海洋研究開発機構(JAMSTEC)とAGCは8月4日、「残留応力場」中での動的破壊進展の数値解析により、化学強化ガラスが一瞬で破壊される過程をほぼ完全再現することに成功したことを共同で発表した。

同成果は、JAMSTEC 付加価値情報創生部門 数理科学・先端技術研究開発センターの廣部紗也子研究員、AGCの今北健二氏、同・相澤治夫氏、同・加藤保真氏、同・浦田新吾氏、JAMSTEC 付加価値情報創生部門 数理科学・先端技術研究開発センターの小國健二センター長(上席研究員)らの共同研究チームによるもの。詳細をまとめた論文は、米物理学会が刊行する中核学術誌「Physical Review Letters」および米物理学会の刊行する学術誌のうちで多体システムの集合減少に焦点を当てた「Physical Review E」に1本ずつ掲載された(論文主著者はどちらもJAMSTECの廣部研究員)。

化学強化ガラスはスマートフォンのディスプレイなど、我々の身の回りのさまざまなものに利用されており、表面の傷には強いものの、傷がたとえものすごく小さくてもガラスの内部にまで到達してしまうと、ガラス全体が割れてしまうという特徴があることが知られている。また、「強化の度合い」によって、「壊れ方」が大きく異なる点も特徴となっている。

化学強化ガラス全体が一瞬で壊れる理由は、化学強化ガラスの中に溜まっている「残留応力」と呼ばれる力に秘密がある。ガラスは引っ張りの力に弱くて圧縮の力に強いという性質を持つことから、ガラスの表面に常に圧縮の力が発生するように加工することで、表面に多少の傷が入っても、その傷は圧縮の力によって閉じられるため、ガラスの中まで成長しないようにしている。しかし、ガラスの内部には引っ張りの力が生じてしまうため、傷が表面の圧縮層を超えて内部の引っ張り層にまで侵入してしまうと、傷は一気に成長し、ガラスを内部から一瞬で破壊してしまう。この表面の圧縮と内部の引っ張りの力が、化学強化ガラスの中の「残留応力」と言われている。

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    化学強化ガラスの応力の模式図 (出所:AGC Webサイト)

化学強化ガラスが一瞬で破壊するときには、(1)ガラスの中で(最高速度約2000m/sで)高速進展する亀裂、(2)亀裂が進展することによる残留応力の解放と再配分、(3)亀裂進展と残留応力の解放によってガラスの中に発生する波動の3点の事象がナノ秒の時間スケールで相互作用をしながら、亀裂が予想もつかない方向に枝分かれを繰り返したりしつつ、進展していくとされるが、その残留応力場中における動的破壊進展過程の解析は、これまでの手法では困難であったという。

しかし、研究チームは、残留応力による化学強化ガラスの破壊過程を理解することは、地震断層の挙動を解明するためのヒントとなると考え、「化学強化ガラスの動的破壊進展」に関する研究に着手することにしたという。具体的には、化学強化ガラス板の中で発生する残留応力場中における動的破壊進展の過程を、高速度カメラで撮影してその過程を数値解析(コンピュータシミュレーション)で再現するという試みが行われたという。

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強化レベルの異なる(低・中・高の3段階)化学強化ガラスでそれぞれ作成した横幅30mm、高さ2mm、厚さ0.7mmのガラス板に対して破壊実験を行った結果、均質なガラスに均質な残留応力を生じさせても強化レベル(残留応力の強さのレベル)の違いによって、「壊れ方」がまったく異なることが判明したが、この現象を詳細に数値解析することは、非常に困難であることから、既存の数値解析手法の延長線上にはない新たな手法「残留応力場の中での動的破壊進展解析手法」を開発し、解析を行ったという。

具体的には、横幅方向に約4000分割、高さ方向に約260分割、厚さ方向に約100分割した、非常に細かいメッシュで実験と同条件を再現し数値解析を行った結果、残留応力レベルに応じた亀裂を十分に再現することができたという。

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    化学強化ガラスの破壊。(a)が実験結果で、(b)が数値解析の結果だ。そして残留応力レベルは、「Case I」が低、「Case II」が中、そして「Case III」が高である。破壊は、ガラス板の右端の辺の中心付近を軽く叩いて、小さな「欠け」を作ることにより開始され、あとは外から力を加えなくても亀裂は進展していくという。残留応力レベルが高くなるほど、亀裂が激しく枝分かれするのがわかる。数値解析では、横幅30mm、高さ2mm、厚さ0.7mmのガラス板を横幅方向に約4000分割、高さ方向に約260分割、厚さ方向に約100分割した、非常に細かい解析メッシュが用いられている。実験(特にCase III)で見られる「厚さ方向への亀裂面の旋回」が、数値解析においても見事に再現されている (出所:AGC Webサイト)

また、破壊進展過程の数値解析結果をナノ秒スケールの時間分解能で可視化することにより、実験では撮影不可能な物理量の詳細な挙動が明らかになると共に、破壊終了後もガラス片の中で解放されずにまだ残っている残留応力の分布を見て取ることもできたともする。

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    破壊進展途中の板厚中心部での応力波の数値解析結果。残留応力レベルは(a)が低、(b)が中、(c)が高だ。実験では撮影不可能な物理量が数値解析によって可視化されたものである。また、破壊進展途中の応力波のみならず、最後の時刻の画像は「破壊が終わったあとに破片の中で解放されずにまだ残っている残留応力の分布」を示している (出所:AGC Webサイト)

今回の成果について研究チームでは、蓄積されたひずみエネルギーが破壊によって解放される過程を支配する普遍的な物理を紐解くものだとしており、さまざまな工学的課題へ応用することが可能であると考えられるとしているほか、固体連続体である限り材料の性質を問わないことから、JAMSTECの研究計画の重要項目の1つである地震断層の挙動解明にも役立つと考えられるとしている。

ただし、今回の研究で解明された現象は、「傷1つないところに亀裂が新たに形成されていく」という現象であり、「もともと存在する亀裂(断層)が滑る」という地震断層のモデルとは、厳密には異なるという。しかし今回の研究では「始まったときに、すでに終わりの姿が決まっている破壊現象は存在する」ということが、その現象を精緻に数値解析する方法と共に示されており、それを今後、地震断層挙動の解析に適用し、「残留応力場での動的破壊進展」という視点で、地震断層挙動の解明・予測につなげていきたいと研究チームではコメントしている。

新たな数値解析手法により化学強化ガラスの破壊過程をほぼ完全再現することに世界で初めて成功 ~地震断層挙動の解明・予測にも応用できる可能性~