京都大学(京大)は6月30日、岡山県の縄文時代の津雲貝塚から発掘された3000以上年前の人骨の1体が、骨格に残された無数の傷の成因をサメの襲撃と特定したと発表した。

同成果は、英・オックスフォード大学のAlyssa White大学院生、米・フロリダ大学のGeorge Burgess博士、京大 理学研究科の中務真人教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、考古学を扱う国際学術誌「Journal of Archaeological Science: Reports」に掲載された。

人類が漁撈・航海を開始して以来、サメによる被害は稀であっても絶えることがなかったと推定されており、その被害に関する記録は古代ギリシアにもあるという。また、直接的な証拠としては、プエルトリコの遺跡で発掘された約1000年前の人骨に残されたサメの咬痕がこれまでの世界最古とされており、それ以前の状況をうかがい知ることができる考古学的証拠は見つかっていなかったという。

今回の研究のきっかけは、オックスフォード大で生物考古学を研究しているWhite大学院生(論文筆頭著者)が、日本の縄文・弥生時代の人骨に残された人為的傷痕に興味を持ち、その研究を行う一貫として、京大大学院 理学研究科を訪問したのが始まりだという。

数多くの所蔵資料の中にあったのが、今回の研究対象となる津雲貝塚のものであったという。津雲貝塚は縄文時代を代表する遺跡で、現在の岡山県笠岡市にあり、史跡名勝天然記念物として指定されており、160体以上もの人骨や各種の身体装飾品も確認されており、当時の屈葬、抜歯などの風習を知ることができるという。

この津雲貝塚から発掘された多数の人骨のうち、多くの傷を持つ特徴的な1体が第24号人骨で、1919年に清野謙次 京都帝大教授らによって発掘された約80体の人骨のうちの1体である(京大大学院 理学研究科 自然人類学研究室に保管)。その傷の多さは津雲縄文人を観察してきた研究者の間で知られていたが、なぜそれほど傷がついたのかという成因についての研究はこれまでのところ行われていなかったという。

今回、White大学院生は、第24号人骨の傷が人為的な損傷としては異常に数が多いことから、日本で遭遇しうる数少ない大型肉食動物であるサメによるものではないかと考察。サメ襲撃の専門家であるフロリダ大のBurgess博士に協力を仰ぎ、共同で分析を実施することとなったという。

第24号人骨については炭素14年代測定が実施されており、死亡時期は歴年代に換算し紀元前1370~1010年(年代幅は95%信頼区間。今からおおよそ3000年から3400年ぐらい前)ということが分かっている。現代の感覚でいえば比較的若い中年(35~45歳)男性で、縄文時代としては標準的な身長、体格で、筋肉が発達していたと考えられている。

残されているすべての骨について詳細な観察が実施され、傷痕の位置と特徴を記録していった結果、最低でも790もの傷痕が残されていたという。いずれも治癒の経過が認められないことから、死亡時に残されたものとされた。また、全身の骨の多くが残っているにもかかわらず、右下肢、左手、左足前半の部位については完全に欠落していたという。

  • サメ

    第24号人骨に残された咬痕の分布(腹側)を再現した3Dモデル。左が前方から。丸の大きさは傷の深さを表している。(c)Alyssa White氏 (出所:京大プレスリリースPDF)

げっ歯類によるものと思われるごく少数の咬痕を除き、これまで報告されているサメの咬痕に共通する特徴(V字型の横断面、平行に走る直線的あるいは弯曲する複数の傷、穿孔)が確認され、同じ箇所を繰り返し咬んだ痕も見られたという。

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    左上腕骨に残された咬痕 (撮影:中務教授)(出所:京大プレスリリースPDF)

  • サメ

    左上上腕骨の咬痕部分を拡大したもの。特徴的な咬痕が観察できる (撮影:中務教授) (出所:京大プレスリリースPDF)

特に深い傷は、臀部、下肢など、サメの被害に遭いやすい下半身に見られたという。また、右の手骨にはまったく損傷がないが、左手首には切断面があり、その先が失われていることから、サメに対して左手で防御し、咬みきられた可能性が考えられるとする。ただし、事故との関連を示唆する副葬品は存在していないという。

  • サメ

    第24号人骨の発掘時の様子 (c) 京都大学自然人類学研究室 (出所:京大プレスリリースPDF)

また、サメによる襲撃では、骨に刻まれた深い傷の中にサメの歯が折れて残る場合がある。歯からサメの種類を特定できる可能性があるため、CT検査が実施されたが、歯は残っていなかったという。

なお日本各地の縄文時代の遺跡から、サメの歯や椎骨が発掘されている。大型種ではホオジロザメとイタチザメが報告されており、いずれも人間に危険を及ぼす代表的なサメとして知られている。そのことから、第24号人骨を襲ったサメは両者のどちらかと考えられるという。津雲貝塚からも、サメ椎骨が発掘されているが、数が少ないことから、サメを頻繁に捕獲したということはないと考えられるとする。

海岸部で暮らした縄文人と海との関わりは、遺跡より発見された遺物、動物遺骸、人骨の安定同位体分析、低温刺激による骨変化などから調査されてきたが、今回の研究は、それらとは異なる角度から当時の活動の一端を復元するものとなっており、その結果として、日本各地の縄文遺跡から、装飾品として用いられたサメの歯が知られているが、形が好まれただけではなく、危険な動物としての認識を背景とした価値があったのかもしれないという。

研究チームでは、今回の成果に対し、「津雲貝塚の人骨資料は100年前に発掘され、これまで国内外、おそらく1000人を超える研究者が目にしてきています。こうした古典的資料であっても、このような新しい発見があります。今回の研究は発想の転換による発見ですが、発掘資料の分析技術も年々進歩し、以前は想像もできなかったことがわかるようになってきています。この発見を通し、発掘資料を大切に後世へ伝えることの重要性が広く理解されることを希望します」とコメントしている。