戦前のサーキットの観客席が当時のままの姿で残るのは世界的にもレア! 日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」跡 治水と保存の両立に向けて Vol.2

日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」【1】から続く

 1936(昭和11)年、日本初の常設サーキットとして誕生した「多摩川スピードウェイ」。日中戦争から太平洋戦争へと向かう時代の中で、4輪サーキットとして活用された機会は決して多くはなかったが、その存在は日本の自動車産業やモータリゼーションにおいて重要な枠割を果たしたといっていい。

 1936年のサーキット開設に至る経緯や歴史は1回目の記事で紹介したが、実は、その歴史的意義を評価し、2016年には、開設80周年を記念した式典も開催されている。

 さらに、その式典が開催される半年ほど前の2015年11月には、多摩川スピードウェイの回顧展が東京都大田区の田園調布せせらぎ公園で開催されている。サーキットが建設されたのは川崎市側の河川敷であり、東京都大田区は直接的な関わりがあったわけではない。文字通り対岸の出来事だったわけだが、多摩川スピードウェイの歴史的価値を高く評価し、地域社会の文化振興の観点から協力を申し出たといういきさつがある。クルマを愛するものとして、自治体が公にモーターレーシングの存在を文化として認め、歴史的価値を評価し協力を申し出てくれたことは、素直にうれしい限りだ。

「多摩川スピードウェイ」の跡地保存と、その歴史的意義の研究・情報発信を行う任意団体「多摩川スピードウェイの会」(会長:片山 光夫/https://www.facebook.com/TamagawaSpeedwaySociety)によれば、「多摩川河川敷の堤防強化工事を順次進めてきた国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所から、多摩川スピードウェイの跡地がある丸子橋付近(川崎市・上丸子天神町地区)について、2021年10月ごろに着工する旨、7月2日に初めて通達がなされた」とのことだ。

 この通達を受け、「多摩川スピードウェイの会」では、治水事業は公益性・流域住民の安全のため、最優先で実施されるべきものと考えているとしたうえで、「本跡地と観客席の日本の自動車産業発展における産業遺産的な重要性、さらに川崎市の行政ビジョン『川崎市新多摩川プラン』で跡地の保存が明言されていることに鑑み、観客席の保全と治水事業の「両立」を図る道を提案したいと考えている」と声明を発表。

 1936年から38年にかけて4回の「全日本自動車競争大會」が開催された多摩川スピードウェイ。第一回大会には、ホンダの創業者である本田宗一郎氏が参戦し、レースの重要性を実感するなど日本のモータリゼーション発展の礎になった歴史的資源だけに、移設や部分的に残すなど、治水と歴史資源の保存を両立させる方法が見いだされることに期待したい。