昨年7月にコンビ結成20周年、同年12月に『M-1グランプリ』優勝から10周年を迎えたお笑いコンビ・笑い飯。交互にボケていくWボケ漫才で、『M-1』9年連続決勝進出を果たし、“M-1の申し子”とまで言われた2人は、いまなお円熟味を増した掛け合いでファンを魅了している。

  • お笑いコンビ・笑い飯の西田幸治(左)と哲夫

毎年単独ライブを開催している2人だが、今年は規模を拡大し、「笑い飯の漫才天国 ~結成20+1周年記念ツアー~」と題した単独ツアーを開催中。7月17日に東京で幕を開けた同ツアーで、全国12カ所を巡る。そんな2人にインタビューし、結成21年目、『M-1』優勝から11年目の心境や、衰えぬ漫才への情熱を聞いた。

――昨年、結成20周年という節目を迎えられましたが、思い描いていた20周年とのギャップはありますか? また、『M-1』優勝から10年という節目に感じたことも教えてください。

西田幸治:もう20周年かという感じで自覚はあまりなかったです。『M-1』についても、もう10年経ったんだという感じで、自分としてはそんなに意識していません。

哲夫:若手のときにお会いした師匠方が、あのとき何歳だったんだろうというのは考えるようになりました。今の時点で僕らよりも20歳くらい上の方が、僕らの今の世代やったわけで、当時から師匠でいらっしゃったし、そう考えると僕らはいつまでたっても師匠とかではないんだろうなと。いずれ年齢的には師匠になっていくんでしょうけど、自分はまだ若手の気持ちでいるところがあります(笑)

――若手の気持ちを持ち続けられているのですね。

哲夫:とはいえ、「小学生のときに笑い飯さんがM-1の決勝に出ているのを見て……」という話を聞くと、だいぶおじさんになったんやなと実感します(笑)

――“M-1王者”の称号は、活動していく中でやはり大きかったですか?

西田:大きかったですね。チャンピオンになったからこその後輩からの尊敬もあるので。特に、『M-1』に挑んでいる後輩からは、「よう9年連続(決勝に)出ましたね」といまだによく言われます。そして、M-1チャンピオンとして見られるので、しっかりやらねばという思いがあります。

――優勝がもちろん大きいと思いますが、初めて決勝に進出した第2回大会(2002年)もターニングポイントになったと感じているそうですね。

西田:優勝よりも決勝初進出のときのほうが、変化という意味では大きかったです。それまで知名度がほとんどなく、テレビ出演2本目か3本目が『M-1』だったので、ガラッと変わりましたね。そこからいろいろなお仕事をいただくようになりました。

――『M-1』にはやはり感謝されていますか?

哲夫:それはもう感謝ですね。

西田:もう自分らは出ていませんが、毎年、年末はワクワクします。

哲夫:『紅白歌合戦』と並ぶくらいの年末の風物詩になっていると思う。番組としてもめっちゃ面白い番組やなと思いながら見ています。

西田:良く知っている後輩が出ると緊張します。あいつ大丈夫かなってドキドキして。自分が出ているほうが気楽ですね。

――出場されていた当時、緊張はなかったのですか?

西田:ないことはないんですけど、テレビ2、3回目が『M-1』やったので、楽しい、うれしいという気持ちが勝ち、ほかの人よりは重圧はなかったと思います。

哲夫:途中から、今年こそ優勝せなあかんみたいな思いはありましたけど。3年目くらいから優勝候補と言われ出し、そこからなかなか優勝できなかったので、はよ優勝したいと思っていました。