「泉谷しげる50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人と振り返るエレックレコードの名盤

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年9月は70年代から80年代にかけた時代を代表するシンガー・ソングライター。俳優、画家、音楽にはとどまらない表現活動を続けるアーティスト。さらに、様々なイベントを企画して、先頭で実行する戦うプロデューサー。「泉谷しげる50周年、俺をレジェンドと呼ぶな」特集。第1週は、エレックレコードについて振り返る。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人田家秀樹です。今流れているのは泉谷しげるさん、1987年のシングル「野性のバラッド」。今月の前テーマはこれです。「J-POP LEGEND FORUM」、J-POPの歴史の中の様々な伝説をあらためて紐解いていこうという60分。今月2021年9月の特集は泉谷しげる。70年代から80年代にかけた時代を代表するシンガー・ソングライター。その一方で、俳優、画家、音楽にはとどまらない表現活動を続けるアーティスト。さらに、様々なイベントを企画して、先頭で実行する戦うプロデューサー。2015年に立ち上げた、熊本の「阿蘇ロックフェスティバル」は今年で勇退を声明されて、10月23日、24日にそのライブも行われます。デビューが1971年、今年がデビュー50周年。俳優さんのイメージも最近は強いですが、彼の音楽の軌跡を辿ろうという1ヶ月。唯一無二の50年、どんな音楽を残してきたのか。題して、「泉谷しげる50周年、俺をレジェンドと呼ぶな」。本人に4週間登場していただきます。こんばんは。

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泉谷しげる(以下、泉谷):レジェンドと呼ぶな(笑)!

田家:レジェンドと呼ぶなと言われるだろうなと思って、それをタイトルにしてしまいました(笑)。

泉谷:頼むよー。呼んでほしくないよー、そんなのー。

田家:はい、俺を博物館に入れるなっていう。

泉谷:そうですよ(笑)。レジェンドだったら、半分死んでるね。

田家:50年ということで、あらためて思われることは?

泉谷: 50年だからなんだというぐらいな感覚です。やっぱり、重みとか歴史を作ろうとしていた先輩を散々見てきているんで、かっこ悪いなと思うんだよね。俺はこれだけのことをやってきたぜ、早くお前ら尊敬しろと、褒めろと言うやつらはダメよ! 常に前に行くというのは美しいかもしれないし、そういう積み上げてきたものは大事ではあるんだけれど、人の記憶は慣れてくるし、飽きてくるし。

田家:「野性のバラッド」の中に〈騒ぎの好きな俺について〉という歌詞がありますが、騒ぎ続けた50年という感覚はありますか?

泉谷:騒いでいたいですねー。

田家:これからもね。

泉谷:うん。やっぱり、騒ぎは好きですね(笑)。

田家:4週間辿ってみようと思うのですが、50周年ホヤホヤの新曲というのが、今日の1曲目になります。こういう新曲、現役の証があるから、俺をレジェンドと呼ぶなということにもなるんでしょうが、本邦初オンエア。本当にできあがったばかり。それから始めたいと思います。

泉谷:え! 意外な手法で来るねー(笑)。

風の時代 / 泉谷しげる

田家:一緒に歌っているのが、ワハハ本舗の人たち。10月28日から新宿文化センターで「王と花魁」というお芝居が始まる。それに合わせての新曲でもあるという。

泉谷:そうですね。主宰の喰始から電話がかかってきて、ワハハ本舗でマスクにメッセージを書いて、頑張る人たちを応援するキャンペーンをやっていて、そのテーマソングを作ってくれって言うんで、「あ、いいよ」ってすぐ受けて、お笑いバチバチでと思ったら、「ちゃんと作ってくれ」。「普遍的に独立して楽曲として成立するものを作ってくれ」と。なんて難しい注文するんだと、「ワハハなんだから、笑いがあって然るべきだろう」と言ったんですけど。

田家:喰さんも泉谷さんに対して、そういうものを求めたんですね。

泉谷:まあ、そういうことですねー。めんどくさかったですねー。

田家:はははは!「風の時代」って良いタイトルですね。

泉谷:自分もいつか使いたいなと思っていたフレーズで。私は大体オフで、世間が何か言っていることをよく記録するんです。良いこと言うじゃないですか、オフって、みんな。で、公になるとつまらない(笑)。そこで残ったものの1つが「風の時代」だったんですよ。

