500ドル払って手に入れたのは、1台の動かない240Zだった|1972年式 ダットサン 240Z Vol.1

アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方【1972年式 ダットサン 240Z Vol.1】

北米市場で大ヒットしたS30ダットサン240Z。当然のことながら、オーナーの手に渡った1台1台に、クルマと人とのエピソードが生まれた。今回の主人公は安くてポテンシャルがありそうなクルマとして、レースに勝つために240Zを選択。それをきっかけにして実績を積み上げ、アメリカのレース界で成功を収めた。そして自らの原点を見つめ直すために、再び240Zを手に入れたのだった。

遅咲きのプロレーサー  速さをクルマで競う。人が本能的に持ち合わせた欲求を、クルマという人類の造った道具を使って行う。それは、美しいとか、かっこいいとか、便利だとか、楽しいとか、そういう類の価値観とは違ったクルマの意義だ。

 レースチームのマネージャー兼ドライバー、さらにはレーシングインストラクターとして活動するデーブ・ブラウンさんは、カーレースの魅力に取り付かれた1人だ。20年間の経験で20のチャンピオンシップ獲得と、そのレース戦績は輝かしい。レースから離れれば、テスラモーターズのテストドライバーとしての経験も持ち、そのドライビングの腕前は誰からも信頼されている。

 日本のホンダ系チューナー「スプーンスポーツ」のインテグラが2004年に初めてアメリカに輸入された際、アメリカ側のインポーターによるドライバーオーディションにおいて、ブラウンさんはそのシートを勝ち取った。

「スプーンスポーツのイチさん(市嶋樹代表)と一緒に走ったんですよ」

 とは、翌年のカリフォルニア州サンダーヒル・レースウェイの25時間耐久レースでのエピソード。その後同じく北米三菱のオーディションでもブラウンさんはシートを勝ち取り、2006年から現在までレース活動を共にしている。
「レースドライバーとして名が知れてくると、雇われドライバーとして、自分ではとても所有できないようなレースカーを運転する機会が得られるのがいいですね」
 とブラウンさんは経験を語った。

 若いころのブラウンさんは、単なるストリートドライバーだった。1992年のあるとき、自車でサーキットを走るイベントがあることを知るとすぐに参加。すっかりサーキット走行の虜になったブラウンさんは、次にインストラクターにドライビングテクニックの教えを請うた。「君にはセンスがあるね」とのインストラクターの言葉を聞くと、レースを続ける決心がついた。

 それからの2年間は所有のフォルクスワーゲン・シロッコでレースを学んだ。こうして遅咲きながらも29歳でプロのレーサーになることを目指したブラウンさんは、趣味のレースから脱却するために、自分のキャリアアップの道筋を描いた。自分自身に掲げた目標は、あこがれだったNASCAR(ナショナル・アソシエーション・フォー・ストック・カー・オート・レーシング)。長い道のりだが、千里の道も一歩から。そのためのキャリアのスタート地点をNASA(ナショナル・オート・スポーツ・アソシエーション)と定めた。

 当時NASAのレースで強かったクルマといえば、ポルシェ924、BMW325、そしてダットサン240Z。

「どれも後輪駆動のクルマでした」とブラウンさんは回想した。プロとしては駆け出しレーサーで資金のないブラウンさんは、安くてポテンシャルのありそうなクルマを探して回った。そして1994年、500ドル払って手に入れたのは、1台の動かない240Zだった。


カスタムプロファイルのジェットニードルを持つSUキャブ、排気系にはニスモのエキマニを用い、エアクリーナーも含め、全体に遮熱用セラミックコートを施した機関など【写真13枚】




オリジナルの状態をそのまま残す真っ赤な内装が目に鮮烈だった。シートは張り替えたと言うが、その他も細部に至るまで傷みは皆無。緩んでいたステアリングカバーを指しながら、「これ、もう取ってしまおうかな」とブラウンさんがこぼした。




クルマの外観は完全にオリジナルだが、機関には少しだけ手を入れてある。カスタムプロファイルのジェットニードルを持つSUキャブ、排気系にはニスモのエキマニを用い、エアクリーナーも含め、全体に遮熱用セラミックコートを施した。足回りはコニのサスペンションキットを使用。L24型エンジンは購入直後に完全に分解し、ホーベイさんが1年かけてリビルドしたものだ。


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