2021年7月23日、京都産業大学名誉教授および名古屋大学特別教授である益川敏英先生が亡くなられました。81歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。益川先生のお人柄のわかるブログ記事がすでに2本公開されていますので、ここでは先生の業績について紹介したいと思います。

2009年に未来館にお越しいただいた時の様子

 益川先生は小林誠先生、南部陽一郎先生とともに、2008年にノーベル物理学賞を受賞されました。益川先生が小林先生と共同で受賞した研究内容は「対称性の破れの起源を発見し、自然界にクォークが少なくとも3世代存在することを予言」した、いわゆる「小林・益川理論」でした。非常に難解な内容ですが、粗く言うと「当時は未発見だった素粒子について、理論的に存在を予言」した研究で、後世の実験によって予言の正しさが確認されました。
 ここでは素粒子研究の歴史的な流れについて、「小林・益川理論」が与えた影響を振り返りながら、簡単に紹介したいと思います。

小林・益川理論が登場する前

 「我々の世界を形作っているものは何か」という問いへの探求は、遡れば2000年以上前から続いています。紀元前のギリシアや中国で生まれた四元素説や五行説は、初期の探求として有名なものでしょう。時代が進んで、実験によって様々な知識が蓄積されるようになると、我々の世界は非常に小さな粒子が集まってできていると考えられるようになりました。様々な「元素」が発見され、元素の中に「原子」が見出され、原子は「原子核と電子」の集まりであると判明し、そして今から89年前の1932年に、原子核は「陽子と中性子」の集まりであることが分かりました。この頃から、世界の構成要素を研究する「素粒子物理学」が本格的に始まりました。ちなみに1969年には、陽子と中性子がさらに小さなアップクォークとダウンクォークでできていることが判明しています。

 素粒子の研究が進むにつれて、我々の日常からは想像もつかなかった、素粒子の世界があらわになってきました。その1つが「対称性」についてです。例えば右手でボールを投げる様子を鏡越しに見ると、左手でボールを投げているように見えます。左右は反転してしまいますが、飛んでいくボールの様子に不自然なところは見いだせません。このように、鏡越しに観測しても自然法則に違和感がない場合に、それは「パリティ(Parity)対称性がある」と言えます。他にも、「粒子と反粒子」という対称性があります。これは、ある粒子と質量は同じだけどプラスとマイナスの電荷(Charge)が正反対である「反粒子」について、粒子と反粒子を入れ替えても同じ自然法則が成り立つ場合、「C対称性がある」と言えます。

 当初の実験や理論から素粒子の世界では、様々な自然法則が対称性を守ることで、バランスの取れた世界になっていると考えられていました。しかし1950年代に入ると、P対称性が保たれない場合も、C対称性が保たれない場合もあることが発見されました。対称性が保たれていないことを、「対称性が破れている」と言います。対称性が守られていると信じられていたところに、P対称性もC対称性も破られていることが発見されたことは、科学者にとって大きな衝撃でした。一方、P対称性やC対称性が破れている現象であっても、左右反転(P)と電荷反転(C)とを同時に行うと物理法則が成り立っているように見えることから、CP対称性は保たれていると考えられました。ところが1964年には、クローニンとフィッチという研究者が、K中間子という粒子の崩壊でCP対称性が破れているように見える、という実験結果を報告したため学会は再び騒然となりました。

 当時は、素粒子の仲間である「クォーク」が3種類(アップ、ダウン、ストレンジ)見つかっており、多くの研究者はクォークが全部で4種類あるだろうと考えて素粒子の理論を作っていました。しかしそのような理論では、CP対称性の破れを説明することができず、多くの研究者が原因究明に頭を悩ませていました。

 そこでこの「CP対称性の破れ」が起きる原因について研究を行ったのが、益川先生と小林先生です。お二人は理論的な研究によって、クォークが3世代6種類かそれ以上あればCP対称性の破れを説明できると結論づけ、未発見のクォークが少なくとも3種類あると予言しました。現在から振り返ればごく自然に感じられるかもしれませんが、当時はまだクォークは3種類しか見つかっておらず、クォークの考え方自体も数ある仮説の1つという位置付けでした。その状況の中で、理論と実験結果を付き合わせながら、この世界の自然法則の背後に6種類以上のクォークがいなければおかしい、と見抜いた益川先生と小林先生のご慧眼には恐れ入ります。

6種類のクォーク

小林・益川理論の登場以降

 この「小林・益川理論」が提唱されたのは1972年でしたが、2年後の1974年には第2世代4種類目のチャームクォークが、1977年には第3世代5種類目のボトムクォークが、そして1995年に第3世代6種類目のトップクォークが発見され、実際に3世代6種類のクォークが存在することが確かめられました。ただし注意いただきたいのは、発見されてすぐには、理論で予言されたクォークであると断言できないということです。発見された新粒子を実験や理論で詳しく検査することで、初めて「ああ、あの時見つかった新粒子は、確かに小林・益川理論で予言されたクォークだったんだ」と言えるのです。