田家:この「風の時代」の話は4週目にもあらためてまたお訊きしようと思うのですが、これはでもまだ発売日は全然決まってないんですもんね。4週目には決まってるかもしれませんね(笑)。

泉谷:その通りですね(笑)。

田家:「風の時代」に至る50年間というのが4週間のテーマになると思います。本邦初公開、新曲「風の時代」でした。さて、ここから一気に50年前に遡ります。

泉谷:取り調べだな(笑)。 

田家:23歳の泉谷さんの自己紹介ソングです。

プロフィール / 泉谷しげる

田家: 1971年11月発売デビューアルバム『泉谷しげる登場』から、「プロフィール」、23歳。

泉谷:今更言っても信じないかもしれないけど、この頃の曲からほとんどアドリブなんですよ。その場でやっているんですね。忌野清志郎や古井戸があまりにも完成度が高かったんで勝てねえなっていうのがあって、ぶっ壊してやれっていう。そのぶっ壊すっていうのは、シュールレアリズムに壊すのではなく、とぼけてね。

田家:デビューアルバム『泉谷しげる登場』は71年10月の杉野講堂99円リサイタル。このライブアルバムでデビューするのは、エレックの人たちのアイデアだったんですか?

泉谷:そうですね。まあ、自分もそっちの方がよかったんですけど、99円というふざけた金額でやっているのはレコーディングだからなんですよ。お客さんはオーディエンスだけど、タダでレコーディング観ているようなものなんです。

田家:お金は別になくてもいいやみたいな。

泉谷:そうなるとあれなんで、洒落で99円にしようっていうことなんでしょうね。

田家:この自己紹介ソングの後に「告白のブルース」という曲が入ってまして、これは泉谷さんが初めて書いた曲。〈チョンガーどもよく聞けよ、女は怖いんだぞ〉っていう。

泉谷:その当時付き合っていた女性からはすっごく怒られましたね。

田家:あらためて歌詞をご覧になっていただけたらと思うのですが、〈あわれ男よどこへ行く〉という男心ね。この「告白のブルース」はいつ頃書いた曲だったんですか?

泉谷: 18歳ぐらいかなと思うんです。18ぐらいでようやくコードやカポタストというものを覚えられて。エレキはいじっていたんだけど、フォークギターって覚えるのが大変なんですね。

田家:先にエレキなんですもんね。

泉谷:ローリング・ストーンズですからね。

田家:この話はまた、3週目に出てきますけども(笑)。フォークギターの方が難しかった。

泉谷:全然難しい。エレキは便利ですからねー。柔らかいですから、弦が。適当に弾いても形になっちゃいますんで。

田家:18歳で初めて曲を書いた時には漫画家にもなりたいっていうのがあったんでしょ?

泉谷:そうですね。だけど、時代が悪かったというか、すごかったというかね。ラジオで漫画を描いている時にビートルズやストーンズは流れるわさ、ジミヘンが流れてごらんよ。

田家:なるほど。刺激が違う。

泉谷:世の中に生きたいと思うでしょうよ。

田家:こっちが世の中なんだと。

泉谷:外がおもしろかったんですね。デモもあれば討論会もあれば、演劇集団はズルズルと路面を這いつくばっているし、どんな国になってんだみたいな。漫画は大好きなんだけど、作業は地味じゃないですか。アウトドアじゃないんで(笑)。

田家:そんな話はまた後ほどお訊きしようと思います。泉谷さんと言えば、乱入という言葉がついてまわりますが、なぜそうなったのか始まりの曲です。エレック時代の2枚組ライブ『唄の市』から「戦争小唄」。

田家:これであちこちに乱入したんですよね?

泉谷:「出させてくれ」って自分で行って、レコード会社はこの頃は仮契約レベルだったんじゃないかなと思うんです。別に会社に相談したとか、そういうレベルではなく、ライブが好きだったんで。

田家:相談したら、やめろって言われますよね(笑)。

泉谷:そうです(笑)。だから、「頼む、出させてくれ、1曲でいいから」って主催者に。「お前なんかおもしろそうだから、出ろ」っていう。あの時の言葉はとても忘れられない。先輩にあたる人たちが、主催していて、おもしろければ出しちゃうみたいなところがすごいなと思いましたね。今は事務所だとなんだって、いろいろコンプライアンスがあってさ。俺もいつか、おもしろいやつに場を作ってあげるという大人にならないといけないなと思ったな。

