【経営は誰のためのものか?】資生堂・魚谷雅彦の原点回帰論「日本的価値や良さで、グローバル市場に挑戦」

有事の際、自分たちのビジネスは何ができるのか─。コロナ危機の非常事態宣言下で、お客と接触できない状況にあって、資生堂は「お客様に安心・安全を」と店頭にマスクや消毒液を届け、地域の医療従事者へ消毒液を無償提供することから着手。コロナ危機はこの1年余、事業にとって厳しい環境を与えているが、一方で気付きも与えてくれた。「結束力を高められたし、この会社で仕事をしていくことの意義をみんな考えてくれるようになった」と社長・魚谷雅彦氏。魚谷氏はこの有事を生き抜き、ポスト・コロナを見据えたとき、世界に勝つためにも、自分たちの使命と役割を発揮する事業に絞り込もうと、ヘアケアなどの日用品事業(トイレタリー)の『TSUBAK(I ツバキ)』などを売却。高級スキンケアなどの化粧品メーカーとしての”専門性”、”独自性”を追求していこうという判断。『世界で勝てる日本発のグローバルビューティーカンパニー』を目指す魚谷戦略とは─。


コロナ危機下、社員の潜在力を掘り起こす

 コロナ危機の中をどう生き抜くか─。

 コロナ禍の収束へ向けて、ワクチン接種が進行中。緊急事態宣言が何度か適用され、緊張感の続く日々。自分たちは今、何をすべきか、また何ができるのかという切り口で資生堂社長・魚谷雅彦氏はこの1年間の行動に触れ、「わたしたちのビジネスの中で何ができるのかを考えるいい機会になりました」と次のように語る。

「1つは、もちろんお客様、あるいはわたしたちの店頭で働く社員の健康を守るということで、コロナ危機が始まってすぐ、日本の大手企業の中ではおそらく1番か2番位に、在宅、あるいは店頭にマスクを届ける、消毒液を届けるということをしました。

わたしたちの工場ではアルコールを使っていますが、(消毒液になる)高濃度の処方は持っていなかった。それを那須(栃木)の工場で開発をして、厚労省や経産省も素早く認可に動いてもらいましてね。また商品の容器とか印刷とかも、取引先もみんなものすごく協力していただいて、もう考えられないスピードで準備できたんです。市場に出すのではなく、まず医療従事者の方々に無料で寄付していきました」

 マスクが足りない、消毒液が足りないで始まった今回のコロナ危機。平時では考えもつかない事が次々と起き、パニックに陥ることがある。

 自分も感染するのではという不安から、感染者の治療に当たる医師や看護師、それに救急活動に当たる消防士などへ、誹謗中傷の言葉が投げかけられた。心痛む光景が飛び出し、そうした連鎖がまた社会を荒らす。

 資生堂は本来、消毒液をつくる会社ではない。化粧品の製造の過程でアルコールを使うということ。それも〝指定医薬部外品〟であり、医療用で使用するには高濃度品でないといけない。

 それが、感染者が急増する緊急事態、有事を迎えて、日々感染リスクと向かい合う医療従事者の活動に不可欠な消毒液が不足しているという現実の前に、「消毒液をつくろう」という声が自然に社内から沸き起こってきた。

「もともと、消毒液を売るビジネスをしている会社ではないんですが、自分たちの工場のラインを使って作ろうという考えが、本当に現場から出てきましてね」

 社長の魚谷氏も、自発的に社員の間からこうした声が出てきたことに嬉しい様子。
「医療従事者の方々って、僕の知り合いにも多いんですが、この人たちは本当に恐怖感を持ちながら、使命感だけでやっているのでね。この人たちに何かできないかなと、朝ジョギングをしていて、何かしなきゃいけないと思いついて、すぐに興奮ぎみに、担当者の人たちに、『何か考えられない? 』って聞いたら、みんな、『是非やります! 』とすぐ動いてくれたんです」

 トップダウンとボトムアップの連携である。

 資生堂は、『ハンド・イン・ハンド・プロジェクト(Hand in Hand Project)』を立ち上げて、現在実施中(期間は2月1日から6月30日まで)。

 Hand in Hand。文字通り、人と人が手を携えるという意味。
 具体的には、消毒液とかハンドクリーム、ソープ(液体石鹼)など22品目のどれかをお客が店頭で購入した場合、そこから出てくる粗利から、物流費などを引いた利益をすべて医療従事者に寄付するというもの。

