日本でもっとも長い歴史を誇る量産車メーカー、ダイハツ工業|波瀾万丈のダイハツストーリー Vol.1|ダイハツロマネスク

【波瀾万丈のダイハツストーリー Vol.1】

ダイハツは数々の名車を生み出したクルマメーカーだが、時代時代において苦労を重ねてきた会社でもある。高度成長期にはミゼットをはじめとした商用車で、トヨタとの提携後はOEMで、現在は軽自動車ナンバーワン企業として存在感を示している。


 ダイハツ工業はトヨタグループの子会社で、軽自動車の専門メーカーだと思っている人も多いだろう。だが、日本でもっとも長い歴史を誇る量産車メーカーで、乗用車やEVの開発、モータースポーツへの参戦など、華やかな過去を持つ。創設は100年以上も前の1907(明治40)年3月だ。

 創業時の社名は「発動機製造株式会社」だった。が、発動機の製造に携わるメーカーが増えてきたので、他と区別するために「大阪の発動機製造」と呼ぶようになる。これを略した「大発(ダイハツ)」が一般的な呼び名になり、昭和初期の30年には自動車の製造を開始する。記念すべき第1作はオート三輪のHA型だ。これ以降、マツダとともにオート三輪業界をけん引していった。社名を「ダイハツ工業」に変えるのは1951年12月である。


 この時期、三輪乗用車のBEEを発売したが、当時は商用車の全盛期だった。また、セダンは税制の面でも不利だったため、販売は低迷している。1953年8月に三輪自動車は累計生産台数10万台を達成したが、そのほとんどは屋根のない商用オート三輪だ。

 ダイハツの名を一気に全国区まで広め、日本の景色を変えてしまったのが1957年夏にデビューした軽オート三輪のミゼットである。小型三輪と同じまたがり式のサドルシートにバーハンドルを採用し、上級クラスのように快適性が高い。しかもスクーター免許で乗れ、維持費も安く済む。コメディアン大村崑のテレビコマーシャルも功を奏し、町や村の商店主を魅了したのである。


合計で31万7152台生産と、戦後から高度成長期のダイハツを支え続けた名車ミゼットなど【写真5枚】



ミゼットは、「三丁目の夕日」をはじめドラマや映画でも使われ、本誌読者からの支持も厚いクルマだ。




1968年に開催された日本グランプリに参戦したダイハツP-5。クラス優勝をはたし、R381などを相手に総合10位と健闘した。

Vol.【2】に続く