田家:それが阿蘇ロックにも繋がるんだろうと思いますね。「戦争小唄」もアドリブっぽく作ったんですね。

泉谷:完全にアドリブです。これは当時ベトナム戦争がまだ終わってませんのでね。

田家:1975年ですからね。

泉谷:終わったのはね。これはちょっと前ですから。なので、戦争の歌さえ歌っていれば、盛り上がるだろうみたいな(笑)。

田家:でも、普遍的な歌ですよ、これも。

泉谷:そうそう、ほとんどその場でやっているんですよ。

田家:そういうエレックのデビュー自体が、とても思いがけないと言うと失礼ですけど、エレックに持ち込んだ古井戸とピピ&コットのカセットの最後にちょっと泉谷さんが入っていた。

泉谷:本当にそう。テープが残っているから、ちょっと入れておくかって言ったら、ぶつっと切れて。また新たにちゃんと作ろうってなった時も、やっぱり同じように途中で切れているんですよ。

田家:ちょっと残ってた。「会いたい」って言ったのが浅沼勇さん?

泉谷:そうらしいですね。まあ、社長なのか、浅沼さんなのかちょっとそこは。2人ともいたんで。

田家:あ、永野さん。

泉谷:そうそう。だから、こいつを連れて来いってことになったみたいですね。

田家:エレックレコードはURCと並ぶ、インディーズの走りですが、もともとギターの教則本の会社で。深夜放送との関係が深くて、1回目の発売が土居まさるさんだった。カレンダー。♭ジャニュアリ~という始まり(笑)。シンガーソングライターの1号が拓郎さんで、2号が泉谷さん。

泉谷:そういうことですね。

田家:拓郎さんの話はまた後ほど伺いますけども、「戦争小唄」の人が書いた名曲がこれです。72年4月発売、2枚目のアルバムのタイトル曲、「春夏秋冬」。

田家:1972年4月発売、2枚目のアルバム『春夏秋冬』から、タイトル曲「春夏秋冬」。この曲は思い出がいっぱいありそうですもんね。

泉谷:そうですね。でも、作れっていう時は全然良い思い出じゃないんですよ。ひどいですよ、エレックは。いきなり電話がかかってきて、「明日までに曲作っておけ」って言うんで。新宿の御苑スタジオでリハしなきゃいけなかったんだけど、「とにかくスタジオ代が高いんだからな、早く作れ」みたいな。「なんだこいつと」と、その時が、亀裂の1番最初でしたね(笑)。

田家:大人の世界はこうかみたいな(笑)。

泉谷:そう。まあ、レコーディング代が高かったというのもあるんですけどね。でも、こっちも調子悪くて、この歌をよく聴いてもらえれば分かるんだけど、実は鼻声なんです、風邪引いているんです。

田家:で、すぐ書けたんですか?

泉谷:まあ、一行だけ。でも、一行書いて、あ、これいけるなって思いました。あとは適当にその場で歌っていて(笑)。まずリハの段階で適当に歌って、固めていって。どうも、ボブ・ディランもそうやってたらしいね。適当にまず歌って、それから後で直していく。レコーディングメンバーがいつも待たされていた。これは偶然ですよ、別にディランの真似したわけでもなんでもなく。

田家:その思いがけないデビューの時に書いてた曲はどのくらいあったんですか?

泉谷:大してないですよ。むしろ、ないですよ。「戦争小唄」と……3、4曲しかなかったんじゃないかな。

田家:デビューアルバムの中には浅沼さんの曲も入ってましたもんね。

泉谷:そうそう。だから、アルバム出すとか言われた時、「いや、俺はダメなんで曲もないし、古井戸を先にしてくれ」って言った。こいつらはいっぱいあるから、俺はないから、最初はお断りしてるんだよ。自分が先頭を切るのはいいけど、1年間だけだぞと。それで、あとは古井戸出してくれるなと、だったらやるって言って。俺は1年間でもういなくなるからみたいな感覚で。

田家:ところが、世間はそうさせなかった。この2枚目のアルバム『春夏秋冬』はスタジオレコーディングで加藤和彦さんもアレンジで参加している。ここから入っているんですもんね。

泉谷:つまり、レコーディングってなんだってことをできる人がいなかったんですよ。

田家:あー同世代ではね。

泉谷:フォーク勢は全く頼りにならないので、どうしてこういうマイクで、ヘッドホンつけてやるっていうことが分からない。ミキシングなんて分からないんです。だから、みんな加藤さんのところに行ったんですよ。そのぐらい彼は先に行ってたんです。

田家:勉強になったこともたくさんあったと。

泉谷:相当ありましたね。彼がいなかったら、我々はできなかったですよ。

田家:この話はまた後ほど続きます。

泉谷:また!後ほどが多すぎないか(笑)!