 このコロナ危機では、業績面で確かに打撃は受けたが、明日に向けて得られるものも大きかったということ。

 2020年12月期は売上高9208億円(2019年12月期は1兆1315億円)、経常利益は149億円(同1138億円)、純利益は116億円の赤字(同は735億円の黒字)。

 営業利益段階で、何とか黒字を確保したものの、最終利益段階で赤字になった。

 このコロナ禍を踏まえて、今期(21年12月期)は増収増益、最終利益でも黒字を見込む。
「確かに、事業環境は厳しいけれども、このコロナ危機で結束力もできたし、この会社で仕事をしていくことの意義をみんなが考えてくれるようになった」と魚谷氏は活路が開けたと語る。

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創業の原点に立ち返り 生き方を見つめ直す

 魚谷氏は2014年春、資生堂社長に就任。外部出身者として初めての社長である。

 1954年(昭和29年)6月2日生まれ。同志社大学を卒業後、77年にライオン歯磨(現ライオン)に入社。米コロンビア大学経営大学院に留学、MBA(経営学修士)を取得。91
年フィリップモリスの食品部門であるクラフト・ジャパン(現モンデリーズ・ジャパン)に入社、日本での事業の経営責任者を務めた。
 
94年日本コカ・コーラに入社、副社長を経て2001年に社長に就任。缶コーヒーの『ジョージア』をテコ入れし、『爽健美茶』、『紅茶花伝』などのヒット商品を手掛けて経営手腕が注目される。そして、06年会長となり11年に退任という足取り。

 こうした実績が買われての魚谷氏の資生堂入り。13年にマーケティング統括顧問に就任し、1年後の14年4月執行役員社長、同年6月代表取締役執行役員社長に就任した。

 資生堂社長に就任して7年。この間、魚谷氏は「世界で勝てる日本発のグローバルビューティーカンパニー」を標榜し、改革を断行。その中にあって、魚谷氏が大事にするのが創業の原点だ。

「最近の言葉でいうと、パーパス、ミッションとか、企業の使命が言われます。SDGs(国連が定めた持続的発展のための計17の目標)やESG(環境、社会、ガバナンス)もそうですね。わたしたち資生堂という会社は創業者以来、社会に対して価値を提供するとか、メセナといったことをやってきているんですね。そういうDNAを持っている会社」

 福原有信(1848―1924)。東京・銀座に1872年に調剤薬局を開き、西洋の薬学の知識を取り入れ、人々の命と健康に役立つ薬剤の販売に注力。また、従来の漢方薬にも西洋の科学性を取り入れて、購買者の信用を高めたといわれる。

 福原有信はわが国初の〝練り歯磨〟や化粧水を売り出すなどの才覚を発揮。二代目信三は株式会社「資生堂」の初代社長に就任。本格的に化粧品事業に乗り出す。

 社名の資生堂の『資生』は、中国の古典『易経』から取ったもの。

『至哉坤元、萬物資生(至れるかな坤元<こんげん>、萬物資<と>りて生ず)』─。
「すべての価値はこの大地から生み出されていくという意味です。自然を大事にしていく。そこに生命力が宿るということですね」と魚谷氏。

 100年に1度の感染症といわれるコロナ危機の襲来。何かと不安にさいなまれる昨今だが、そこを耐え、力強く生き抜かなければならない。それには何が必要かということで、創業の原点を見つめ直すことから、自分たちの生きる道をつくり出そうという魚谷氏の考えである。

日用品事業の売却を決断した理由

 構造改革は今も進む。同社は今年初め、ヘアケアブランドの『TSUBAKI(ツバキ)』など日用品事業(トイレタリー)を売却すると発表。売却先は英国系の投資ファンドである。

 資生堂のシンボルである『花椿(つばき)』をブランド名に冠した『TSUBAKI』。かつてはシェアトップに立つほどの勢いがあったが、最近は低迷。ここ数年、英ユニリーバのブランド『ラックス』やP&Gの『パンテーン』などのグローバルブランドが約10 %のシェアを維持するのに対して、『TSUBAKI』は約9%から約4%に低下したまま。

