東北大学、九州大学(九大)、京都産業大学(京産大)、独ケルン大学、産業技術総合研究所(産総研)、科学技術振興機構(JST)の6者は7月28日、IT分野などで幅広く用いられている「ベイズ推定」という統計学的手法を用いて、膨大な数のパラメータを持つ電子構造の全貌を明らかにする新しい解析方法を開発したと共同で発表した。

同成果は、東北大 材料科学高等研究所の佐藤宇史教授、九大 情報基盤研究開発センターの徳田悟助教(論文筆頭著者)、京産大学理学部の瀬川耕司教授、ケルン大の安藤陽一教授、産総研 産総研・東北大 数理先端材料モデリング オープンイノベーションラボラトリ(MathAM OIL)の中西毅ラボ長らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の物理学を扱う学術誌「Communications Physics」に掲載された。

物質中の電子は相互作用しあいながら集団で運動し、その物質に固有のエネルギー状態である「(電子エネルギー)バンド構造」を持っているが、このバンド構造を実験的に直接決定できる方法として、光によって物質表面から電子を叩き出す「外部光電効果」を利用した「角度分解光電子分光(ARPES)」が知られている。

  • 電子構造

    角度分解光電子分光の概念図。物質に高輝度紫外線や軟X線を照射すると「光電効果」により、光電子が代わりに放出される。そのエネルギーと運動量を精密に測定することで、物質の電子構造を決定することが可能だ (出所:共同プレスリリースPDF)

一方で、ARPESによって得られたデータから、いかにして本質的なバンド構造と相互作用を抜き出すかについては、電子構造を特徴づける膨大な数のパラメータの値をすべて決定することが困難であったのと同時に、複数の候補モデルから妥当なものを選別できる手法が確立していなかったため、これまでたびたび物性発現メカニズムの論争が生じていたという。

こうした背景を受けて研究チームは今回、その論争を決着させるために、社会科学や天文学などの分野、機械翻訳や迷惑メール除去などのIT分野にも幅広く用いられている「ベイズ推定」と呼ばれる統計学的手法に着目したという。

具体的にターゲットとして選択したのが、「トポロジカル絶縁体」だという。

  • 電子構造

    (左)トポロジカル絶縁体表面における電子の運動の模式図。反対方向のスピンを持つ電子が常にお互い反対方向に動き、電流を伴わない純粋なスピンの流れである「スピン流」が生じている。(右)TlBi(S,Sex)2の結晶構造 (出所:共同プレスリリースPDF)

また、量子現象発現やデバイス応用の鍵を握る「ディラック電子に有限の質量があるかないか」という根本的な問題が、10年以上も未解決のままであることにも着目。

  • 電子構造

    ディラック電子の質量の有無に関する論争の模式図。TlBi(S0.2Se0.8)2では、質量がないバンド構造(モデルI)と質量があるバンド構造(モデルII)のどちらであるかについて論争が起きていた。なお、今回の実験の結果、「ディラック電子に質量があることが明確に示された」とあるが、これだけでディラック電子の質量があることが決定したわけではないという (出所:共同プレスリリースPDF)

そこで「TlBi(S,Se)2」に対して、ベイズ推定を用いた電子構造の解析を試みたところ、モデルの持つ559個のパラメータの値がすべて決定され、ARPESデータを極めてよく再現する解析結果が得られたという。

  • 電子構造

    (a)TlBi(S0.2Se0.8)2における光電子強度の実験データと、(b)ベイズ推定による解析結果(モデルIIの場合)の比較。モデルIIを仮定した解析がARPESデータを非常によく再現されている。バンド構造について、(c)に示すモデルI(質量なし)とモデルII(質量あり)のどちらを仮定するか、が多体相互作用の推定にも影響することが明らかになった。特に、(d)に示されているように、モデルIIを仮定した場合に、バンドの交点領域付近(赤枠)において違いが顕著に確認できることが判明。ベイズ推定による評価は、ほぼ100%の確率でモデルIIの方が統計的に妥当であることが示された(d右) (出所:共同プレスリリースPDF)

さらに、2種類のバンド構造のモデルのどちらが妥当かが統計的に評価され、ディラック電子に質量があることが明確に示されたほか、電子に働く多体相互作用の完全決定にも成功し、ディラック電子と物質内部のバルク電子との間で強い散乱が生じていることも示されたとしている。

なお、研究チームでは、今回開発された解析法を用いることで、これまでグラフェンや磁性トポロジカル物質などにおいて論争が繰り広げられているディラック電子質量の問題の解決が期待されるとするほか、高温超伝導体における多体相互作用と超伝導メカニズムの関連など、物性発現機構に直結するいくつかの本質的な問題を解決できる可能性もあるとしている。

また、同解析法は改良を加えることで、次世代放射光施設などによって得られる大量で複雑な電子構造データを、効率よく解析するための基幹手法にもなり得るとするほか、得られる正確な電子構造の理解を足掛かりにして、さまざまな機能性物質を用いた次世代電子デバイス材料の開発にも弾みがつくものと期待されるとしている。