田家:これも代表曲、普遍的な1曲(笑)。

泉谷:そうですね(笑)。これは岡本おさみさんの詞をどこもアドリブもせず、ちゃんとやっている。だから、俺としてはこれがワハハ本舗であってほしかったみたいなね(笑)。つまり何を言いたいかと言うと、岡本おさみさんは重厚に作ってくれって言ったんですよ、この歌詞を。

田家:あ、歌詞を持ってきた時に。

泉谷:そうそう。すごいブルースな感じでって。ふざけんなこの野郎と。権力と戦うような、政治と立ち向かうことが当たり前の空気な時代だったんだから、そういう責任を負わせやがってみたいな。

田家:こいつの曲だよみたいなね(笑)。

泉谷:そう。で、自分はコソコソとしているわけでしょ。卑怯者! ですよね。

田家:でも、こういうコミカルなみんなが笑える、楽しめる歌にしたからこの曲は生きていますよね。

泉谷:結果的には軽くしたら、例えば警察にお世話になるようなことがあったらさ、笑ってくれると思うんだよね。警察官も。「じゃあ、お前もやってみろこの野郎」とかさ。「俺たちの前で歌ってみろこら」ってさ、絶対冷やかしてくれるような気がしてるのね。

田家:それが音楽のおもしろさでもあるし。

泉谷:そうなんだよ! 権力者も笑わせないと。

田家:高田渡の流れがここにあるという(笑)。

泉谷:そういうことなのよね。自分だってずっと1個の思想に凝り固まっていけるほどの自信があるわけじゃないし、ないんだから、大体。気分はあるけど、思想としてはないんで。エンターテインメントなんで、そこは。上も下も右も左も楽しまないと。

陽が沈むころに / 泉谷しげる

田家:1972年11月発売3枚目のアルバム『地球はお祭りさわぎ』の中の「陽が沈むころに」。当時、お世話になりました。助けていただきました。

泉谷:ああ、そうですか。しかしさあ、老けてるよねえ。23でこういう達観した曲作っちゃダメだよ! 達観って諦めちゃうってことだから。そうじゃないっていう意見も当然あるのは分かってる。だけど、1番嫌いなんですよ。でも、みんなこういう心情だろうなと。それを美しくするのはジョン山崎のピアノだな。

田家:ジョン山崎、スクールバンド。

泉谷:こいつらの演奏と、ピアノでとても美しい曲になれた。だけど、やっぱり結論的なもの、諦め的なことも口にしてみないと、前に進めない時ってありますよね。

田家:自分でなかなか言えないから、こういう歌を聴くことで、自分に言い聞かせたりしてましたけどね。

泉谷:自分のダメさ加減をちゃんと口にしてみないと、虚勢張っていてもしょうがねえだろうという。虚勢張るの大好きなんだけど。

田家:この「陽が沈むころに」を聴いた頃に岡林さんを連想したんですよ。岡林さんが京都の山中にいなくなってしまって、逃げたとも見えるような引きこもり方に対して、泉谷さんが思ったことでもあるのかなとか。