 資生堂はこの日用品事業を売却し、高級化粧品で勝負していくことを決断。

 この日用品事業の売上高は全体の9%。日本国内だけだと400億円強にとどまる。

 このトイレタリー事業は1959年(昭和34年)に始ま50有余年の歴史を持つ。1993年には売上高1000億円を超えていたが、その後尻すぼみで来た。

 今は、中国での販売が好調で、また1000億円位の売上を取り戻しているが、この先を考えた場合、「優先度が低い」という判断。

 魚谷氏が語る。

「ひと頃、石鹸などがお中元の需要とかでものすごくありました。資生堂のサボンドールとかは僕もよく貰いましたし、「スーパーマイルド」というシャンプーが大ヒットしたりとかね。後にはTSUBAKIがあるんですけどね。この事業は宣伝広告をすごくするので目立つんですが、残念ながら全体の事業の中では売上がずっと落ちてきている。僕が入った頃には事業部もなかったんです。変な言い方ですが、この事業に携わっている人は何となく目立たないし、新入社員でもそっちの事業に行くのは何か可哀想だ、みたいな事を社内でも言う人がいたりもしましてね。僕はライオンの出身でしょ。だからトイレタリー事業にはそれなりに知識と思い入れがあって事業本部を作ったんです。パーソナルケア事業本部を作って、200人位、日本でも社員を移管したりしてね」

 TSUBAKIのリニューアルや広告も打って、いくらか勢いを取り戻したかに見えるが、資生堂の中に置いたままでは、高級化粧品の〝二の次〟で終わりかねない。

「ここにいる社員に夢を持たせるにはどうすればいいか」と魚谷氏は考え続けた。
 トイレタリーの流通は、化粧品と違って、卸し(問屋)の機能を使う。研究開発、広告宣伝費の投入など化粧品とトイレタリーの両社は余りにも違いがあるという判断。

「とにかく、トイレタリーに携わっている社員に夢を持たせてやりたい」として、魚谷氏は売却を決断するに至る。

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資生堂はどこに向かうのか?

「これから先を考えたときに、資生堂はどこに向かうのかというと、健康という側面も入ってくるんですが、やはり美を追求する会社。それもデジタルとを活用しながら、BC(ビューティーコンサルタント)を活用しながら、やれる事業モデルを世界で打ち立てること。トイレタリーはまるで事業モデルが違う。これはもう大量生産型ですしね」

 トイレタリーの価格は数百円台のものもあり、広告宣伝費を派手に打って、それを見たお客が店頭に来て、セルフ買いをしていく。化粧品のように、美容部員のカウンセリングも要らない。

 両者の事業モデルの違いをじっくり検討して、「資生堂は創業の原点のところを選択していく」
という魚谷氏の決断。

「ただし、僕は売却という言葉がよく使われているのに若干違和感を持っているんです」と魚谷氏。どこに違和感があるのか?

 あくまでも、トイレタリーに所属する社員に夢を持たせることが大事。つまり人生設計を自分たちの手で描くようにしてもらうという魚谷氏の思いであり考えなのである。

 その〝夢を持てる方向性〟を担保する意味合いで、資生堂はトイレタリー部門が事業会社として新しいスタートを切る際、〝35%の株式〟を持つと決めている。

「35%というのは、非常に重要な意思決定に関わる株主ですよね。それは当社にとっても大きな出資になりますから、運命共同体であると」

 新会社に何を望むのか?

「新会社がちゃんと夢を持てる会社になって、トイレタリーの事業会社としてR&D(研究開発)から販売まですべて持つんですよ。資生堂に依存するのではなくてね。資生堂の中では優先順位が低かったのが、この会社ではこれしかないのですから、積極的に投資もしていくということです」

 経営権を譲渡したファンドのCVC(英国系)については、「短期的な、よく言われるファンドの悪いイメージの会社とは中身が違うのも確認しているし、全員の雇用の保障と給料、年金すべて、そのまま移管することの保障を全部しています」と語る。

日本的ソリューションで

その魚谷氏が日用品の関連社員に呼びかける。

「うちの社員の中には、新会社に移籍、または出向になる人もいると思うんですが、その人たちに先日も言ったのは、あなたたちの自分の人生とキャリアを考えてほしいと。資生堂のこの直接の枠組みでなくなることは非常に寂しいと、悲しいと。そう言う社員が多かった。その気持ちは分かると。だけど、あなたたちの自分の人生なんだよと。わたしは、これをやり遂げて、こういうことによって自分も成長していき、社会に貢献していく。そういうものを、この新しくゼロから作る会社の中でやって欲しいと。日本のトイレタリー業界の大きな発展につながるように貢献してほしい」

 トイレタリー事業の譲渡といっても、これでつながりを断つというわけではない。
35%の株主として、「当然、経営に関わりますし、まだ申し上げられませんが、何らかの形でわたしも関わろうと思ってます」と語る。

 魚谷氏が続ける。
「だから、資生堂の枠組みから、とにかく売却して外したいんだということではなく、この事業をどうすればいいのだと。その発想から、僕は非常に日本的ソリューションを作ったと思っているんです」

