日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’21』では、がんの余命宣告を受けた防災士を追った『ご近所さんと私。~母ちゃん防災士の信念~』(テレビ金沢制作)を、11日(25:05~)に放送する。

  • 病床の竹川操枝さん

金沢市の自宅で小さな飲食店を営む竹川操枝(60)さんは、防災士として活躍していた。近所づきあいの大切さを訴える彼女は、自宅の店を解放し、まるで地域サロンのように近所の人たちを集めて交流を深めていた。

そんな竹川さんは時折、みんなに号令をかけて、大鍋で「めった汁」を作る。突然呼び出される仲間は、言われるままに作らされるが、実は竹川さん流の防災訓練。いざ災害が起こった時に、すぐに炊き出しができるように日頃から訓練していたのだ。

それから9年後、竹川さんは、がんを患って死期が迫り、在宅医療を選んだ。そんな中、竹川さんが気に掛けていた40代の女性・横浜さんが見舞いにやってきた。

2人は消防団の一員でもあり、年に数回、消防車に乗って火災予防のパトロールをしていた。そして、いつも打ち上げで竹川さんが作る鍋料理を消防団のみんなと食べるのを楽しみにしていた。

去年の11月、横浜さんや消防団のメンバーは少しでも恩返しがしたいとパトロールの最中に消防車で見舞いに訪れ、竹川さんを驚かせた。

病床でも常に前向きで、見舞い客にも明るく接していた竹川さんだったが、病状が悪化し、起きることもできなくなった。介抱や排泄などで周りに負担がかかる。そんな時、毎日来る仲間に「もうこれ以上みんなに迷惑をかけたくない」と涙を流すのだった。

それから3日後、危篤に陥った竹川さんを案じて、近所の人たちが次々やってくる。娘夫婦は在宅医から「あと1週間ももたない」と告げられ、最後の看取りをどう迎えるかを教わる。

しかし、その日の深夜、竹川さんは息を引き取った。翌日、近所の仲間たちは、楽しかったあの日の頃を思い出し、みんなでめった汁を作る。葬儀の準備をする家族や集まった親戚に食べてもらうためだ。大きな鍋を抱えてやってきた仲間たちは、眠りについた竹川さんを前にして「作ってきたよ」と湯気の立つめった汁を見せた――。

防災士の後継者・横浜さんは、竹川さんの教えを胸に今も防災士として日々地域で活動している。人と人が支え合うことの大切さを実践してきた竹川さんがコロナ禍の今に伝える人情物語を描いていく。

  • 9年前の竹川さん

  • めった汁を作る竹川さん

  • 病床の竹川さんと仲間たち