泉谷:でも、岡林さんの真似はほとんどしてましたね(笑)。すごい迷惑がってましたね。

田家:泉谷さんの原点はローリング・ストーンズとフォーククルセダーズと思っていたのですが、岡林さんもそこにいるわけですよね。

泉谷:そうですね。結局彼は良いか悪いかっていうのは本人もどこまで分かっているのか分からないんだけど、歌以上のものを感じてしまって。すごいな、この人はと。

田家:共立講堂で岡林さんと共演しましたよね。それ観てましたけどね。

泉谷:スター性もあるし、本当に良い男だしさ、ぶっ壊してやろうと思った(笑)。

田家:で、71年にデビューして、1年間に3枚のアルバムを作ってたんだなって思いました(笑)。どんな日々だったんだって(笑)。

泉谷:ひどいでしょ! 記憶ないんだから、この曲、俺本当に作った? ぐらいのことが平気であるんで。中には何曲か駄作があるんだけど、記憶がないんだよね(笑)。

田家:で、そういう中で4枚目の名盤アルバム『光と影』が誕生しています。その中からお聴きいただきます。「春のからっ風」。

春のからっ風 / 泉谷しげる

田家:1973年9月発売、4枚目のアルバム名盤『光と影』の中の「春のからっ風」。「春夏秋冬」の続編のような曲にも聴こえますね。

泉谷:結局、焦燥感みたいなものが当時みんなにあって、若いやつの行動が上手いこといかずに敗北感みたいなものですかね。世の中が変わらないみたいな。

田家:世間は分かってくれない的な。

泉谷:そういう気持ちを代表してという意味ではなく、自分自身がそうだったはずだという。

田家:泉谷さんもこういう生活をしていた時がある。

泉谷:「春夏秋冬」と同じように都会のおしゃれな空間にいるはずなのに、埃が舞っているみたいな。ささくれ立った気持ちというか。だいぶ自分のキャラも完成されつつあるぐらいな時だったんだけど、ここは虚勢を張らずに俺はこうなんだよねっていうところも、まあやっとくか! みたいな。

田家:さっきちょっと話に出た、漫画家になりたい。漫画を描いていて、なかなか採用されない時期はこういう感じだったりしたんですか?

泉谷:いや、漫画家も歌手もどうしても受かりたかったかどうかって言われちゃうと、非常に微妙で。やったとは思ってなかったですね。むしろ、なんで? というぐらいですよね。

田家:なんで俺がこんなに?

泉谷:なんで人気出ちゃったの? ぐらいな感じですよ。だから、むしろ怖がってたと思いますね。はっきり言えば。基礎どころか、ぶっ壊してるんだからさ、次から次へと(笑)。だから、早く辞めなきゃぐらいな気持ちでしたね。

田家:で、この4枚目のアルバム『光と影』のプロデユーサーがさっき話に出た加藤和彦さんなわけで、加藤さんはそういうところをちゃんと理解して。

泉谷:あの人は理解してくれるんだよねえ。ポップの人かと思ったら、なんでこういうことが分かるんだろう? という。

田家:あの人もやっぱり、外れたところがいっぱいあった人なんですよ、きっと(笑)。

泉谷:そうかもしれないな。なんか過激だよね、意外と。すごい良いところの息子じゃないですか。良い学校も出て、ポップなものを作って。だから、レコーディングの頼り方として頼ったんだけど、まさか歌詞まで理解してくれるとは思わなかったですね。

田家:たぶん、加藤さんは泉谷さんが歌っていることに惹かれたんじゃないかと思いますけどね。

泉谷:そうかもしれないですね。もちろんあらゆるジャンルのものに精通しているんだけど、例えば、ある時「大阪で生まれた女」の電信柱に染みついた夜とか、これいいよねとか言い出すんだよ。え!? とか、俺の方がついていけないのよ(笑)。

田家:この『光と影』は「序曲」と「終曲」、「イントロ」と「アウトロ」があって、トータルな作りで、「おー脳」とか、「ひとりあるき」、「ブルースを唄わないで」とか、本当に名曲がたくさんありますもんね。

泉谷:まあ、結果的にそういうふうに思っていただけるならありがたいんですけど、とにかく加藤さんの家でこういうふうに歌え、ああいうふうにやれって言いながらやっていたんで。自分の想いを出すために何度もやり直しするよりは、大体テイクも1回か2回ぐらいですからね、これ。

田家:あ、加藤さんがその方がいいって言う?

泉谷:そのままの方がいいって言うんだよね。ちゃんとするなみたいな。だから、おもしろかったですね。テーマとか、感情を溜め込みすぎないように慣れないうちに。これは役者とも似ているんだけど、人によるんだけど、完成されない前の演技が1番良いという。

田家:3週目で聞きましょう(笑)。

泉谷:分かりましたよ! なんだよお前(笑)!