 1977年のボトムクォーク発見によって初めて、クォークには第3世代が存在することが認識され、小林・益川理論が注目されることになりました。そして第3世代のクォークを詳しく調べるために、世界各国で加速器を用いた実験が行われ、1995年になってようやくアメリカのフェルミ国立加速器研究所のCDF実験でトップクォークが発見されます。これで、第3世代のクォークが揃いました。その後これらの新粒子が持つ性質を調べるために、フェルミ国立加速器研究所や欧州原子核研究機構(CERN)、日本の高エネルギー加速器研究機構(KEK)やアメリカのスタンフォード線形加速器センター(SLAC)などにおいて、大型加速器を用いた実験が続けられてきました。そして2000年代初頭までに蓄積された多くの実験結果を通して、小林・益川理論の正しさが証明され、現代の素粒子物理学の理論的枠組みである「標準理論」の基盤の1つであることが認められました。

 小林・益川理論が、提唱からノーベル賞受賞まで35年、6種類目のトップクォークの発見から13年かかったのは、それだけこの理論に先駆性があったことの裏返しではないでしょうか。

素粒子物理学の現在

 素粒子物理学は、現在でも日本をはじめ世界各国で精力的に研究が進められている分野になります。むしろその熱意は年を追うごとに激しさを増しているようでもあり、日本のKEKで新しい加速器(SuperKEKB)によるBelle II (ベル・ツー)実験が2018年にスタートしたり、次世代の加速器である国際リニアコライダー(ILC)を日本に建設しようと呼びかけるなど活発に続いています。また2020年には、素粒子の一種であるニュートリノに関しても、CP対称性の破れに関する研究結果が発表されました。ニュートリノにはほとんどなんでも通り抜けるという特徴と、飛んでいる間に性質が変わるという特徴があります。そこで茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC)で発生させたニュートリノを、295km離れた岐阜県飛騨市神岡にあるスーパーカミオカンデ検出器まで飛ばして測定することで、飛んでいる間にニュートリノの性質がどれくらい変化するか調べています。同じ実験を反粒子である反ニュートリノでも実施した場合、CP対称性があれば同じ割合で性質が変化するはずです。ところが実験の結果、変化の割合には違いが見られ、CP対称性が破れている可能性が高いと結論づけられました。

茨城県にあるJ-PARCから岐阜県にあるスーパーカミオカンデに向けて、ニュートリノを飛ばします

 これらの研究の熱意が見据える先には「宇宙は偶然か必然か」という問いがあると思います。我々の宇宙は必然的に今のような姿になったとするならば、この宇宙を支配している自然法則もまた必然的にそのような形をもっているものであり、人類がその法則を詳しく理解して、説明できる理論を発見すれば宇宙全体ひいては宇宙の未来まで理解できるようになるでしょう。一方で我々の宇宙には「対称性が破れている」ように見える自然法則が多々あります。粒子と対消滅を起こす反粒子が、今の宇宙にはほとんど存在しないこともそうですし、身の回りにある力が重力、電磁気力、強い力、弱い力の4種類しか無い(もある?)ことも、偶然のように見えます(力は素粒子が伝えていると考えられています)。もし我々の宇宙が偶然なのだとしたら、我々の宇宙に「ならなかった」宇宙も存在するはずです。そうなると、様々な宇宙を誕生させた「自然法則」とは何であるかが次の課題となります。

最後に

 身の回りにある物質の「素粒子」から宇宙まで話が広がりましたが、このような問いを考えるとき「どうなっているんだろう?」という好奇心は尽きません。仮に我々が住む以外にも宇宙が存在すると分かったとしても、その好奇心は止まらないのだろうと思います。現代の私たちが、様々な可能性を想像しながら世界を考えることができるのは、先人たちも同じく探求しながら知識を積み重ねてきたおかげであると感じます。益川先生は2009年に未来館にお越しになり、未来館に来る方々へのメッセージとして「φιλοσοφία(愛される知)」という言葉を手書きしてくださいました。知ることを大切にして、そして何より楽しんでほしいという益川先生の願いが感じられるメッセージです。益川先生が私たちに遺してくれたものを思いながら、筆をおきたいと思います。

益川先生、本当にありがとうございました。

関連リンク

益川先生から、子どもたちへのメッセージ
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20210730post-427.html

益川先生からのメッセージを受け取った子どもより
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20210806post-430.html



Author
執筆: 本間 英智(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
子どもの頃に見た宇宙図鑑に載っていた、銀河や星のイラストに感動し、国立天文台で宇宙の研究をしていました。宇宙だけでなく他の分野の人ともっと連携して仕事をしたいと思い、科学コミュニケーターになりました。分野にとらわれずに科学を見つめ、いろいろな視点で物事を考えていけるようになりたいです。