、そこで初めて決めればいいのだと思います。

―― とてもシンプルで素敵な考え方だと思います。最後に、今後の目標などがあれば教えていただけますか?

実は今、ファッションブランドの「UGG(アグ)」と一緒にパジャマを作っているんです。今年からUGGよりルームウェアのラインが誕生したのですが、そこで私が着たいパジャマをタイアップで作っているんです。

―― どんなパジャマですか?

「外でも着たいと思えるパジャマ」です。実は私、普段からよくジャージを着ているんですよ。ラフな格好が好きで、家でも外でも着られるパジャマがあったらいいなって思っていたんです。洋服の型からデザインに参加しているのでローンチが楽しみです。この仕事が終わったらドイツへ飛ぶので、そこからは、とりあえず生き延びるのが目標ですね(笑)。