 日本的ソリューション。魚谷氏がグローバル経営を追求する中で重視するキーワードだ。

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中国市場への取り組み方

 魚谷氏の経営でもう1つ注目されるのが中国市場に対する戦略である。資生堂の中国市場への取り組みは歴史的に長い。

 社会主義国・中国が改革開放路線を取ったのは1978年のこと。時の最高指導者・鄧小平氏が打ち上げた改革開放路線は中国を世界第2位の経済大国に押し上げる原動力となった。

 資生堂は1981年に首都・北京に店を開設。今年は中国進出40周年に当たる。

「外国系の化粧品会社では、おそらく1、2番目に早かったと思うんです。社名ももともと中国の古典に由来していますしね。隣国同士で、われわれも漢字を使ってきたし、互いに関係をつないできた」

 資生堂は1981年に北京に事務所と店舗を開設。『井戸を掘った人』を大事にする中国で、第10代社長・福原義春氏は北京市の名誉市民にもなっている。

 資生堂の売上高の中で中国市場の占める比率は高い。

「資生堂は漢字表記だし、いい漢字ですしね。最初から、わりと高級化粧品だけをやられていたので、中国のお客さんの間で評判もいいし、馴染みがあります。資生堂というのはものすごく技術が高くて、機能も高い、効果も高い、いい化粧品だという評価をいただいています」

 いま中国市場には海外メーカーも多数進出し、大変な競争状態だが、「わたしたちは可能性を感じています」と魚谷氏は語る。

 現在、中国市場での販売額は年間2000億円を超える規模まで成長。日本、米国、欧州、中国、アジア、そして『トラベルリテール』という空港販売の計6つの地域割りの中で、中国の売上比率は全体の26%と、日本の33%に次いで2番目を占める。

 資生堂の中国市場戦略は、日本国内で製造して、中国へ輸出するというもの。中国の消費者の間では、日本で製造された化粧品の品質管理への信頼が非常に高い。〝メイド・イン・ジャパン〟への信頼と言っていい。

 資生堂は日本国内に那須、掛川(静岡)、久喜(埼玉)、大阪茨木の5工場と海外7カ所で生産。グローバルに計12カ所の生産拠点を持つ。

 この3年間に、日本国内で、大阪、那須、久留米(福岡)と3つの工場を新設するなど一大投資が続く。

「最新鋭の工場を3つ作ります。来年(2022)、九州の久留米に1つできます。九州ですと、本当にすぐ海を渡ると中国、アジアですからね。九州にぜひ工場を作りたいと思っていたんです」

 中国はDX(デジタル革命)を含めて、ダイナミックに変化している市場という認識の下、
同社は中国に研究開発拠点を上海市などに設置。

 健康であることへの関心が高い中国の顧客の消費志向の調査や商品開発の研究拠点を中国に構えながら、生産は日本で行う─という資生堂の戦略。

化粧品は平和産業として

 いま米中対立が激しくなり、経済と安全保障問題が絡み、『経済安全保障』が時のキーワードになってきている。特に半導体やAI(人工知能)といったデジタル領域など最先端科学分野での相剋である。

 化粧品はその国の国民(消費者)の美と健康に関する事業であり、ただちに『経済安全保障』という枠に組み込まれる筋合いのものではない。あくまでも平和産業であり、美の関連産業だ。

 ただ、人権問題のように微妙な問題も登場。 産業界もこのような中国リスクにナーバスになりつつある。 グローバル経済はそうした問題を含みながらも、中長期的には成長していく。

「われわれの事業はいわゆるクロスボーダーで、国境なき事業のサイクルを作っていきたい。昔だったら、国で線を引くんだけど、今はそうではなく、一貫性を持つシームレスなマーケットと事業のサイクルモデルを作るという段階に来ていると思うんですよね。だから、中国で研究開発のところ、R&Dも実は拡充しているんです。これも中国のお客さんのニーズを組み入れていくため。作る時は日本の工場に持っていく」

 世界中で事業を展開する資生堂。日本から全てが出ていく時代ではなくなっているのも事実。

「米国で良いものがあれば、欧州で良いものがあれば、それを世界中に売っていく」というグローバル経営の時代である。

 その中で、東京の本社の役割とは何なのか?

「大きな方向性を示し、経営戦略を打ち出す。それをみんなが理解するように、コミュニケーションする力が必要になります」

 複雑多様化するグローバル社会で成長していくためには、内外でのコミュニケーション力が不可欠という魚谷氏である。

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