日本が世界に誇る芸術、浮世絵。数多い絵師のなかでも国内外を問わず、高い支持と評価を得続ける葛飾北斎の、謎多き生涯を見つめた映画『HOKUSAI』が5月28日から公開になった。柳楽優弥とともに、2人ひと役で北斎に扮した田中泯を直撃した。世界的なダンサー、舞踊家であり、『たそがれ清兵衛』(02年)以降は、唯一無二の空気を放つ俳優としても活躍し、本編でまさに“画狂人”と呼ばれる北斎を体現している田中。

北斎は、90歳まで生き、死ぬ間際に「あと5年あったら、本物の絵描きになれたのに」と言ったとされるが、現在76歳の田中も、まだまだ表現の道を模索、邁進している。そんな田中が、「芸術家とか表現者は、『私の』踊りなどと言うが、そんなこと言えるはずがない」と持論を語り、2024年から「ブレイクダンス」がオリンピック正式種目となることにも吠えた。

■死ぬ瞬間まで、もっと生きたいと思い続ける人生を送りたい

――もともと北斎がお好きだと聞きました。

映画『HOKUSAI』主演の田中泯

田中泯 撮影:望月ふみ

昔、マッチ箱に「冨嶽三十六景」が刷られたことがあって、夢中で集めました。水にちょっと漬けて、パカっと剥がれた絵を台紙に貼って集めてましたね。それにしても北斎は、本当に人間が好きなんだと感じます。あんなに克明に人の体の瞬間を描き続けた人なんて、ほかにいないでしょう。だいたい絵描きといえば、描く対象をじっとさせるわけです。それで絵描きのテンポで描いていく。北斎は逆です。ちょっとした瞬間を逃さず切り取る。もう愛としか言いようがない。好奇心と、愛の力。あんな情熱のある瞬間を生きられるだろうかと思いますよ。

――田中さんはずっと踊られてきましたが、北斎と同様、人や自然を見続けてきましたか。

もちろん。師匠から教わりました。他者に対して好奇心を持たない人間に、だれが興味を持つんだと。

――北斎は90歳まで生きて、死の間際に「あと5年あったら、本物の絵描きになれたのに」と言ったとされています。その思いに共感できますか?

うん、できる。どうせ死ぬならそういう風に死にたいですね。死ぬ瞬間までもっと生きたいと思い続けるような人生を送りたい。

――常に走り続けたい?

別に歩くでもいいんですよ。1日1日、あるいは1年1年でも。とにかく人が語る人生観には乗りたくない。みな自分にとっての新しい瞬間が常にやってくるわけでしょ。それに自分はどうやって付き合っていくか、それだけです。生きるなんて言ってみれば方便です。偶然がもたらしてくれたたくさんのものとともに、自分は一瞬一瞬を過ごすことになる。ほとんど偶然ですよね。自分が決めたものではないものばかりのなかで、生きているわけです。でも少なくとも、自分の1歩、1日、一瞬というのは、自分から始めることができるはずだというのは思います。

■「私の」踊りなんて、そんなこと言えるはずがない

――田中さんが映像面で活躍されるようになったのは57歳以降ですが、これまでの表現の仕方とは全く違いますね。

映像の世界といってもピンからキリまであるだろうし、これも偶然に近いのかもしれない。そこに集まってきた人たちでチームができる。このチームの形というのは、ひとつとして同じものがないわけです。それが場を作り、瞬間を作り、それが結像したものとして残る。それをさらに編集して宣伝をして人々のところに届く。スリル満点ですよね。一体だれがどうやってコントロールしてものにしているのか。ひょっとしたら偶然のほうが強いかもしれない。

――ライブでおひとりで踊っているときより、さらに統制が効かないと思いますが、スリル満点だと。面白いですか?

面白いですよ。僕が踊っている踊りは映像にはなりませんと若いときからずっと言い続けてきました。踊りのライブには繰り返して再生していく能力というのは一切ない。そこが映像とは決定的に違うところです。芸術家とか表現者は、「私の」と言いますよね。「私の踊り」とかね。でもそれは僕には本当にバカバカしい。そんなこと言えるはずがない。私のやっている動きなんて、同じことをやっている、やってきた人はごまんといるわけです。でもその時間と、見てくれる人と、場所とさまざまな偶然が形成しているなかで、たまたま私が踊って、無名ではない、みんな名前のある人たち、ひとりひとりが見ていて、そこで成立する。それは二度と起きない。

――北斎は絵を究極的に求め続けますが、「自分であること」へのこだわりもある気がします。

よくわからないな。

――田中さんは踊りは「自分の」踊りではないと。

全然自分でなくてかまいません。

――北斎は自分であることも求めているような気がするのですが。

そうかな。あなた知ってるの? 北斎の頭のなかにあることの何万分の1も僕らは知らないですよ。でも図々しくも映画にしてるわけ。この映画も、これが北斎だという決定版じゃ絶対にありえない。永久に無理です。でもだからこそラッキーにも北斎の作品をこうして映画で観られるのはすごいこと。北斎の頭のなかに浮かんでいたものが何なのか、想像もできないけれど、少なくともこうして残した絵を見ることはできる。こんなちっちゃな人でもひとりひとりの体をきっちり描いて。こんな作家はいませんよ。

■ダンスがオリンピックの競技に? いい加減にしろよ

――北斎は大病したあとも描き続けますが、やはり絵が好きだからでしょうか。

好きだからかなんて尋ねますけど、私たちには想像がつきませんよ。どのくらいのことなのか、どういうことなのか。そっちを考えたほうがいいんじゃないですかね。分かりようがないのだから。すごいとしか言いようがない。続けたことだって彼の中では取るに足らないことかもしれないし。でも今の世の中は、一生懸命言葉にして均そうとしてしまう。分かるわけないのに。

――確かにそうですね。田中さん自身のこれから先の野望はありますか?

野望は好きです。野が好きなので。日本語は本当にすごいなとますます思うようになりましたが、「野」を「望む」と書く。踊りというのは、個人を有名にさせる道具じゃない。今ほど技術を追い求めて、技術が成就すれば踊りになると思っている時代はありません。それはひっくり返したいと思います。それだとスポーツとどこが違うんだと。昔の人は、あの人には踊りの心がある、絵心があると言ってましたが、つまり心があれば踊れるということです。動くだけじゃ半分なんです。同じことをやっていても、「あの子はいいな」と思うことができるでしょう? パリのオリンピック(2024年)からブレイクダンスが競技として加わります。ストリートダンスというのは抵抗の踊りだったはずなんだけど、それがオリンピックの競技になると。いい加減にしろよ、です。

田中泯
1945年生まれ、東京都出身。74年に勝つ小津を開始し、78年には海外デビューを果たす。スクリーンデビューは02年の『たそがれ清兵衛』。同作で日本アカデミー賞新人俳優賞、最優秀助演男優賞を受賞した。近年ではダンサーとしての活動のみならず、役者としてさまざまな作品で存在感を見せている。主な映画出演作に『隠し剣 鬼の爪』『八日目の蝉』『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』『アルキメデスの大戦』。公開待機作に『峠 最後のサムライ』がある。