田家:4回聞かないとね、泉谷さんのことは分からないっていう。

泉谷:あーそう(笑)。

田家:この『光と影』の中の色褪せない名曲お聴きいただきます。「国旗はためく下に」。

国旗はためく下に / 泉谷しげる

田家:色褪せない名曲、年々リアリティを増してくる曲。

泉谷:本当だねー。実はね、映画のタイトルから持ってきて、インスパイアされることが多いんですよ。だから、後々紹介するだろうけど、「翼なき野郎ども」はフランス映画の『墓場なき野郎ども』から来ているんですね。

田家:3週目に話が出ます。

泉谷:分かったよ(笑)。だから、例えば、「国旗はためく下に」は『軍旗はためく下に』。深作欣二の60年代の映画なんですね。あの映画を観て、戦争のしんどさとか、日本の国がやったことに対して、すごい怒りを覚えて。なんとかあの映画のような世界をぶつけられないかという想い、ずっと溜めているんだけどね。で、「国旗はためく下に」というタイトルが決まった瞬間、私は踊ってましたね。

田家:やったーって(笑)。これ良いタイトルですよ。

泉谷:良いタイトルでしょ。だから、これはやったー! と思いましたね。だから、外見大事だな。本当にね。タイトルでやっぱり聴きたくなるようなものばかり考えてますね。

田家:未だにこの「国旗はためく下に」というのは世界中に通用する歌になっています。

泉谷:そこまではどうだか分からないけど(笑)。

田家:これが73年9月発売で、25歳でしょう。

泉谷:うん、そうだね。老けてますよね。

田家:これはその頃の若者、泉谷さんだけかもしれないんですけど、いろいろなことがすごく分かってた、見えてたと。

泉谷:見えてたというよりも、良い意味での競争感がすごかったので。自分以外のアーティストで凄まじいやつばっかりだったので、生半可なものを出してもダメなわけで。拓郎もいれば、矢沢もいればさ、陽水もいればさ、かぐや姫もいればさ、めっちゃくちゃすごいのばっかりじゃん。だから、もう対抗意識ですよね。

田家:拓郎さん、陽水さんの話は来週です(笑)。

泉谷:分かったよ!(笑)。

田家:で、この来週は20代後半の話なんですが、30っていう年齢についてはその頃どう思ってました?

泉谷:30でロックをやめろって言われた向こうの言葉を気にして、みんなよく言ってましたね。

田家:30以上を信じるな。

泉谷:そんで、30になったら音楽もやめろみたいな。やめたやつはほとんどいませんけどね(笑)。

田家:泉谷さんはどんな30になったか。来週、再来週、その先もよろしくお願いします。

泉谷:はーい。

田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」泉谷しげる50周年、俺をレジェンドと呼ぶなパート1エレックレコード編。今年がデビュー50周年泉谷しげるさんをお迎えしての4週間。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさん「静かな伝説」です。

最近この後枠は私事が多くなっているのですが、今日も個人的な話をしてしまうと、所謂、署名原稿っていうのがあるんですね。自分の名前で雑誌に原稿を書く。初めて書いた署名原稿というのが、泉谷さんのことなんです。「放送批評」という雑誌で、NHKのドキュメンタリー、泉谷さんを追った『雑草世代』という番組があって、それについて書かないか? ということで書いたのが最初なんです。73~74年じゃないかな。

泉谷さんは雑草の象徴みたいな人だったんですよ。漫画家志望で思うような結果が手に入らなくて、バイトを転々としてフーテンぐらしをしたりしていた。で、1969年に新宿西口フォークというのがありまして、泉谷さんはそこにいたんです。まだプロにもなってなくて、ギターを持って集まって、群衆の中にいて。機動隊が催涙弾を打った時に、ギターでその催涙弾を受けていたという、そういう若者だったわけですね。私はこの1969年に就職試験に全部落ちて、新宿のタウン誌を始めたところからキャリアが始まって、西口フォークを取材する側だった。そういう意味で言うと、ずっと同じところにいたのですが、みんな雑草だったわけで。花が咲くかどうかも分からないという、でも妙なところに芽が出てしまって、葉っぱが広がってしまったという雑草でした。そこからみんなどう変わっていったのかというのも、今月の裏テーマでもあるわけです。そして、泉谷さんはどんなふうに変わってきて、今どうあろうとしているのか、これが4週間で伝わればいいなという特集です。今日は新曲をお聴きいただきました。「風の時代」。どんなふうに彼が風の時代を今迎えようとしているか。そんな1ヶ月です。

田家秀樹

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